ボリス・バルネット : ウィキペディア(Wikipedia)
ボリス・バルネット(Boris Vasilyevich Barnet, ロシア語 , 1902年6月18日 - 1965年1月8日)は、ソビエト連邦(現在のロシア)の映画監督、脚本家、俳優である。
人物・来歴
ロシア帝国(現在のロシア)のモスクワにボリス・ヴァシリェヴィッチ・バルニェットとして生まれる。
モスクワ美術大学の学生となり、16歳となった1918年ころ、赤軍に加盟し、専門的にボクシングを身に着けた。1924年、レフ・クレショフが監督した『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』に出演した。1927年には、フョードル・オツェプの共同監督として、『ミス・メンド』を初めて監督した。同年、『帽子箱を持った少女』を単独で監督した。
1963年に発表された『ちいさな駅』が最後の監督作となった。その後は沈黙し、アルコール中毒となった。
1965年1月8日、ソビエト連邦(現在のラトビア)のリガで自殺した。満62歳没。父ボリスの没後、娘のオルガ・バルネット はモスクワ芸術座の女優となった。
おもなフィルモグラフィ
- 『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』 [[:en:The Extraordinary Adventures of Mr. West in the Land of the Bolsheviks|]] : 監督レフ・クレショフ、1924年 - 出演
- 『ミス・メンド』 : 共同監督フョードル・オツェプ、1927年 - 監督
- 『帽子箱を持った少女』 [[:ru:Девушка с коробкой (фильм)|]] : 1927年 - 監督
- 『アジアの嵐』 [[:en:Storm Over Asia|]] : 監督フセヴォロド・プドフキン、1928年 - 出演
- 『トルブナヤの家』 [[:en:The House on Trubnaya|]] : 1928年 - 監督
- 『雪どけ』 [[:ru:Ледолом|]] : 1931年 - 監督
- 『国境の町』 [[:en:Okraina (1933 film)|]] : 1933年 - 監督・脚本
- 『青い青い海』 [[:en:By the Bluest of Seas|]] : 1935年 - 監督
- 『騎手物語』 [[:ru:Старый наездник (фильм, 1940)|]] : 1940年 / 1959年 - 監督
- 『賞金首』 : 1942年 - 監督
- 『ノヴゴロドの人びと』 : 1942年 - 監督
- 『諜報員』 [[:en:Secret Agent (1947 film)|]] : 1948年 - 監督・出演
- 『豊かな夏』 [[:ru:Щедрое лето (фильм)|]] : 1951年 - 監督
- 『リャナ』 [[:ru:Ляна (фильм)|]] : 1955年 - 監督
- 『レスラーと道化師』 [[:ru:Борец и клоун|]] : 1957年 - 監督
- 『アリョンカ』 [[:ru:Алёнка (фильм)|]] : 1961年 - 監督
- 『ちいさな駅』 [[:ru:Полустанок (фильм, 1963)|]] : 1963年 - 監督
関連事項
- モスクワ美術大学(Moscow School of Painting, Sculpture and Architecture)
- アラ・カザンスカヤ ([[:en:Alla Kazanskaya]])
- オルガ・バルネット ([[:en:Olga Barnet]])
- レフ・クレショフ
- ジガ・ヴェルトフ
註
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/06/08 21:09 UTC (変更履歴)
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