島倉千代子 : ウィキペディア(Wikipedia)

島倉 千代子(しまくら ちよこ、1938年(昭和13年)3月30日 - 2013年(平成25年)11月8日島倉千代子さんが肝臓がんで死去、75歳 日刊スポーツ 2013年11月8日)は、日本の演歌・歌謡曲歌手。東京府東京市(現在の東京都)品川区北品川出身島倉千代子(2016年4月12日時点のアーカイブ) - スポーツニッポン。、日本音楽高等学校卒業。愛称は「お千代さん」。

生涯

デビュー以前

1938年3月30日(水曜日)、品川区北品川に警察官の父・島倉、母・ナカの二男四女の四女として生まれる。島倉家は越前一乗谷城主朝倉義景の末裔という。

1945年(7歳)、長野県松本市へ疎開。両親の実家がある群馬県桐生市にも半年間、疎開していた事がある。井戸から水を運ぶ途中に転倒、水の入ったビンを割り、左手首からひじまでを負傷。母・ナカが「女の子だから(腕を)残して欲しい」と医師に懇願し、切断は免れたが47針を縫い、感覚も無く、動かすこともできなくなる(後に不自由ながらも動かすことができるようになる)。この時の輸血がのちに千代子が患ったC型肝炎の遠因となった。気持ちの沈んだ千代子のために母・ナカは『リンゴの唄』を聞かせるようになる。後に『この世の花』で歌手デビューを遂げた千代子だが、『この世の花』の作曲は『リンゴの唄』の作曲と同じく万城目正によるもの。

1947年(9歳)、東京に戻る。姉の敏子は歌唱力があったが小児麻痺を患っていたために歌手にはなれなかった。大好きな姉のために自分が歌手になると決意。敏子により声楽を学び、近所の「若旦那楽団」に入団。左手に負担の無いアコーディオンを担当。歌唱力があったためボーカルにも起用されていた。地元の品川神社で催されたのど自慢大会には毎回姉妹で参加していた。

1949年3月、童謡『お山のお猿』がテイチクレコードから発売される。ただし誤植(レコード会社の社員によるミスとされている)により「戸倉千代子」名義となってしまったため、「島倉千代子」のデビュー作とはならなかった『島倉家―これが私の遺言』118-121頁。。

1950年代

1953年(15歳)、品川区の私立日本音楽高等学校(現・品川学藝高等学校)へ入学。歌謡コンクールにも積極的に参加するようになる。1954年、コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、同社と専属契約。

1955年3月島倉千代子(日本コロムビア)(16歳)、本名「島倉千代子」で歌手デビュー。デビュー曲『この世の花』(同名の映画の主題歌)は半年後に200万枚達成、人気歌手になる(後にテレビドラマでカバーされ、1977年に同名の映画の2作目で再度カバーされる)。1955年23曲、1956年34曲、1957年37曲、1958年33曲と驚異的な速さで新曲を発表。

1957年(19歳)、『東京だョおっ母さん』が150万枚のヒット。映画化もされ、自ら主演する。この年初めてNHK紅白歌合戦に初出場(曲目は『逢いたいなァあの人に』。その後、1976年、1979年にも歌唱)。当時大卒サラリーマンの給料が1万円であったが、千代子は常に財布に2千円入っていた。この年の3月、島倉を殺害しようとした16歳の無職少年が逮捕される。

1958年(20歳)、港区高輪(北品川の隣町)に一戸建てを購入。同年には『からたち日記』が130万枚のヒットとなった。

1960年代

1960年(22歳)、美空ひばりとともに『つばなの小径・白い小ゆびの歌』を発表。同年、ひばりを抑えて初めて紅白の紅組トリを務める(1960年から1962年、1973年から1975年の計6回に渡り紅組トリを務める。1975年は唯一の大トリ)。

1961年(23歳)、ファンの投げたテープが両目に当たって失明の危機に陥る。このとき、品川区五反田「守屋眼科」の医師・守屋義人の助けで視力を回復。

1962年(24歳)、何者かによって後援会事務所に爆発物が送りつけられ、負傷者が出る(草加次郎事件)。

1963年(25歳)、父・壽雄が他界。悲しみにくれる中、支えてくれた元阪神タイガースの藤本勝巳と母親の反対を押し切り結婚。結婚前に妊娠したが中絶、結婚後も二子をもうけたが中絶した『歌ごよみ』島倉千代子著、読売新聞刊 (1994/01)。後年、この三人の子を合わせて「忍」と名付け、その名を小さな地蔵に付けて肌身離さず持ち歩いた。忍の名は、島倉の墓碑にも千代子と並んで刻まれている。

1968年(30歳)、「泣き節」を売り物としていた彼女にとり異色の作品である『愛のさざなみ』が幅広い世代の間でヒット。この曲で第10回日本レコード大賞・特別賞を春日八郎と共に受賞。すれ違いの多い生活により別居を経て離婚。家族の元に戻るも反対を押し切って結婚したために門前払いされ、自分だけの戸籍を作る。

1970年代

1972年(34歳)、母・ナカが脳軟化症により他界。

1975年(37歳)、以前かかった眼科医に頼まれ実印を貸してしまう。その知人だけではなく、島倉が知らない間にマネージャーや全く面識のない赤の他人まで多数の人々の保証人にされてしまう。島倉を保証人に借金を重ねた人々はその後行方不明になり、その借金が雪だるま式に膨らんでいき当時総額16億円といわれた莫大な借金を抱える。後に美空ひばりから「実印は貸すな」と注意を受けたという(ひばり自身も実印を押してしまった経験を持つため)。この借金の整理の過程で細木数子と知り合い、以後しばらくの間細木が島倉のマネージャーを務めた《写真あり》「刑務所のタクアンって、こんなにおいしいのね」元ヤクザもびっくり! 刑務所慰問に島倉千代子とともに現れた「超大物タレント」の正体 - 文春オンライン・2023年5月14日。

1977年(39歳)、今度は島倉に信頼され、島倉に手形の裏書をさせていた守屋義人が事業に失敗して、不渡り手形を出し蒸発。島倉は借金の連帯保証人にされ、これにより更に2億4000万円(当時判明分)の債務を負う。20億近くもの莫大な借金返済のため、写真集の発売や全国各地のキャバレー回りや地方興行などをしながら、足掛け7年程で完済した。このような活動をしている最中でも島倉の人気は全く衰えを知らず、NHK紅白歌合戦の連続出場記録は続く。

