柳川真一 : ウィキペディア(Wikipedia)

柳川 真一(やながわ しんいち、1889年(明治22年)7月17日 - 1965年(昭和40年)5月15日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級

経歴

1889年(明治22年)に島根県で生まれた。陸軍士官学校第23期卒業。1937年(昭和12年)11月に陸軍歩兵大佐に進級し、1938年(昭和13年)3月に第3国境守備隊長に着任。1939年(昭和14年)3月に歩兵第110連隊長(第110師団)に転じ、日中戦争に出動し、京漢線沿線の守備に任じた。1940年(昭和15年)9月24日に本郷連隊区司令官に転じた。

同年12月2日に陸軍少将に進級し、1941年(昭和16年)12月に第20歩兵団長(朝鮮軍・第20師団)に着任。1943年(昭和18年)8月に朝鮮軍司令部附を経て、1944年(昭和19年)1月10日に独立歩兵第2旅団長(北支那方面軍)に就任し、中国戦線に復帰。石門を根拠地とし、京漢線・石太線・石徳線・井崗炭鉱及び棉産地の守備並びに確保に務めた。10月26日に陸軍中将に進級、11月22日に第120師団長に親補され、京城で守備に就いた。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」193頁。。

参考文献

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/07/28 10:19 UTC (変更履歴
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