関操 : ウィキペディア(Wikipedia)

関 操(せき みさお、1884年2月23日- 没年不詳)は、日本の俳優である関操 2、キネマ旬報映画データベース、2010年2月13日閲覧。。本名は渡邊 善作(わたなべ ぜんさく)。キャリアをアメリカ合衆国で始めた人物である。

人物・来歴

1884年(明治17年)2月23日、「渡辺善作」として日本に生まれる。

満17歳を迎える1901年(明治34年)にアメリカ合衆国に渡り、1906年(明治39年)から同地で舞台に出演し始める。1915年(大正4年)、同地の映画に出演し始める。ローリン・スタージョン監督の『神々の呼吸』神々の呼吸、キネマ旬報映画データベース、2010年2月13日閲覧。、ノーマン・ドーン監督の『5日間の生命』等は日本でも公開された5日間の生命、キネマ旬報映画データベース、2010年2月13日閲覧。。

1923年(大正12年)に日本に帰国、関と同様にハリウッド帰りのヘンリー小谷が主宰するヘンリー小谷映画で、小谷が監督、栗原トーマスが主演した短篇映画『舌切雀』、栗原が監督、小谷も栗原も出演した短篇映画『続アマチュア倶楽部』等に出演する関操、日本映画データベース、2010年2月13日閲覧。。同年、帝国キネマ演芸巣鴨撮影所で、伊藤大輔が脚色し帰山教正が監督した『父よ何処へ』に出演、同作は同年8月31日に公開されたが、翌日の同年9月1日、関東大震災が起き、東京での映画製作が停止する。翌1924年(大正13年)、京都に移住し、マキノ・プロダクション等持院撮影所に入社する。衣笠貞之助監督の『恋』に出演、志波西果監督の『懐かしき母』からは主演俳優として以降、同社の現代劇に出演した。同年、東亜キネマ甲陽撮影所に移籍、山本嘉次郎監督の『断雲』に主演した。

前年末に帝国キネマ演芸に移籍、1925年(大正14年)初頭に公開された志波西果監督の『幸福』に出演する。当時の同社は内紛のただなかで、同年スピンアウトして設立された東邦映画製作所の第1作、伊藤大輔監督の『煙』に出演している。東邦映画製作所でほか2作に出演したのちに京都に戻り、阪東妻三郎プロダクション設立第1回作品として製作された、二川文太郎監督の『雄呂血』に阪東妻三郎の師匠役で出演する。以降、御室撮影所に新生したマキノ・プロダクション作品に出演するが、翌1926年(大正15年)、衣笠貞之助が衣笠映画聯盟を立ち上げるやその戦線に身を投じ、『狂つた一頁』以降、1928年(昭和3年)の『十字路』まで30作に出演する。その後は、松竹下加茂撮影所に移籍した。

満59歳を迎えた1943年(昭和18年)12月8日に公開された、田坂具隆監督の『海軍』に出演して以降の消息は不明である。

おもなフィルモグラフィ

アメリカ合衆国の映画に関してはInternet Movie Database、註のないものは日本映画データベースを参照。

アメリカ時代
  • Her American Husband : 監督E・メイソン・ホッパー、1918年 - ヨシサダ役
  • Mystic Faces : 監督E・メイソン・ホッパー、1918年 - ゴロー役
  • 『神々の呼吸』 The Breath of the Gods : 監督ローリン・スタージョン、日本配給ユ社支社、1920年 - ユキの父役、「Missao Seki」名義
  • The Outside Woman : 監督ダグラス・ブロンストン、1921年 - トーゴー役
  • Where Lights Are Low : 監督コリン・キャンベル、1921年 - チュン・ウー・ホー・キー役
  • 『5日間の生命』 Five Days to Live : 監督ノーマン・ドーン、日本配給国際活映、1922年 - リー役
  • The Vermilion Pencil : 監督ノーマン・ドーン、1922年 - パイ・ワン役
帰国後
  • 『舌切雀』 : 監督ヘンリー小谷、1923年
  • 『続アマチュア倶楽部』 : 監督栗原トーマス、1923年
  • 『父よ何処へ』 : 監督帰山教正、1923年
  • 『恋』 : 監督衣笠貞之助、1924年
  • 『懐かしき母』 : 監督志波西果、1924年
  • 『争闘』 : 監督金森万象、1924年
  • 『断雲』 : 監督山本嘉次郎、1924年
  • 『幸福』 : 監督志波西果、1925年
  • 『煙』 : 監督伊藤大輔、1925年
  • 『雄呂血』 : 監督二川文太郎、1925年
  • 『狂つた一頁』 : 監督衣笠貞之助、1926年
  • 『照る日くもる日 第一篇』 : 監督衣笠貞之助、1926年
  • 『十字路』 Jujiro : 監督衣笠貞之助、1928年
  • 『斬人斬馬剣』 : 監督伊藤大輔、1929年
  • 『銭形平次』1931年
  • 『鼠小僧次郎吉』 : 監督衣笠貞之助、1932年
  • 『鼠小僧次郎吉 解決篇』 : 監督秋山耕作、1932年
  • 『新納鶴千代』 : 監督伊藤大輔、1935年
  • 『赤西蠣太』 : 監督伊丹万作、1935年
  • 『蒙古襲来 敵国降伏』 : 監督秋山耕作、1937年
  • 『雪之丞変化 闇太郎懺悔』 : 監督大曾根辰夫、1939年
  • 『噫活弁大写真』 : 監督二川文太郎・稲垣浩、オムニバス映画、1976年噫活弁大写真、キネマ旬報映画データベース、2010年2月13日閲覧。

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/07/30 13:47 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「関操」の人物情報へ