1980年代

1984年(46歳)、歌手生活30周年を迎える。

1986年(48歳)、第37回NHK紅白歌合戦で紅白歌合戦への30年連続30回出場を達成。当時の紅白史上最多記録だった。

1987年(49歳)、『人生いろいろ』を発表。「30回という区切りを大切にしたい」と“紅白辞退”の記者会見を行い、紅白連続出場記録は30回でストップ。出場辞退表明の記者会見で若手記者から「結局、落選するのが怖かったということですか」と辛辣な質問をされ、「その通りです」と返答した『島倉家-これが私の遺言』108-109頁。島倉千代子著、文芸社 (2005/02)。『紅白50回』のインタビューで本人は「辞退は前年の時点で決めており、前回身に纏った白色の着物はその表れだった」「ここ数年紅白に出られるか出られないかで不安だった。もし落選したらショックで歌えなくなると思った。そのため、余力のあるうちに辞退しようと思った」と語った。島倉は出場辞退をこの年発売の『人生いろいろ』の作曲者で当時療養中の浜口庫之助に報告したところ、「紅白で『人生いろいろ』が聞けないのか」と返されたことを明かしている『島倉家-これが私の遺言』79頁。。

1988年(50歳)、『人生いろいろ』が前1987年からこの年にかけて130万枚の大ヒットを記録。当時の人気バラエティー番組「オレたちひょうきん族」での山田邦子コロッケによる物真似をきっかけに『人生いろいろ』が若者にも受け、再びブレークする。同年の第30回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞。100万枚記念パーティーでは、山田とコロッケが本人の目の前で、島倉の物真似による『人生いろいろ』を歌唱。これに対し島倉は、「山田邦子さんとコロッケさんのおかげで、『人生いろいろ』が若い方にも親しまれるようになり、光栄です」と二人を賞賛する。同年末の第39回NHK紅白歌合戦に2年ぶり31回目の復帰出場となる。この復帰出場に対しては「一度降りたのに」と批判の声も上がった。出演を決めた背景には当時療養中だった浜口2年後の1990年12月2日に死去。に「歌う姿を見て元気になって貰いたい」との思いがあったためである『紅白50回』、56頁。。借金返済の目処がたつ。姉の敏子が目黒川で投身自殺『島倉家―これが私の遺言』80-86頁。。

1989年6月(51歳)、美空ひばりが52歳で間質性肺炎による呼吸不全で死去。自身の後援会で愛知県に滞在中に訃報を聞いた島倉はその後のスケジュールを切り上げて目黒区青葉台のひばり邸に駆けつけ、息子の加藤和也に頼み3日間ひばりのそばに張り付いて離れなかったという。

1990年代

1993年(55歳)、初期の乳癌であることが判明。芸能人で会見を開き、自ら癌であることを発表したのは島倉が初めてだった。手術は成功する。ライブハウスなど歌謡曲の枠をはみ出して活動。

1999年(61歳)、歌手生活45周年を迎える。45周年コンサートではタキシードで全国を廻る。ベストジーニスト賞を受賞。同年、紫綬褒章を受章した。

2000年代

2003年初頭(65歳)に、慢性肝炎の進行とストレスにより声が出づらくなる傾向に陥ったため、この頃を境に晩年は歌唱曲のキーを下げるなどした。治療と並行しつつも精力的に仕事をこなす。

2004年(66歳)、歌手生活50周年を迎える。第55回NHK紅白歌合戦に生涯最後となった35回目の出場を果たした(当時の紅組史上最多記録)。

2007年(69歳)、事務所のスタッフに資産を奪われ再び多額の借金を抱える「金曜プレステージ・独占秘話!初公開!秘蔵映像!島倉千代子最期の223日~今夜明かされる壮絶人生と「からたちの小径」誕生秘話~」フジテレビ、2013年12月20日。同じ過ちを犯すのは自分のせいと責任を感じ、自らの誕生日に事務所を解散。しかし周りの協力により心機一転スタートすることになり、経理も全部自分でやるために簿記を勉強。同年、映画『ララ、歌は 中山晋平物語』にナレーターとして出演し、中山晋平の世界を表現した。また藤商事からパチンコ機種『CR島倉千代子の千代姫七変化』が発表され、全国のパチンコ店に導入された。

2008年(70歳)、『人生いろいろ』が出身地である品川区の京浜急行電鉄青物横丁駅の接近メロディに採用される。このニュースを聞きつけた島倉自身が、翌2009年1月に青物横丁駅を訪れて実際に流れるメロディに耳を傾けた。後日、京浜急行電鉄に宛てて礼状を改めて送付したという島倉千代子さん、青物横丁駅に流れる「人生いろいろ」に感謝の手紙(2013年11月8日時点のアーカイブ) スポーツ報知 2013年11月9日閲覧。

2009年(71歳)、歌手生活55周年を迎える。

この頃、大分県を本拠地として九州各地で営業するリフォーム会社・野田建工のテレビコマーシャルに着物姿で出演していた。なお、野田建工は求人雑誌に大きなカラー広告を多く掲載しており、島倉の写真を求人情報誌で見ることができた。

2010年代・死去

持病の慢性肝炎が進行していた中で2010年12月に肝臓癌を発症したことが判明、手術・入退院を繰り返していた島倉千代子さん 3年前に肝臓がん患うデイリースポーツ 2013年11月9日閲覧。肝臓癌発症はごく少数の関係者にしか打ち明けていなかった。その間、3度の肝動脈塞栓術を受けたが、2013年前半には肝硬変に至っていた。同年3月30日、75歳の誕生日にはコロムビアレコードの100周年を記念し復活したイベント「コロムビア大行進2013」に出演し、数千人の聴衆を前にトークを交えながら『人生いろいろ』など数曲を歌った島倉千代子 75歳バースデー「後期高齢者という紙届いた」 スポニチアネックス 2013年3月21日。同年5月から仕事をセーブするようになり、同年6月21日、宮崎県延岡市で開催したコンサートが生涯最後のステージとなった最期は苦しまず、眠るように…日本コロムビアが会見(2013年11月9日時点のアーカイブ) msn産経ニュース 2013年11月9日閲覧。同年6月、日本テレビ「1番ソングSHOW」の取材を受けた(これが生涯最後のテレビ取材となった)。同年9月14日にブログを更新した(最後の更新)。

