野村昊 : ウィキペディア(Wikipedia)

野村 昊(のむら ひろしシリーズ・日本の撮影監督 2、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年3月1日閲覧。、1897年 - 1984年)は、日本の撮影技師である。松竹キネマ(現在の松竹)を代表する映画カメラマンである。

人物・来歴

1897年(明治30年)に生まれる。

写真館に就職し、写真術を学ぶ。満23歳を迎える1920年(大正9年)、水谷文二郎とともに同年設立された松竹キネマに入社、松竹蒲田撮影所に所属する。1921年(大正10年)2月28日に公開された関根達発主演、田中欽之監督の『親なき娘』でデビューした野村昊、日本映画データベース、2010年3月1日閲覧。。同年の田中欽之・近藤伊与吉共同監督による『極光の彼方へ』は、同撮影所の後輩技師・三浦光雄が「豊麗な画調」と評した。

1936年(昭和11年)、撮影所の大船移転に際し、松竹大船撮影所に異動した。大船第1作は清水宏監督の『感情山脈』である。トーキー以降は、佐々木康の専属カメラマン化した。1942年(昭和17年)には、佐々木とともに満洲映画協会に赴き、李香蘭(のちの山口淑子)を主演に『迎春花』の撮影を行っている迎春花、日本映画データベース、2010年3月1日閲覧。。

1946年(昭和21年)、大船撮影所を退社、満50歳を目前に映画界から引退した。

1984年(昭和59年)、死去した。満86-87歳没(享年88)。

おもなフィルモグラフィ

  • 『親なき娘』 : 監督田中欽之、1921年 - デビュー作
  • 『極光の彼方へ』 : 監督田中欽之・近藤伊与吉、1921年
  • 『小羊』 : 監督賀古残夢、1923年
  • 『魔道』 : 監督斎藤寅次郎、1927年 - 小原譲治と共同
  • 『突貫小僧』 : 監督小津安二郎、1929年
  • 『東京の英雄』 : 監督清水宏、1935年
  • 『感情山脈』 : 監督清水宏、1936年
  • 『純情二重奏 前篇』 : 監督佐々木康、1939年 - 寺尾清と共同
  • 『純情二重奏 後篇』 : 監督佐々木康、1939年 - 寺尾清と共同
  • 『征戦愛馬譜 暁に祈る』 : 監督佐々木康、1940年
  • 『迎春花』 : 監督佐々木康、1942年 - 満洲映画協会製作
  • 『高原の月』 : 監督佐々木啓祐、監督応援佐々木康、撮影渡辺健次、1942年 - 斎藤正夫と共同で撮影応援

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/04/19 23:31 UTC (変更履歴
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