ジョルジュ・オーリック : ウィキペディア(Wikipedia)

ジョルジュ・オーリック(Georges Auric, 1899年2月15日 - 1983年7月23日)は、フランスの作曲家。「フランス六人組」の一人として、また映画音楽の大家として知られる。『ムーラン・ルージュの歌』の作者である。

略歴

南仏エロー県のロデーヴ出身。15歳で最初に作品が出版されたほどの神童ぶりを発揮し、20歳になる前に、いくつかの舞台公演のために機会音楽を作曲し、管弦楽法を施した。

まだパリ音楽院に在学中の1920年に、エリック・サティジャン・コクトーを庇護者とする「フランス六人組」に参加し、アヴァンギャルドの一員とみなされた。

コクトーが1930年代初頭に動画の制作に取りかかると、映画音楽の作曲を始める。フランスやイギリス、アメリカの映画産業に多くの楽曲を提供し、その方面で大家として成功を収めた。代表的な映画音楽に、『自由を我等に』(1931年)、『美女と野獣』(1946年)、『赤い風車(ムーラン・ルージュ)』(1952年、主題曲が非常に有名)、『ローマの休日』(1953年)、『恐怖の報酬』(Le Salaire de la Peur, 1955年)、『男の争い』(Rififi, 1956年)、『悲しみよこんにちは』(1958年)、『テレーズとイザベル』(1968年)などがある。

オーリックは、コクトーの規定した「六人組」の理念を映画音楽に持ち込み、単純明快で屈託のない表現と、はっきりと民謡を連想させる旋律やリズム、生命力あふれるオーケストレーションが特徴的である。映画音楽と並行して芸術音楽の作曲も続けていたが、1962年に映画音楽の作曲をやめてパリ・オペラ座の音楽監督に就任し、後にフランス音楽著作権協会の議長に就任した。

モンパルナス墓地に埋葬されている。

主要作品

映画音楽

  • 詩人の血(1930年)
  • 自由を我等に(1931年)
  • シーザーとクレオパトラ(1945年)
  • 美女と野獣(1946年)
  • オルフェ(1949年)
  • ラベンダー・ヒル・モブ(1951年)
  • 夜ごとの美女(1952年)
  • 赤い風車(ムーラン・ルージュ)(1952年)
  • ローマの休日(1953年)
  • 恐怖の報酬(1953年)
  • アンリエットの巴里祭(1954年)
  • 歴史は女で作られる(1956年)
  • ノートルダムのせむし男(1956年)
  • 居酒屋(1956年)
  • 悲しみよこんにちは(1957年)
  • 月夜の宝石(1958年)
  • 恋ひとすじに(1958年)
  • オルフェの遺言(1960年)
  • クレーヴの奥方(1961年)
  • さよならをもう一度(1961年)
  • 大進撃(1966年)

バレエ音楽

  • エッフェル塔の花嫁花婿(1921年) - 「序曲」「リトルネロ」
    「六人組」のオネゲル、ミヨー、プーランクタイユフェールとの合作。
  • うるさがた(1923年)
  • 船乗りたち(1925年)
  • ジャンヌの扇(1927年) - 「ロンドー」
    イベール、ミヨー、プーランク、ラヴェル、ルーセル、フローラン・シュミットらとの合作。
  • フェードル(1948年)
  • 燃え上がる火(1952年)
  • 画家とモデル(1969年)

外部リンク

  • à Georges Auric by ina.fr オーリックの自宅でのインタビュー映像
  • の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト。PDFとして無料で入手可能。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/12/10 15:54 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「ジョルジュ・オーリック」の人物情報へ