ジェーン・ラッセル : ウィキペディア(Wikipedia)
ジェーン・ラッセル(Jane Russell, 1921年6月21日 - 2011年2月28日)は、ミネソタ州ビミジ出身の女優。
1940年代から1950年代を代表するグラマー女優だった。
略歴
本名はアーネスティン・ジェーン・ジェラルディン・ラッセル(Ernestine Jane Geraldine Russell)。ジェーンが幼年期に、カリフォルニア州サンフェルナンド・ヴァレーへ移住。父親が若くして亡くなったため、写真のモデルをして家計を助けた。1940年、ハワード・ヒューズが制作する映画『ならず者』のヒロイン・オーディションに合格。主人公がビリー・ザ・キッドなど西部の荒くれ者ばかりのため、野性的で肉感的なヒロイン像を描いていたヒューズの好みにぴたりと合ったのである。
ヒューズは監督を交代させ自身が監督となり、映画の宣伝のために胸元を大きく開いたジェーンの写真を宣伝用に大量にばらまいた。第二次世界大戦のため前線にいる兵士たち用にも、ブロマイドを作成して配布した。一年がかりで完成した映画は、1943年に公開。当時としては際どいシーンが検閲に触れ、公開禁止運動が巻き起こり上映中止に追い込まれた。しかし、この作品でジェーン・ラッセルはセックス・シンボルとして名前が知られるようになった。のち20世紀フォックス社と契約。マリリン・モンローと共演したミュージカル映画『紳士は金髪がお好き』では、マリリンと並ぶ圧倒的人気を得た。
2011年2月28日、呼吸不全のためカリフォルニア州サンタマリアの自宅で死去セクシー女優 J.ラッセルさんが死去 産経新聞 2011年3月1日閲覧。。
人物
『紳士は金髪がお好き』の撮影中、ゴシップ誌はジェーンとマリリンの不仲を望んだが、2人は大変に仲が良かった。気っぷの良い姉御肌のジェーンが、内気で神経過敏なマリリンを常にかばい、マスコミ取材には防御役となった。当時公開の宣伝資料によると「お互いの楽器の相違をわきまえた和気あいあいとした撮影現場」だったという。
ジェーンとマリリンの際どい写真が欲しいカメラマンが近づくと、マリリンは控え室に籠もって出てこなかった。代わって彼らの処理をするのがジェーンの役目で、彼女はカメラマンの下品なジョークも悠然と受けて立ち、彼らの希望に応えてポーズをとった。
マリリンの死後同映画での共演のエピソードを尋ねられた際にはいつも「大変チャーミングで繊細な素敵な人でした」と懐かしそうに述べている。
グラマー女優として有名になるほど、作品が検閲にすぐ引っかかり話題となった。本人はいたって陽気であっけらかんとしたもので、「肉体は隠すから汚くなるもので、太陽の下ではさらせばさらすほどきれいになるものよ。」と意に介さなかった。
3回結婚しているが、同時代のグラマー女優ラナ・ターナーらに比べれば、スキャンダルが少ない。ジェーンは熱心なキリスト教徒で、養子縁組の支援活動も行っている。最初の夫で、アメリカンフットボール選手だったロバート・ウォーターフィールドは幼なじみであった。二度目の夫、三度目の夫とも亡くなるまで連れ添っている。
ハリウッドでも名の知れたプレイボーイであったハワード・ヒューズに見いだされながら、彼の魔の手から逃れられたのは「奇跡」だと言われている(本人曰く、酔って寝ていた自分に手を出そうとしたヒューズを一喝したところ、彼は何もせずに引き下がったという)。
映画出演作品
- ならず者 The Outlaw (1943)
- カラミティ・ジェーンの大銃撃戦 The Paleface(1948)
- 犯罪都市 The Last Vegas Story (1951)
- 紳士は金髪がお好き Gentlemen Prefer Blondes (1953)
- フランス航路 The French Line (1954)
- 海底の黄金 Underwater! (1955)
- たくましき男たち The Tall Men (1955)
- 紳士はブルーネット娘と結婚する Gentlemen Marry Brunettes (1955)
- 熱い血 Hot Blood (1956)
脚註
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/11/28 06:30 UTC (変更履歴)
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