五明樓玉の輔 : ウィキペディア(Wikipedia)
五明樓 玉の輔(ごめいろう たまのすけ)は、落語家の名前。過去に五代まで続いている五明楼玉輔の名跡がある。
- 八光堂玉の輔 - 後∶初代八光堂春輔
- 五明樓玉の助 - 本項にて記述
五明樓 玉の輔(ごめいろう たまのすけ、1966年1月4日 - )は、神奈川県横浜市出身の落語家。落語協会理事。本名:鈴木 隆司。出囃子は『お猿のかごや』。
経歴
明治大学付属中野高等学校卒業。
1985年4月、春風亭小朝に入門。9月に 前座となり、前座名「あさ市」を名乗る。1989年5月、二ツ目昇進。
1998年9月に入船亭扇好、三遊亭金時、十一代目柳家小きんと共に真打昇進して「五明樓玉の輔」と改名。2000年、国立劇場花形若手演芸会で銀賞を受賞。2004年には彩の国落語大賞で技能賞を受賞した。
2010年、落語協会理事に就任。
芸歴
- 1985年
- 4月 - 春風亭小朝に入門。
- 9月 - 前座名「あさ市」として楽屋入り。
- 1989年5月 - 二ツ目昇進。
- 1998年9月 - 真打昇進、「五明樓玉の輔」と改名。
受賞歴
- 2000年 - 『国立劇場花形若手演芸会』銀賞
- 2004年 - 『彩の国落語大賞』技能賞
人物
- 春風亭小朝の直弟子としては二番弟子である。真打昇進時に、一番弟子の橘家圓太郎は『圓太郎囃子』、三番弟子の蝶花楼桃花は『仙桃』と小朝にオリジナル出囃子を制作してもらったが、玉の輔はなぜか『お猿のかごや』である。
笑点Jr.出演者として
- 笑点の番組前半に若手大喜利が行われていた時代から『笑点Jr.』放送終了まで出演している(若手大喜利に出演し始めたころはまだ真打昇進前で春風亭あさ市の名であった)。
- 座る席は一番右で高座着はスカイブルーと4代目三遊亭小圓遊を彷彿とさせるが、「ぶらりぃ~」と男性器を連想させるポーズをとったり、下ネタを披露したりなど、キャラクターは小圓遊というよりも三遊亭小遊三に近い。
- 2010年8月8日の放送では、右足を骨折していたため、松葉杖を持って出演した。完治後の2010年9月13日の放送の挨拶で「骨折したのは右足なのにウィキペディアに「両足骨折」と書かれていて少し心が折れた」と発言している(これは本当の話である)。
出演番組
テレビ
- 平成名物TVヨタロー(1990年 - 1991年・TBS)
- BS笑点(2003年10月 - 2007年2月・BS日テレ 土曜19:00 - 19:55)→笑点Jr.(2007年4月 - 2011年3月・日テレプラス 日曜15:00~16:00) -大喜利に出演。
- ものまねバトル(日本テレビ)-TOKIOのメンバー松岡昌宏の真似をしている。
- ふるさと愉快亭 小朝が参りました(NHK総合) あさ市時代にレギュラー出演。
- 爆笑オンエアバトル(NHK総合)戦績0勝1敗 最高281KB
- 美の壺(NHK教育)「手ぬぐい」の回にゲスト出演。手ぬぐいコレクターとして、数々の蔵品・蘊蓄を披露した。
- ペケ×ポン(フジテレビ)「ペケポンなぞかけ」コーナーにVTR出演。
映画
- 二つ目物語(2022年、林家しん平監督、クロスロード)- 傘家春雨 役
書籍
- 噺家の手ぬぐい(日東書院本社、2007年、ISBN 4528018845)
- これがきっかけでNHK教育の視点・論点で解説を行った。
五明樓玉の助
五明樓 玉の助(ごめいろう たまのすけ、1905年4月13日 - 1978年12月5日)本名は原正治。父は4代目五明樓玉輔。12、3歳の時から父の元で小玉を名乗って修行していた。1921年ころ?に玉の助と改名、色物の巴家おもちゃに手解きを受け紙切りの修行をしていたがあまり成果出ず、1927年3月柳家金語樓の門下で金之助、春朗、1935年ころ?に玉の助(玉之輔)に復した。大戦中に廃業し淀橋で洋食店を営んでいた。
参考文献
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
- 古今東西噺家紳士録
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/09/07 05:49 UTC (変更履歴)
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