同年10月中旬に一時退院、2014年のデビュー60周年に向け復帰への意欲は衰えず、死去3日前の2013年11月5日に自宅で記念曲『からたちの小径』を録音した南こうせつ「奇跡の歌声」 島倉千代子さん死去3日前に録音。レコーディングは当初、11月15日に行う予定だったが、島倉自身から「その日まで待てない」と関係者に連絡を入れて11月5日に急遽吹き込みが行われた。同曲の作曲を担当し、レコーディングにも立ち会った南こうせつは「(島倉の具合から)1回位しか歌えないかと思ったが、3回も歌われた。奇跡の歌声だった」と語った。

11月6日、「体調が悪いので来てほしい」と自宅からスタッフに電話して中目黒の東京共済病院に再入院。入院先から島倉本人が南こうせつへ電話をかけ、感謝の意を伝えたという。翌々日の2013年11月8日朝に容体が急変。午後12時30分、東京共済病院の病室にて所属事務所の女性スタッフに看取られ、眠るように息を引き取った島倉千代子 逝去のお知らせ 日本コロムビア アーティストインフォーメーション:島倉千代子 2013年11月8日付。死因は肝臓がんだった。満75歳没(享年76)。周囲の関係者にはあらかじめ、通夜は密葬とし、香典は断るように伝えていた。

島倉の訃報を受けて、当時内閣官房長官だった菅義偉を始め官房長官 島倉千代子さん哀悼「昭和を代表する歌手」スポーツニッポン 2013年11月8日閲覧、北島三郎北島三郎「演歌界の大きなあかり」日刊スポーツ 2013年11月8日閲覧、五木ひろし五木ひろし「早すぎますね」日刊スポーツ 2013年11月8日閲覧、細川たかし細川たかしさん「最後のパワーに驚きました」NHK「かぶん」ブログ(2014年1月9日時点のアーカイブ) 2013年11月14日閲覧、氷川きよし氷川きよし 島倉千代子さんに誓いデイリースポーツ 2013年11月13日閲覧、水前寺清子「最後にお顔を拝見したときにお別れを」スポニチアネックス 2013年11月9日閲覧、大月みやこ「大きく輝いている先輩が…」大月みやこさんmsn産経ニュース 2013年11月9日閲覧、都はるみ【お悔み】都はるみ、優しく大好きな先輩日テレNEWS24 2013年11月8日閲覧、八代亜紀八代亜紀 島倉さんは心労が多かったデイリースポーツ 2013年11月9日閲覧、小林幸子小林幸子 島倉さんに「母さん!」デイリースポーツ 2013年11月8日閲覧、森昌子森昌子、訃報を知り号泣「本当に優しくてお母さんのよう」サンスポ 2013年11月9日閲覧など島倉を敬愛していた後輩の演歌歌手達、またコロッケコロッケさん「かけがえのない人失った」msn産経ニュース 2013年11月9日閲覧、山田邦子島倉千代子さん、人生いろいろ教えてもらった…山田邦子が悲痛な思いシネマトゥデイ 2013年11月9日閲覧らものまねタレントも追悼のコメントをそれぞれ発表した。

島倉の死去から6日後の2013年11月14日、葬儀が南青山の青山葬儀所で営まれた。会場には、『からたちの小径』の録音後に涙声で次の言葉を語る、島倉の生涯最後となる肉声テープが流された島倉千代子さん葬儀、「人生の最後に素晴らしい時間をありがとう」冒頭に肉声流れmsn産経ニュース 2013年11月14日閲覧。また告別式では、島倉に憧れて演歌歌手となった石川さゆりが代表として「本当に寂しいです。もっともっと、お元気で歌っていて欲しかった。優しく、時に厳しく、叱ってくれる人が、居なくなってしまいました…」「これからも、私達後輩を、空高くから見守っていて下さい」と、涙で時折言葉を詰まらせながら弔辞を読んだ島倉千代子さん:「優しく時に厳しく」石川さゆり涙で弔辞毎日新聞デジタル 2013年11月14日閲覧石川さゆり弔辞「生涯を歌い手として見事なまでに全う」スポニチアネックス 2013年11月15日閲覧。『からたちの小径』は四十九日にあたる12月18日にシングル発売された。同曲は遺作となったが、「来年発売の記念CDボックスに入れたい」と関係者は語っていた離婚、借金、乳がん…「人生いろいろ」島倉千代子さん急死 サンスポ 2013年11月9日。

同年12月31日の第64回NHK紅白歌合戦では石川の『津軽海峡・冬景色』の歌唱前に島倉の追悼コーナーが設けられた。当初、番組側は石川に島倉の持ち歌である『東京だョおっ母さん』や『人生いろいろ』の歌唱を要請していたが、石川が「島倉さんとは親しいですが、都はるみさんや五木ひろしさんなど、自分よりも仲の良かった先輩歌手がいるのに、そんな出しゃばった真似はできない」とその打診を断ったとされる,東スポWeb,2013年12月21日付。

戒名は寳婕院千代歌愛大姉。故郷・北品川の臨済宗東海寺大山墓地に生前に建てていた墓に眠る。

エピソード

地方との結びつき

島倉は、地方小唄や音頭といった新民謡を数多くレコードに吹き込んでいた。それらの中には、『松井田小唄』『祇園まつり音頭』『七夕おどり』など地元の人以外にも広く親しまれ、全国的によく知られた歌もある。それぞれの地元では、大スターである島倉がレコードに吹き込んだこともあって、親しまれている場合が多い。当時の音源を祭りの際に使用し続けているところもある。

また、仙台市の『ミス仙台』(二葉あき子のカバー)や、大阪市の『小鳥が来る街』などといった、地方の愛唱歌の類もレコードに吹き込んでいる。また、民謡で『祖谷の粉ひき節』『島原の子守唄』『五木の子守唄』などをレコードに吹き込み、ヒットさせている。

美空ひばりとの秘話

7歳の時の怪我で左手が不自由になって以来、引きこもりがちとなった島倉には友達が一人もいなかった。そんな彼女が夢中になったのが1歳年長の美空ひばりである。アルバイトをしてはひばりのコンサートに行く、追っかけとなった。

