HIROYA : ウィキペディア(Wikipedia)
HIROYA(ひろや、1992年1月6日 – )は、日本の男性キックボクサー。神奈川県愛甲郡愛川町出身。TRY HARD GYM所属。初代krush - 65kg級(現:スーパーライト級)王者。アマチュアムエタイ世界選手権ジュニア部門ピン級金メダリスト。実弟は同じくキックボクサーの大雅。
来歴
幼少期
泣き虫だったことから父親に勧められて3歳から空手を始め、小学4年生からキックボクシングを始めたTOKYO HEADLINE 2017年2月1日。
2003年、11歳で「K-1ちびっこファイト」に出場、魔裟斗に対面を果たした。
2005年3月19日 - 26日、タイのタンマサート大学で行われた「2005 W.M.F. WORLD CHAMPIONSHIP」に参加。男子ジュニア部門のピン級で優勝した。
2006年2月23日 - 3月1日、インドのバンガロール市内にあるインドア・スタジアムで行われた「2nd OPEN ASIAN KICK BOXING CHAMPIONSHIP 2006」に参加。男子ジュニア・ローキック部門54kg級で優勝し、男子フルコンタクト部門48kg級王者との対決を制した。2006年3月に再び主催の世界選手権に参加。男子ジュニア部門バンタム級で準優勝を果たした。
K-1参戦
2006年9月、魔裟斗が所属するシルバーウルフジムを単身で訪れ、自分の技術を見せた(当初、魔裟斗は彼のことを自分のファンだと思い込んでいた)。すると、その技術に驚いた魔裟斗が谷川貞治K-1プロデューサーにそのことを報告、同プロデューサーがそのことをHIROYA本人に伝え、K-1参戦が決定した。
2007年2月5日、アマチュアルールでK-1 WORLD MAX 2007 〜日本代表決定トーナメント〜のワンマッチに15歳で参戦。20歳の高橋明宏を3Rにローキックでタオル投入によるTKOで下しK-1初勝利を飾った。
2007年4月4日、K-1 WORLD MAX 2007 〜世界最終選抜〜において、西村憲孝と対戦。1Rに3度のダウンを奪い、1RKO勝ち。
タイ留学・ムエタイ修行
2007年3月の中学卒業後、タイ・バンコクのセントジョーンズ・インターナショナルハイスクールへ留学し、学業をこなすと同時にムエタイの修行を行う。
2007年9月1日、タイでサクダー・ルークロムクラーオと対戦し、2RKO勝ち。
2007年10月3日、K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜において、高校3年生の韓国人選手クォン・オルチャンと対戦。お互いに最後までKOを狙う攻防となったが、勝負は判定での勝利となった。
2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!で開催された「K-1甲子園 U-18日本一決定トーナメント」に出場。1回戦で才賀紀左衛門と対戦し判定勝ちを収めたが、決勝で雄大と再戦し、打ち合った結果、延長ラウンドで判定負けでリベンジ失敗。
2008年1月3日、「K-1甲子園」で優勝できなかったケジメとして、頭を丸刈りにした【K-1ユース】“ケジメの丸坊主”HIROYA「世界を知ってもっと成長したい」 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年1月11日。
2008年2月2日、K-1 WORLD MAX 2008 〜日本代表決定トーナメント〜で行われたオランダとの3対3対抗戦・大将戦でロビー・ハヘマンと対戦し、2RKO勝ち。
2008年4月9日、K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL16で大晦日に対戦が流れた藤鬥嘩裟と改めて対戦し、判定勝ち。試合前から舌戦を繰り広げた。
2008年8月29日、K-1甲子園 KING OF UNDER 18 〜FINAL16〜のK-1甲子園2008 1回戦で園田顕悟と対戦。2Rに右フック、3Rに左ストレートでそれぞれダウンを奪うなどして判定勝ち。
2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINALのK-1甲子園2008準々決勝で平塚大士と対戦し、1R開始24秒2ノックダウンでKO勝ち。
2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜のK-1甲子園2008準決勝で嶋田翔太に3-0の判定勝ち、続く決勝では卜部功也に3-0の判定勝ちで優勝を果たした。
2009年2月23日、K-1 WORLD MAX 2009 〜日本代表決定トーナメント〜で才賀紀左衛門と再戦し、2-0の判定勝ちを収めた。
2009年4月21日、K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL16で魔裟斗とエキシビションマッチで対戦した。
2009年7月13日、K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL8で、総合格闘家キコ・ロペスと対戦。HIROYAは前日計量では1.7 kgも体重超過した。2Rに右膝蹴りでダウンを奪うなどして3-0の判定勝ちを収めた【K-1MAX】魔裟斗が貫禄の勝利!KIDは衝撃のKO負け、山本がベスト4進出 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年7月13日。
2009年8月10日、K-1甲子園 〜FINAL 16のK-1甲子園2009 62kg級1回戦で西川康平と対戦し、3者とも30-29という僅差の判定勝ち。
2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINALで行われたK-1甲子園2009 62kg級 準々決勝で日下部竜也と対戦し、2-1の判定勝ちを収めた【K-1MAX】魔裟斗、最後の相手が遂に決定!初出場のペトロシアンが世界王者に 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年10月26日。
2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のK-1甲子園2009 62kg級準決勝にて、野杁正明と対戦し、1・2Rダウン寸前まで追い込まれて判定負け。
