ピエール・ムニエ : ウィキペディア(Wikipedia)
ピエール・ムニエ(Pierre Meunier, 1908年8月15日 - 1996年4月16日)は、フランスの政治家。
生涯
パリ大学法学部卒業。1929年、大蔵省入省。公共財政担当、会計監査官。1936年~38年、空軍大臣ピエール・コットの官房長。
ナチス・ドイツ占領下のパリでレジスタンス活動に従事。ロベール・シャンベロン、アンリ・マネスなどと共にジャン・ムーランに協力し、C・N・R(全国抵抗評議会Conseil national de la Résistance)の事務総長を務めた。この間、エマニュエル・ダスティエにジャン・ムーランの肖像画を描いてみせた。1944年8月18日にC・N・Rの総会の議事録を作製。8月24日にパリ解放を迎える。
第二次世界大戦後、1946年~83年まで国民議会議員(コート=ドール県選出)、コート=ドール県県議会議員、アルネ=ル=デュック市長を歴任した。
1964年のジャン・ムーランの葬儀には妻のシモーヌ・ムニエと共に出席する。
著書
- 『我が友ジャン・ムーラン レジスタンスの英雄の生と死』(モーリス・ヴーテ執筆協力、福本秀子訳)、東洋書林発行、1996年
関連項目
- 全国抵抗評議会
- ダニエル・コルディエ
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/02/01 22:29 UTC (変更履歴)
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