1953年の落選を経て、1954年憧れのひばりが所属するコロムビアレコードのコンクールに合格。しかし既に大スターだったひばりにはなかなか会えなかった。

1961年、それまではひばりが不動の1位だった雑誌『明星』のファン投票で島倉が1位となってからは、ますますひばりに会う機会が失われていく。「ひばりさんが出る番組には島倉は出られない。という空気が築かれていた」と島倉自身が語っている。

周囲の仲間たちがひばりと交友関係を築いた後も、島倉はひばりとは同所属のコロムビアレコード関連や各歌番組などの仕事で妹分として共演はしてもプライベートでは交流することは一切なかった。両者とも親しかった和田アキ子は島倉に「今度、一緒にひばりさんに会おう」と誘ったが「恐れ多くて…」と遠慮していたという。

1984年2月2日、長年憧れながらもひばりとの距離が縮められずにいた島倉に思わぬ出来事が起こる。所属のコロムビアレコード主催で島倉のデビュー30周年記念パーティーに今まで一度も飛び入り出演をしたことがなかったひばりが島倉やコロムビアレコードの役員・関係者などに一切連絡もなく島倉に手渡す花束を持参して一人でパーティー会場へ突如やってきたのである。驚きと嬉しさで涙が止まらない島倉にひばりは「これからは人に騙されない人生を送って欲しい。私は実印は絶対離しません」と述べ会場の笑いをとっていた。

その頃、ひばりは自身を深く理解してくれる家族を相次いで亡くしており、今一番に自身を理解できるのは妹分の島倉かもしれないと考えていたという。2人には共通点が多々あったからである。同学年で若くしてスターになり、ファンに塩酸をかけられ負傷したひばりとファンが投げたテープがあたり失明の危機に陥った島倉。離婚経験、金銭トラブル、家族の死、そして歌への熱意。

翌年の3月3日毎年極親しい女友達だけを集め美空ひばり邸で行われる「ひな祭り」に島倉は初めて参加する。その時ひばりに頼んで書いて貰ったサイン色紙には「舞う鳥も私と同じこの世にも生きてこそあれ歌ひとすじ一筋の道」という短歌が書かれており島倉の宝物となった。

1987年夏、ひばりが病気で福岡の病院に入院した直後に島倉が「面会謝絶は重々承知の上で、ひばり姉さんに逢えなくても病室の前を一目見るだけでいいから直ぐにでも駆けつけたい。」とひばり本人やコロムビアレコード役員などの関係者に直訴したところ直ぐ様「お千代なら来てもいいわよ」とひばりが了解して即見舞いに訪れた。島倉本人は大変緊張しながら「ひばり姉さんを励ますつもり」で病室に入ったら、病室のひばりが「お千代、良く来たわね」と生来の明るさで島倉を迎え、「お千代が来てくれたから鍋焼きうどん(島倉の好物)の出前でも取って食べよう」と食欲がなかったのにも関わらず完食したそうで病人とは思えない元気さを島倉の前に見せた。そのひばりの姿に「私が励ますつもりで行ったのに、逆に私の方がひばり姉さんに励まされちゃって…… こっちの方が恐縮でした」と後にテレビのインタビューで語っていた。

島倉が紅白出場辞退をした際、ひばりから「お千代、(辞退したことに)後悔はない? ここからが見せどころよ」とアドバイスを受けたという田勢康弘『島倉千代子という人生』。

最晩年、闘病生活を送っていたひばりはどんなに親交の深い芸能界の友人、親友などが見舞いに訪れても、プライベートでも実妹のように大変可愛がっていた島倉と、島倉と同様に弟のように可愛がっていたとんねるずの三人以外の面会は一切拒否していたとされる。

声優に挑戦

2003年6月29日、フジテレビ『FNS27時間テレビ』内アニメ『ちびまる子ちゃん』(「歌は心・人生いろいろ」の巻)において、本人役で自身初の声優に挑戦した。この回のストーリーはまる子の祖母・こたけからの「病に倒れた友人に一目会ってあげてほしい」という手紙を受け取り、変装をして清水にやってくるという設定だった。挿入歌として「からたち日記」(1番をアカペラ(無伴奏)で歌うシーンもある)、エンディングテーマには「人生いろいろ」が起用された。2011年、DVDとして発売されているDVD『ちびまる子ちゃん スペシャル「温泉に行こう!!」の巻』に収録。。

その他

  • 59年間の歌手生活において、ステージで一度も口パクはしなかった。
  • 人を疑わない性格のため多くの人に「騙された」「裏切られた」と言われる島倉に対し、作詞家のなかにし礼は「その分、騙した人の数の何倍もの音楽関係者、芸能関係者が彼女を助けてきた」と語った。
  • なかにしは彼女の代表曲のひとつである「愛のさざなみ」を作詞している。結婚後ミリオンから遠のき、離婚により暗いイメージがつきかけた島倉のために作ったこの異色の曲は久々のミリオンとなった。
  • 横文字が苦手で『クイズ$ミリオネア』に出演した際、正解発表前の言葉「ファイナルアンサー」が言えず、代わりに「おしまいアンサー」と言っていた。
  • 『NHKのど自慢』への出場経験も有しているが、結果は「鐘一つ」に終わったとされている《》。
  • 島倉は八人きょうだいで姉二人が一歳、六歳で逝去している。弟二人は俳優デビューしたものの、一人は引退し、もう一人は作詞家に転身した。

NHK紅白歌合戦出場歴

1957年(第8回)の初出場以来、1986年(第37回)まで紅白史上初の30回連続出場を達成。1987年(第38回)は一旦出場辞退したが、「人生いろいろ」で久々のヒットを記録したことを背景に、1988年(第39回)に2年ぶりに復帰出場。1994年(第45回)には「紅白歌合戦45回の歴史を象徴する歌手」として6年ぶりのカムバックを果たし、1996年(第47回)まで3年連続して出場した。2004年(第55回)に「紅白歌合戦に出場してほしい歌手」アンケートで上位歌手15組の中に入ったことから、8年ぶり通算35回目の出場で66歳の当時の紅組最年長出場となったが、これが生涯最後の出場となった。

通算出場回数では、1973年(第24回)に17回目の出場を果たして以降当時の最多記録保持者は美空ひばりだった。、白組歌手・北島三郎が1998年(第49回)で通算35回目の出場を果たし、島倉の記録を追い越すまで20年以上もの間歴代第1位の記録を保持していた1982年(第33回)までは、同じく連続出場を続けていたフランク永井とタイ記録。。さらに女性歌手では、同じく1973年(第24回)以降、2012年(第62回)に和田アキ子が36回目の出場を果たすまで、39年もの間島倉が史上最多出場記録を保持していた。