2010年6月、セントジョーンズインターナショナルハイスクールを卒業し、帰国HIROYAがジムをオープン デイリースポーツonline 2010年7月26日。同年8月、神奈川県相模原市(古淵駅)に自ら代表を務めるキックボクシングジム「Try Hard Gym」をオープンしたHIROYAがジムオープン! 学生起業家ファイターに K-1公式サイト 2010年7月26日。
2010年11月8日、K-1 WORLD MAX 2010 -70kg World Championship Tournament FINALで久保優太と対戦し、0-3の判定負けを喫した【K-1MAX】佐藤嘉洋、無念…決勝戦で力尽きる!ペトロシアン史上初の2連覇を達成 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年11月8日。
2011年5月15日、谷山ジム主催「ビッグバン・統一への道 其の五」で、J-NETWORKライト級王者黒田アキヒロと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。
2011年6月25日、K-1 WORLD MAX 2011 -63kg Japan Tournament FINAL1回戦で、前年チャンピオンの大和哲也と対戦し惜しくも判定負け。MAXトーク! 世界の刺客が久保を襲う! K-1公式サイト 2011年7月8日。
2011年10月10日、Krush YOUTH GP 2011 開幕戦IのKrush YOUTH GP 2011トーナメント・Aブロック1回戦で星川大輝と対戦し、右ローキックでKO勝利。Aブロック決勝戦で小川翔と対戦し判定勝ち。
2011年12月9日、Krush.14のKrush YOUTH GP 2011トーナメント準決勝で野杁正明と対戦し、判定負け。
2012年9月9日、Krush YOUTH GP 2012 開幕戦IIのKrush YOUTH GP 2012 -63kg級トーナメント1回戦で東本央貴と対戦しKO負け。
2013年3月10日、Road to GLORY JAPAN -65kg SLAMのRoad to GLORYトーナメント1回戦で野杁正明と対戦し、0-2の判定負け。
2014年1月4日、Krush.37の初代Krush -65kg級王座決定トーナメント1回戦で西川康平と対戦し、KO勝利。
Krush王座獲得
2014年3月8日、Krush.39の初代Krush - 65kg級王座決定トーナメント準決勝でNOMANと対戦しKO勝利、決勝戦でTaCaにKO勝利をして、初代Krush -65kg級王座を獲得した。
2014年7月13日、Krush.43のKrush - 65kg級王座防衛戦で寺崎直樹と対戦しKO負け。王座の初防衛に失敗し、王座陥落した。
2014年11月3日、K-1 WORLD GP -65kg級初代王座決定トーナメント1回戦でマイケル・"トマホーク"・トンプソンと対戦し、2-0の判定勝利を収めるが、準決勝で左右田泰臣に0-2の判定負けを喫した。
2015年12月29日、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYSで総合格闘家の西浦"ウィッキー"聡生と対戦し、KO勝ち。
2016年3月4日、K-1 WORLD GP 2016 -65kg級日本代表決定トーナメント1回戦で寺崎直樹と再戦しKO勝ち。準決勝で野杁正明と対戦し、判定負け。
2016年6月24日、K-1 WORLD GP 2016 -65kg級世界最強決定トーナメント1回戦でゲーオ・ウィラサクレックと対戦しKO負けを喫した。
2017年4月22日、K-1 WORLD GP 2017 JAPAN ~第2代スーパー・バンタム級王座決定トーナメント~で大和哲也と6年ぶりに再戦し、左フックで2RKO負けを喫した。
2018年6月17日、RISE 125で高谷裕之と67 kg契約で対戦し、3Rに右フックでKO勝ちを収めた【RISE】初参戦のHIROYAが高谷からダウン奪いKO勝利イーファイト 2018年6月17日。
RIZIN
2019年10月12日、RIZIN.19で参戦予定だった松倉信太郎のドクターストップによる欠場のため、松倉の所属するジムの代表であるHIROYAが代打として緊急参戦することになり、小西拓槙と77.0 kg契約で対戦するも、飛び膝蹴りでKO負けを喫した【RIZIN】HIROYAがKO負け、小西拓槙の飛びヒザ蹴りに沈むイーファイト 2019年10月12日。
2020年12月31日、RIZIN.26でシバターと1Rはキックボクシング、2Rは総合格闘技ルールのミックスルールで対戦。シバターが92.6 kg、HIROYAが74.8 kgと体重差が約18 kgある対戦となった。2Rを戦い抜き一度は引き分けの裁定が下されたが、映像検証を経て、競技運営機構の審議の結果、HIROYAがシバターの腕ひしぎ十字固めに2R 0分38秒でタップアウトをしていたとして、シバターの一本勝ちに変更となったLOSE)HIROYA vs. シバター(WIN)RIZIN公式サイト 2020年12月31日。
戦績
プロキックボクシング
ミックスルール
アマチュアキックボクシング
エキシビションマッチ
獲得タイトル
- 2005年度 WMF世界アマチュアムエタイ選手権大会 ジュニア部門ピン級(42 - 45 kg) 優勝
- 2006年度 WMF世界アマチュアムエタイ選手権大会 ジュニア部門バンタム級(54 kg) 準優勝
- 2006年度 AFK第2回オープンアジアキックボクシング選手権大会 男子ジュニア・ローキック部門54kg級 優勝
- 2007年 K-1甲子園 準優勝
- 2008年 K-1甲子園 優勝
- 初代Krush - 65kg級王座
出典
試合映像
補足映像
関連項目
- 男子キックボクサー一覧
- K-1選手一覧
外部リンク
- HIROYA オフィシャルブログ
- TRY HARDジム
- RIZIN 選手データ
- K-1 選手データ
- イーファイト 選手データ
- HIROYA 公式プロフィール - サムライ・マネジメント
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/11/11 20:41 UTC (変更履歴)
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