トニー・ウォード : ウィキペディア(Wikipedia)
アンソニー・ボーデン・"トニー"・ウォード(Anthony Borden "Tony" Ward、1963年6月10日 - )は、アメリカ合衆国のモデル、俳優 。
略歴
トニー・ウォードは、1963年6月10日にカリフォルニア州サンタクルーズで、ロバート・ボーデン・ウォードとカレン・エリザベスの間に生まれた。ウォードは3兄弟の2番目で、幼少期を主にサンノゼで過ごした後、ソノラに移り、高校を卒業した。そこから彼は俳優、モデル、ダンサーになるという夢を追求するためにロサンゼルスに移住した。ウォードは、カリフォルニア州サラトガのウェストバレー大学に通っていたときにスカウトされ、18歳でモデル業を開始した。
モデルとしてのキャリア
ウォードは1983年にモデルとしてのキャリアをスタートさせ、国際的なスーパーモデルとして名声を博した。最初に、ハーブ・リッツによるカルバン・クラインの下着の写真。その後、カール・ラガーフェルド、スティーブン・クライン、スティーブン・マイゼル、ディミトリス・テオカリス、テリー・リチャードソン、リック・カストロ(最初にリッツを紹介した)などの写真家や、ロベルト・カヴァッリ、シャネル、ドルチェ&ガッバーナ、ディーゼル、フェンディ、 H&M 、ヒューゴボスなどのファッションデザイナーとも仕事を共にした 。
ウォードは、ニューヨーク市のDNAモデル・マネージメント、イタリアのミラノのホワイ・ノット・モデルエージェンシー、ロンドンのプレミア・モデル・マネージメント、ロサンゼルスのフォトジェニックス・モデル・マネージメント、コペンハーゲンのユニークモデルス、パリのバナナ・モデルスと契約を交わした 。
ウォードは彼自身のファッションブランドSixInTheFaceを持つ 。
ウォードはCOLT Studio Groupの有名な写真家ジム・フレンチによって撮影された事もある。
俳優業
1996年、ウォードはブルース・ラ・ブルースとリック・カストロが監督した映画『ハスラー・ホワイト』で初主演を務めた。 1998年には、Jochen Hickによるロサンゼルスのアダルト映画を撮影する人々のセックス・ライフを追ったアダルト・ドキュメンタリー「Sex/Life in L.A.」に出演した 。ウォードは、2010年のゾンビ・スリラー映画『L.A. Zombie』でホームレスのジャンキーを演じ、ラ・ブルースと再び仕事した 。
私生活
ウォードは1990年代の初めにマドンナのボーイフレンドであり、彼女のミュージック・ビデオのいくつか(「チェリッシュ」「ジャスティファイ・マイ・ラヴ」「エロティカ」)と1992年に物議を醸した『SEX』にも登場した。トニーは画家兼写真家でもあり、ロサンゼルスに住んでいる。彼は現在3人の父親 。
1991年4月15日のピープル誌によると、「マドンナと男性モデルのトニー・ウォード(27歳)、彼女の現時点で最新のボーイフレンドであり、「ジャスティファイ」ビデオでの彼女の欲望の一つ、はもはやただのアイテムでは無い。それは偶然の一致かもしれないが、ウォードがマドンナと付き合い始めた後、タブロイド紙が8月21日にラスベガスで行われた急ごしらえの式典で、ギリシャ系オーストラリア人の写真家アマリア・パパディモスさん(23歳)と結婚したことが明らかになったのとほぼ同時に、彼はマドンナの腕から滑り落ちた」。
フィルモグラフィー
映画
- 1996年 - 『ハスラー・ホワイト』(ブルース・ラ・ブルース・リック・カストロ監督)- 主演
- 1998年- 『Sex Life in L.A.』(ヨッヘン・ヒック監督)
- 1999- Out in Fifthy(ボジェシー・クリストファーとスコット・リート監督)
- 2002- All About the Benjamin(ケビン・ブレイ監督)
- 2007年- Story of Jen(フランソワ・ロトガー監督)- 主演
- 2010- L.A. Zombie(ブルース・ラ・ブルース監督)
- 2010 - Out Getting Ribs
ミュージック・ビデオ
- 1987 ABC 「キング・ウィズアウト・クラウン」(ヴォーン・アーネル監督とアンシア・ベントン監督)
- 1988 ベリンダ・カーライル「アイ・ゲット・ウィーク」(ダイアン・キートン監督)
- 1989年 マドンナ「チェリッシュ」(ハーブ・リッツ監督)
- 1989年 テイラー・デイン 「ウィズ・エヴリ・ビート・オブ・マイ・ハート」(デヴィッド・ケロッグ監督)
- 1990年 マドンナ「ジャスティファイ・マイ・ラヴ」(ジャン・バプティスト・モンディーノ監督)
- 1990年 トミー・ペイジ「アイル・ビー・ユア・エヴリシング」(グレッグ・マスアック監督)
- 1992年 マドンナ「エロティカ」(ファビアン・バロン監督)
- 1995年 ラスティー「ミソジニー」(ブルース・ラ・ブルース監督)
- 1996年 ジョージ・マイケル「ファストラヴ」(ヴォーン・アーネル監督とアンシア・ベントン監督)
- 1996年 スパイス・ガールズ「 Say You'll Be There 」(ヴォーン・アーネル監督)
- 1999年 エステロ 「ザット・ガール」(パトリック・ヘルク監督)
- 2000年 シネイド・オコナー 「ジェラシー」(マイク・リプスコム監督)
- 2005年 リサ・マリー・プレスリー 「イディオット」(パトリック・ヘルク監督)
関連項目
参考文献
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/05/26 05:06 UTC (変更履歴)
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