1960年(第11回)では、それまで3年連続で大トリを務めていた美空ひばりを抑えて初めて紅組トリを務め、1962年(第13回)まで3年連続で紅組トリを担当した。その後はひばりが10年連続でトリを務めたが(島倉は中盤に固定されていた)、1973年(第24回)にひばりが落選すると再び紅組トリに返り咲き、1975年(第26回)まで3年連続で紅組トリを務めた(1975年は唯一の大トリ)。紅組において通算トリ回数6回という記録は、美空ひばり(13回)、石川さゆり(8回)、和田アキ子(7回)に次ぎ、歴代4位である。また、3年連続トリという記録も、上述したひばりの10年連続に次ぐ記録である紅組歌手で3年以上連続でトリを務めた人物はひばり(3年連続および10年連続)とMISIA(4年連続)と島倉(3年連続が2回)しかいない。。

通算出場回数 出場紅白 出場年度 曲目 出演順 対戦相手 備考
第8回 1957年(昭和32年) 逢いたいなァ あの人に 22/25 春日八郎
2 第9回 1958年(昭和33年) からたち日記 23/25 春日八郎 (2)
3 第10回 1959年(昭和34年) おもいで日記 13/25 三橋美智也
4 第11回 1960年(昭和35年) 他国の雨 27/27 三橋美智也 (2) 紅組トリ
5 第12回 1961年(昭和36年) 襟裳岬 25/25 三波春夫 紅組トリ (2)
6 第13回 1962年(昭和37年) さよならとさよなら 25/25 三橋美智也 (3) 紅組トリ (3)
7 第14回 1963年(昭和38年) 武蔵野エレジー 13/25 三橋美智也 (4)
8 第15回 1964年(昭和39年) ふたりだけの太陽 13/25 村田英雄
9 第16回 1965年(昭和40年) 新妻鏡 12/25 三橋美智也 (5)
10 第17回 1966年(昭和41年) ほんきかしら 12/25 春日八郎 (3)
11 第18回 1967年(昭和42年) ほれているのに 12/23 橋幸夫
12 第19回 1968年(昭和43年) 愛のさざなみ 12/23 三波春夫 (2)
13 第20回 1969年(昭和44年) すみだ川 12/23 三波春夫 (3)
14 第21回 1970年(昭和45年) 美しきは女の旅路 12/24 三波春夫 (4)
15 第22回 1971年(昭和46年) 竜飛岬 10/25 北島三郎
16 第23回 1972年(昭和47年) すみだ川(2回目) 18/23 フランク永井
17 第24回 1973年(昭和48年) からたち日記(2回目) 22/22 北島三郎 (2) 紅組トリ (4)
18 第25回 1974年(昭和49年) 襟裳岬(2回目) 25/25 森進一 紅組トリ (5)
19 第26回 1975年(昭和50年) 悲しみの宿 24/24 五木ひろし 大トリ (6)
20 第27回 1976年(昭和51年) 逢いたいなァ あの人に(2回目) 18/24 フランク永井 (2)
21 第28回 1977年(昭和52年) 京都・北嵯峨・別れ寺 20/24 三波春夫 (5)
22 第29回 1978年(昭和53年) りんどう峠 22/24 村田英雄 (2)
23 第30回 1979年(昭和54年) 逢いたいなァ あの人に(3回目) 17/23 フランク永井 (3)
24 第31回 1980年(昭和55年) 女がひとり 14/23 フランク永井 (4)
25 第32回 1981年(昭和56年) 鳳仙花 09/22 フランク永井 (5)
26 第33回 1982年(昭和57年) この世の花 11/22 千昌夫 前半トリ
27 第34回 1983年(昭和58年) 積木くずし 07/21 三波春夫 (6)
28 第35回 1984年(昭和59年) からたち日記(3回目) 17/20 三波春夫 (7)
29 第36回 1985年(昭和60年) 夢飾り 16/20 近藤真彦
30 第37回 1986年(昭和61年) くちべに挽歌 18/20 村田英雄 (3) 同回で一旦紅白出場勇退を宣言
31 第39回 1988年(昭和63年) 人生いろいろ 14/21 チョー・ヨンピル 2年ぶりに復帰出場
32 第45回 1994年(平成6年) 人生いろいろ(2回目) 10/25 小椋佳 6年ぶりに復帰出場・前半トリ (2)
33 第46回 1995年(平成7年) あの頃にとどけ 19/25 小林旭
34 第47回 1996年(平成8年) ときめきをさがしに 21/25 堀内孝雄
35 第55回 2004年(平成16年) 人生いろいろ(3回目)紅組出場歌手有志が島倉の後ろで応援。 12/28 布施明 8年ぶりに復帰・生涯最後の紅白出場

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。
  • 前半トリとは1990年以降の紅白において、前半戦(ニュース中断まで)で両軍の締めくくりを務めたことを指す。

