新井勝也 : ウィキペディア(Wikipedia)

新井 勝也(あらい かつや、1993年5月6日 - )は、千葉県船橋市出身の日本のプロ野球選手(内野手)。

経歴

独立リーグ入団前

小学1年生のときから少年野球チームで野球を始める。6年生時にはキャプテンを務め、千葉県大会で準優勝。当時のポジションは遊撃手。中学時代は硬式野球の船橋シニアでプレー。

高校は野球の推薦で千葉県立千葉商業高等学校に進学。クリーンナップを任され、この頃から二塁を守るようになる。3年間で甲子園大会には出場できず、最高は県大会ベスト16。

大学も野球の推薦で千葉県大学野球連盟の清和大学法学部に進学。大学では、遊撃、二塁のほか、三塁も守った。大学卒業後には独立リーグを経由してのNPB入りを目指したが、4年生の春に右肩を脱臼。手術を受け、医師からの診断では完治まで1年かかるとされ、都市対抗野球大会常連の社会人野球チームからのオファーもあったが、その肩の具合から辞退した。

大学卒業後は上京し、飲食店に就職。その会社がスポンサーをしているクラブチーム・新波に入団した。野球を優先する契約だったが、働きながらリハビリや練習をする中で肩の完治に2年を要してしまい、野球ができない状態が続いた。

秋に独立リーグ・四国アイランドリーグplusのトライアウトを受験。肩の状態はまだ万全ではなかったが、年齢のこともあり強行出場した。守備力がリーグ関係者の目に留まり、愛媛マンダリンパイレーツへの入団が決まった。

独立リーグ入団後

愛媛1年目のはレギュラーを確保できず、控えに回り、半分程度の試合にしか出場できなかった。

は肩の状態が万全になり、二塁のレギュラーを奪取する。上位打線を中心に全70試合に出場し、リーグ11位の打率.253、チーム2位の16盗塁の成績を残す。シーズン終了後には四国IL選抜チームの第2次選抜メンバーとして、みやざきフェニックス・リーグに後半戦から参加した。オフは打撃力向上を目指し、フィジカルトレーニングに励んだ。

しかし、は打撃が向上せず、打率は.231に終わる。シーズン終了後、任意引退で愛媛を退団した。なお、新井によると表面上は任意引退だったものの、実質的には成績・年齢面からの自由契約であったという。なお、NPB入りを目指しながらも、愛媛での3年間で調査書は1通も届かなった。

同年オフ、九州地方に新たな独立リーグ・九州アジアリーグが発足。同リーグの大分B-リングスのトライアウトを受験し、同球団への入団が決まった。大分1年目のはチームの専任選手では最年長であったことや、四国での3年間の経験を買われ、初代キャプテンに任命された。新井はこの年をNPB挑戦のラストシーズンと位置づけ、野球道具費や生活費、活動費、スポンサー集めのための資金援助を目的としたCAMPFIREでのクラウドファンディングを実施した。レギュラーとして出場を続けたが、この年もNPBから声はかからなかった。しかし、九州での1年間のプレーを通し、現役続行を決意した。

シーズン終了後、10月25日にいったんはから選手兼任でコーチに就任することが発表されたが、11月29日に「アメリカ野球への挑戦」を理由に大分を退団することが発表された選手契約について - 大分B-リングス(2021年11月29日)2021年11月29日閲覧。。アメリカ野球挑戦のために再度、CAMPFIREでのクラウドファンディングを立ち上げ、トラベリングチームのアジアン・ブリーズに参加してアメリカでの移籍先を探した。

プレー予定のアメリカのリーグの開幕まで期間があり、2022年4月27日、大分に選手として復帰することが発表された大分B-リングス 新入団選手のお知らせ - 九州アジアプロ野球機構(2022年4月27日)2022年4月27日閲覧。。背番号は前年とは異なる55を着用した。そして、6月よりリーグ戦の始まる北米独立リーグのに参加するため、5月24日に自由契約となった。

6月からエンパイア・リーグのに入団し、シーズン初戦から先発出場した。7月後半からはに移籍してプレーした。

8月17日、大分への2度目の復帰が発表され、背番号は前回とも異なる56番となる新入団選手のお知らせ - 大分B-リングス(2022年8月17日)2022年8月17日閲覧。。シーズン終了後の12月16日、自由契約となった。

12月14日、北米独立リーグでに認定されているフロンティアリーグのと契約を結んだことを発表した。は8試合の出場にとどまり、打率.154、0本塁打、2打点の成績に終わっている。

2月21日、カナダののと契約を結んだことを報告した。

選手としての特徴・人物

守備範囲が広く、安定感のある守備や、俊足を持ち味とした内野手。独立リーグ入りしてからは内野の中で一番動き、頭を使うポジションだとして魅力を感じ、二塁手としてプレーする。愛媛時代の1年目はフィールディングに挫折を感じたものの、2年目、当時コーチだった白根尚貴からグラブを借りると、捕球率が格段にあがり、守備に自信をつけていった。一方、打撃力を課題とする。

小学生の頃からプロ野球選手になりたい思いを持っていたものの、高校時代まではそこまで強く思っておらず、高校3年時には制度も知らなかったこともあり、プロ野球志望届を提出しなかった。

野球を始めたきっかけはテレビに映るイチローに憧れたことから。のちに青木宣親も目標とした。なお、両選手ともに外野手であるものの、新井は一貫して内野手であるが、これは当時、守備には興味がなく、バッティングしか見ていなかったためである。四国アイランドリーグplusのトライアウトを受けたきっかけは、新井と同じ身長で小柄な水口大地が、香川オリーブガイナーズを経てNPB入団を果たした経歴を知ったことから。

詳細情報

独立リーグでの年度別打撃成績

愛媛388875141631021841526-0110.213.265.280.545
70301261286662076201627231-0341.253.330.291.621
5017814313331003411355224-4110.231.353.238.590
大分4820016216444505819869127-1274.272.377.358.735
278570917200195113012-0121.243.354.271.625
IL:3年1585674795511510301313923817661-4561.240.327.274.601
KAL:2年75285232256165077249712139-1395.263.370.332.702
  • 2022年度シーズン終了時
  • 太字はリーグ最高

背番号

  • 4 (2018年 - 2021年、2022年6月 - 7月)
  • 55 (2022年 - 同年5月23日)
  • 25 (2022年7月)
  • 56 (2022年8月17日 - 同年終了)

関連情報

出演

CM

  • 府内産業(2021年)
  • 柴田産業(2021年)

関連項目

  • 愛媛マンダリンパイレーツの選手一覧
  • 大分B-リングスの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2025/06/26 22:19 UTC (変更履歴
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