真山美保 : ウィキペディア(Wikipedia)
真山 美保(まやま みほ、1922年7月30日 - 2006年3月12日)は、劇作家、演出家。新歌舞伎「元禄忠臣蔵」で著名な劇作家真山青果の長女。本名は美保子日外アソシエーツ現代人物情報より。東京都出身新制作座(真山美保を偲ぶ)。夫は俳優の槙村浩吉。孫(養子・真山正治の養子であり、血はつながっていない)の眞山蘭里(らんり)は、美保死去後の新制作座の理事長。
新制作座文化センター主宰(理事長)。日本演出家協会・国際演劇協会日本センター会員。
東京都文化会館及び東京芸術劇場の運営審議委員会。文部省・視学委員。
略歴
1943年日本女子大学国文科卒朝日人物データベースより。父とは1943年に離反し、女優として前進座に加わる。1947年新協劇団に入団、1950年、槙村浩吉らと劇団新制作座を設立。東京中心主義の新劇が見落していた地方に目を向け、地方の小都市や農村漁村を巡回。プロレタリア演劇風の作品のほか、青果作品も上演した。
1952年、初の戯曲となる「泥かぶら」で脚本・演出・主演を兼ね、文部大臣奨励賞を受けた。同作は海外での公演含め1万回以上公演を誇る。1954年「市川馬五郎一座顛末記」を執筆(『浮草日記』として映画化)。1959年に第7回菊池寛賞(新劇の大衆化、特に文化に恵まれぬ地方公演の成果)を受賞。1963年、八王子市に新制作座文化センターを建設。新制作座フェスティバル(歌と踊りとマイムを演劇的に構成・演出した読売人物データベースより)を持ってアジアや南米各地でも巡演した。他の作品に「鳶の巣村快挙録」「野盗風の中を走る」など。1988年2月に第4回東京都文化賞を受賞(全国各地の公演と国際文化交流への貢献)した。1992年、中国公演総演出作品「京劇坂本龍馬」に関わる。
2006年、老衰のために死去。享年83歳。
著書に『日本中が私の劇場』(平凡社 1957年)などがあり、1973年以降は「元禄忠臣蔵」「江戸城総攻」など、父青果の作品を積極的に演出した。
映画化された作品
- 1954 陽のあたる家 松竹大船
- 1955 浮草日記 山本プロ=俳優座
- 1957 倖せは俺等のねがい 日活
- 1961 野盗風の中を走る 東宝
著書
- 日本中が私の劇場 真山美保 著 平凡社 1957 (人間の記録双書) のち 有紀書房
- 御浜御殿綱豊卿巷談宵宮雨 真山青果・宇野信夫 [作] ; 真山美保, 小池章太郎 編著,白水社 2002 (歌舞伎オン・ステージ)
- 泥かぶら 眞山美保 原作,くすのきしげのり 文,伊藤秀男 絵 瑞雲舎 2012
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