音楽作品

多くの楽曲を発表しており(およそ2,000曲)、委託制作版や当時のアルバムにしか入っていない曲もあるため、持ち歌の数を正確に数えるのは困難である。

シングル

全て日本コロムビア発売。※1956, 1962, 1993-1994, 3箇所品番と発売順に矛盾あり、要確認。

発売日品番売上枚数『サンケイスポーツ』2013年11月9日付、大阪本社版12版、26面。「売り上げベスト10」『島倉家-これが私の遺言』168頁。(該当ページにはノンブル表記なし) 曲順 曲目 作詞 作曲 編曲備考
==== 1950年代 ====
1955年 2月A-2229200万枚 Aこの世の花 西条八十 万城目正 松尾健司デビュー曲、同名の松竹映画の主題歌。
3月臨発A-2250 A乙女船丘灯至夫米山正夫
B別れの夜船西沢爽田村しげる
9月A-2373130万枚 Aりんどう峠西條八十 古賀政男
B 布良(めら)の娘
2月A-2230Bお役者がらす上原げんと片面は、中村錦之助の「やくざ若衆」。
11月1日A-2410 Aおもいでの花万城目正
B 浪花の雨
1956年A-2412 A温泉(いでゆ)の姉妹丘十四夫古賀政男片面は、青木光一「都に花の散る夜は」。
2月A-2457 A山のけむりよ、いつまでも西條八十宮川まこと西出次郎
B母恋い京人形奥野椰子夫川端正章
2月A-2499 Aさすらいの花 西條八十 万城目正
B夕月子守唄
8月A-2580Aさすらいの浜辺松尾健司片面は、若山彰の「忘れじの花」。
A-2504 A 東京の人さようなら石本美由起竹岡信幸片面は、青木光一「ふるさとの駅」。
12月A-2655120万枚 A 逢いたいなァあの人に上原げんと山屋清紅白初出場曲。
B東京のお兄さん
12月10日SA-16Aこの世の花西条八十万城目正松尾健司
Bおもいでの花田代与志
1957年1月1日SA-68A花嫁峠船村徹
B山の分教場丘灯至夫
1月A-2583 A乙女流しは寂しいね高野公男片面は、青木光一の「早く帰ってコ」。
1月A-2680 A青い潮(牧場の姫百合)西條八十万城目正
B 青い潮(青い潮に夢乗せる)長谷川公之
A-2***A日本橋から浜田広介古賀政男片面は、青木光一の「東京娘」。
3月15日SA-29A逢いたいなァあの人に石本美由起上原げんと山屋清
Bりんどう峠西條八十古賀政男西出次郎
6月1日ASS-296 A永遠に答えず西沢爽古賀政男片面は、霧島昇「愛情一路」。
6月15日A-2710150万枚A東京だョおっ母さん野村俊夫船村徹発売当時はセリフなし。
B故郷のかおり
5月A-2828 A初恋の人さようなら西沢爽古賀政男
Bあの人は優しかった石本美由起上原げんと
AK-573 A祇園まつり音頭 山形英夫とのデュエット。京都の祇園祭で今でも流れる。
B長刀鉾祇園囃子
A-2907 A 忘れ得ぬ人石本美由起上原げんと
B街に咲く花
1958年A-2934Aお別れ波止場西沢爽船村徹片面は、神戸一郎「男の哀愁」。
3月1日A-298660万枚A思い出さん今日は星野哲郎古賀政男片面は、神戸一郎「港のギター」。
A-3052 A 北京の小鳥売り野村俊夫竹岡信幸若木みのる
Bあの人いつ来るかしら
5月15日SA-93A島原の子守唄宮崎一章
B岳の新太郎さん佐賀県民謡
SA-110A祇園小唄(春・夏)長田幹彦佐々紅華松尾健司
B祇園小唄(秋・冬)
SA-148130万枚Aからたち日記西沢爽遠藤実牧野昭一セリフ入りの歌は売れないというジンクスがあったが、大ヒットした。
B待ち呆けさん
1959年SA-194あなたと別れて岡田銕夫上原げんと雑誌「平凡」募集当選歌。片面は、神戸一郎「君に逢いたくて」。
SA-159 A さよなら地蔵さん
6月15日SA-20560万枚Aおもいで日記西沢爽遠藤実台詞が話題になった。
B風ッ子さんどこの子サ春生香織
SA-24370万枚 A 海鳴りの聞こえる町
B湖畔の詩集
SA-27060万枚A哀愁のからまつ林西沢爽船村徹片面は、神戸一郎「青い落葉の街」。
SA-297白い小ゆびの歌関沢新一古賀政男片面は、美空ひばり「つばなの小径」。
==== 1960年代 ====
1960年2月20日SA-300A日本よいとこ村田英雄、花村菊江、五月みどり、岡田ゆり子と。片面は、「ニコニコ踊り」。
3月SA-338A白樺物語谷真木彦遠藤実泊林正一雑誌「平凡」当選懸賞作詞曲。片面は大野一夫の「人生峠」。
SA-367A他国の雨野村俊夫松尾健司鳴海日出夫の「涙のグラス」の歌詞を変えて吹き込まれたもの。
B初恋の丘
6月SA-402A遠い人北条誠船村徹
B紫いろの夢星野哲郎
SA-43270万枚 A 花散る下田 同名歌舞伎まつり主題歌。片面は、守屋浩「風そよぐ丘」。
SA-323 A 炭坑(やま)の子守唄 片面は、並木栄子、並木葉子「とんがりお山」
9月SA-447A哀愁の信濃路星野哲郎上原げんと
B雨降り峠西沢爽船村徹
11月SA-479Aマツリカの花言葉星野哲郎古賀政男
B銀杏が星に恋をした内藤京
1961年SA-514泣きべそ電話片面は、井上ひろしの「さよなら電報」。
2月5日SA-531A日本晴れだよ
Bお手をつないで
SA-605Aかるかやの丘
B小島の母灯台
10月1日SA-722A十国峠の白い花石本美由起宮田東峰
B里の夕焼船村徹
11月1日SA-73680万枚A恋しているんだもん西沢爽市川昭介島倉の口癖をアイデアに作詞。
Bサフランの旅愁
12月20日SA-788100万枚A夕月菊田一夫古関裕而島倉の主演ドラマの主題歌。片面は中山千夏は「ハモニカ小僧」。
SA-792A君は東京へ帰る人第13回コロムビア全国歌謡課題曲。片面は、佐賀次郎の「湯の町流し」。
SA-811日本一だよ西条八十古賀政男村田英雄とデュエット。片面は、花村菊江・中尾の「仲良し音頭」。
5月5日SA-624100万枚Aすずらんの花丘灯至夫遠藤実山路進一
B襟裳岬森進一との楽曲(1974年)は同名異曲である。
1962年SA-833Aお顔みたいな逢いたいな
B哀愁岬
4月20日SA-837A祭の夜は関沢新一遠藤実
B裏町の唄
SA-872A愛と死のかたみ山口久代船村徹
Bなみだの福音星野哲郎
6月1日SA-880Aお早よう青空さん古賀政男
B雨の坂道石本美由起佐伯亮
7月1日SA-907A明日もきっといいことが西沢爽船村徹
Bコスモスの駅石本美由起竹岡信幸小林郁夫
7月20日SA-916A郡上恋しや藤江英輔片面は、唐品由美の「恋の八丈椿」。
7月5日SA-936A七夕おどり丘灯至夫遠藤実仙台七夕まつりを歌った曲で、現在も会場周辺で流れ、盆踊りの定番曲として仙台市民に親しまれている。片面は、フォーク・ダンス用に唄なし。
8月1日SA-925A大阪のお母さん星野哲郎船村徹
B加茂川七浦渚
10月1日SA-990A別れるときは死ぬときよ西沢爽市川昭介
Bさよならとさよなら
10月1日SA-972A恋ゆえの花関沢新一古賀政男
B小っちゃな幸せの歌
10月1日SA-1014A愛の悲しさ道下きく絵補:石本美由起船村徹
B女ごころの片瀨波高木順子補:石本美由起
1963年1月1日SA-1036Aあなたに私に雨が降る鳥羽俊三髙木東六
B砂山のひぐれ宮中雲子
2月1日SA-1049A愛情丘灯至夫万城目正
B一人ぽっちになっちゃった関沢新一山路進一
SA-1052Aあの橋の畔で菊田一夫古関裕而松竹の同名映画の主題歌。
B海を遙かな
3月20日SA-1064A雨の降る日の午後でした久米行雄服部克久片面は、コロムビア・ローズの「夜が泣かせる」。
3月SA-1077A愛のうず潮西沢爽船村徹片面は、北島三郎の「亜矢子の唄」。
SA-1115A大阪音頭中島孝のデュエット。片面は、大阪繁昌ぶし。
7月20日SA-1148A四季の新津箱岩周平
B新潟音頭野村俊夫上原げんと
SA-3107A祭り酒西條八十古賀政男古賀沢小志寿とのデュエット。片面は、古賀沢小志寿と二葉あき子の「幻抱いて」。
SA-3167A下田の千鳥奥野椰子夫平川英夫片面は、中島孝「花の森蘭丸」。
5月1日SAS-10Aむらさきの慕情西沢爽古賀政男
Bあわれ君ゆえに
SAS-48Aわかれ渚石本美由起遠藤実
B二人だけの砂丘
9月1日SAS-99A花散りぬ西沢爽古関裕而
Bせせらぎの唄
9月1日SAS-12570万枚A星空に両手を神津善行守屋浩とのデュエット。
Bかなしみの歌
11月1日SAS-140A武蔵野エレジー嵯峨哲平遠藤実
B未練の雨西沢爽
SAS-167Aいつもふたりは星野哲郎山路進一
Bありがとうお母さん
1964年SAS-237Aふたりだけの太陽西沢爽市川昭介松竹の同名映画の主題歌。
Bいまのまんまでいいんじゃな
SAS-250A星影のエアー・ポート
Bおもかげ岬
SAS-296A舞すがた西沢爽船村徹
B夕顔高月ことば
3月5日SAS-200Aニッポン音頭西條八十古賀政男片面は、「さあさ踊ろよ」。
4月20日SAS-A石竹の歌安部幸子宮田東峰片面は、三鷹淳の「僕の恋人」。
7月1日SAS-A愛するゆえに結束信二市川昭介関西テレビ系テレビドラマ「愛するゆえに」主題歌。
B女はいつも西沢爽
SAS-337A雪国船村徹
B愛のくもり空小島胡秋遠藤実
SAS-355小鳥が来る街西沢爽市川昭介片面は、舟木一夫「青春の大阪」。
9月20日SAS-3**心ブラブラリはエヽヤナイカ北原謙二とのデュエット。片面は、養田勝彦の「大阪スーベニア」。
12月1日SAS-383Aゴンシャン紅帯野村俊夫下川博美
Bあなたの手紙
SAS-394A恋人さん西沢爽土田啓四郎
B花のワルツ船村徹
1965年2月1日SAS-417A旅ははてなく石本美由起遠藤実
B花のゆくえ門田ゆたか古賀政男
5月1日SAS-450A夜道は一人じゃ帰れない
Bふたりの虹
SAS-543Aつぎの世もあなたと西沢爽土田啓四郎
B花咲く平野
10月SAS-606A赤坂の夜は更けて鈴木道明佐伯亮
B風の中のあなた沢田直美戸塚三博岡田みのる
12月1日SAS-626A新妻鏡佐藤惣之助古賀政男同名NTVテレビ映画主題歌。戦前に霧島昇&二葉あき子が歌ったものをカバー。
B目ン無い千鳥サトウハチロー
1966年2月1日SAS-6**Aまわり道野村俊夫竹岡信幸
B赤いキャンドル
4月SAS-68160万枚Aほんきかしら岩谷時子土田啓四郎
B悲しみにキスを西沢爽和田香苗
5月1日SAS-699A小雨の陸橋石井和子土田啓四郎
B愛して恋して夢を見て西沢爽土田啓四郎
7月SAS-735Aクラブがはねたら中村メイコ神津善行渡辺たかし
B赤坂の月
10月1日SAS-78650万枚A涙の谷間に太陽を西沢爽和田香苗コーラス:コロムビアゆりかご会。小此木孝夫の自伝『涙の谷間に太陽を』をもとに制作した楽曲
B愛の星空戸塚三博
12月1日SAS-805Aそっとおしえて吉田央いずみたく
Bしのび逢う人西沢爽和田香苗
1967年2月1日SAS-837A哀しみの川のほとりに
Bああ室戸岬石本美由起平川英夫
5月1日SAS-893A永遠に答えず西沢爽古賀政男
B涙の十字架
6月1日SAS-903A二人が好きになった夜
B風の足あと
7月1日SAS-91450万枚Aほれているのにくるみ広彰
Bアモーレ東京
7月1日SAS-936A星より遠く別れても西沢爽河村利夫同名NTVテレビ映画主題歌。
Bその人の名をいえない
10月1日SAS-973A女の慕情くるみ広彰くるみ敏弘
B女のレピート
11月1日SAS-1015A大阪夜曲西沢爽山本丈晴戸塚三博
Bバラ色の風に乗って土田啓四郎
1968年SAS-1026A女の幸せ白鳥朝詠宮田東峰
Bこころの湖
4月1日SAS-10**A私を忘れて滝口暉子和田香苗
B真白い東京西沢爽狛林正一
4月1日SAS-1078Aいのちある限り伊田順山本丈晴
B夕映えの想い出
4月25日SAS-1099A道博音頭高柳公三浦康照(補)佐伯亮片面は、赤坂小梅の「北海音頭」。
6月1日SAS-1114A今日からは二人西沢爽和田香苗
B泣きませぬ中村メイコ神津善行
7月1日SAS-1138A愛のさざなみなかにし礼浜口庫之助オリコン初ランクインの曲で最高位20位。浜口庫之助の助言により、バック・トラックはロサンジェルスでレッキング・クルーによりレコーディングされた。1992年にカーネーション、2001年にミニスカパンがカバー。1998年9月20日のカーネーションのライブ(渋谷クラブクアトロ)にゲスト出演し、同曲を歌っている。
B月のためいき浜口庫之助
11月SAS-1196A慕情はかなく高峰雄作市川昭介
Bそっと愛して石本美由起竹岡信幸
12月1日SAS-1230Aわかれ和田香苗小谷充第1回古賀賞優勝曲。
B涙をあげる西沢爽和田香苗
1969年SAS-1247日本うれしや市川昭介片面は、青山和子・大下八郎「ふるさと囃子」。
4月1日SAS-1248A捧げる愛は橋本淳筒美京平
B涙きざんで
7月1日SAS-1300Aあの波の果てまで大林清船村徹
B愛は涙にぬれて横井弘
8月1日SAS-1319A花のいのり滝口暉子和田香苗
B忘れないで札幌和田香苗
8月1日SAS-1332Aふるさとの子守唄横井弘河村利夫
B乙女妻
10月1日SAS-1348A天使が空を通る時吉岡治和田香苗
B木屋町の夜
12月10日SAS-135870万枚Aすみだ川佐藤惣之助山田栄一山路進一戦前の東海林太郎の代表作をカバー。
B築地明石町藤田まさと長津義司東海林太郎のカバー。
==== 1970年代 ====
1970年1月1日SAS-1377A哀愁の湖渡辺優美子和田香苗
B雨にうたれてあやのかつみ
3月1日SAS-1388Aこの愛が終るなんてみやもり純中村泰士山本幸三郎
B誰かがやきもちやくかしら時令二
7月1日SAS-1428A柿の木坂の家石本美由起船村徹
B雨の湯島天神和田香苗
9月1日SAS-1448A美しきは女の旅路橋本淳三木たかし
Bおんなの子守唄
1971年SAS-1485A願いが、もしも石本美由起和田香苗
B野薔薇のワルツ
4月1日SAS-1506A沖繩音頭ありむらけん
B日本うれしや西沢爽市川昭介
4月10日SAS-1512壇の浦子守唄石本美由起和田香苗片面は、杉良太郎「三日月の兜」。
4月SAS-1517A花は生きているみやもり純中島安敏山木幸三郎スリー・シンガーズ
B1,000日の恋さがゆうこ津坂浩
7月SAS-1544A美幸は星になった上田きよ子補作・西沢爽井上かつお北野ひろし
B愛の旅びと西沢爽スリー・シンガーズ
SAS-1565A竜飛岬石本美由起船村徹
B編みかけの手袋和田香苗
1972年SAS-1604A赤い自転車西沢爽和田香苗永作幸男
B飛騨のふるさと石本美由起小竿和子和田香苗
6月1日SAS-1617Aその悲しみのうしろから西沢爽
B人は誰でも津坂浩
9月1日SAS-1629A津軽の宿石本美由起船村徹
Bしの笛の村沢みね登水時不二男
12月1日SAS-1651A人生峠秋月ともみ古賀政男甲斐靖文
B小さいけれど大事な人生西沢爽和田香苗永作幸男
1973年SAS-1653A越前竹人形西沢爽土田啓四郎TBS昼のドラマ「越前竹人形」主題歌。
B越前竹山唄TBS昼のドラマ「越前竹人形」挿入歌
3月SAS-1669A人生七ころびりゅうはじめ山路進一歌手生活二十周年記念曲
B小さな愛の唄
SAS-1678Aあじさい旅情石本美由起服部良一佐伯
B長崎恋姿和田香苗
5月SAS-2050A親鸞おどり大木惇夫古賀政男佐伯亮
B二人の影にもサトウハチロー
AA-8A残月横井弘鎌多俊與山路進一
B女舞
1974年AA-24Aすいれん慕情安井かずみ平尾昌晃
B夕凪の浜辺
3月1日AA-33A阿国恋すがたりゅうはじめ山路進一
B出雲をあとにりゅうはじめ
AA-42A幸せのうしろ姿吉田旺土橋啓二TBS愛の劇場「妻は告白する」主題歌。
B風の宿TBS愛の劇場「妻は告白する」挿入歌。
AA-54A愛の終りりゅうはじめ
B信じているから石本美由起四方章人
10月1日AA-79A流し唄りゅうはじめ河村利夫
B明日の別れ佐伯一郎りゅうはじめ佐伯亮
7月1日AA-58Aミス仙台西條八十古関裕而二葉あき子(1936年)、二代目コロムビア・ローズ(1962年)のカバー。「七夕おどり」同様、仙台七夕まつりの時期に会場周辺で流れている。
B七夕おどり丘灯至夫遠藤実
1975年5月1日AA-107A悲しみの宿山上路夫船村徹1000曲吹き込み記念曲。1975年のNHK紅白歌合戦では、後年の再録音盤と同様に「裏日本」を「北日本」に変更した台詞で歌唱している。
B女のともしび
AA-114A日本晴ればれ音頭石本美由起古関裕而佐伯亮日本民謡指導者連盟監修、日本リクリエーション協会推薦、昭和50年記念曲。美空ひばり、島倉千代子、舟木一夫、都はるみ、大川栄策。片面は、コロムビア・オーケストラの「日本晴ればれ音頭」。
1976年1月1日AA-169A北の港で待つ女山口洋子菊野たかし小杉仁三
Bギター流しでお客さん岬二郎三浦康照
5月1日AA-188A星が流れました佐藤順英中島安敏冒険家上温湯隆の哀悼歌。
B追憶関俊彦
8月1日AK-20Aおじいさん おばあさん ありがとう内与詩守土肥寛展夏目?
Bしゃっきり音頭菊池俊輔
AK-23A霧の音保富康午船村徹
B夕焼けの歌島倉の母を歌った曲。
1977年AK-64A想い出の舞扇石川潭月市川昭介
Bお光紅梅石本美由起
5月1日AK-66A京都 北嵯峨 別れ寺西沢爽山野豊京建輔
B昭和のはじめのあの頃は和田香苗小杉仁三
7月1日AK-82Aひろしまの母石本美由起古賀政男佐伯亮ひろしま音楽祭参加作品で、島倉にとって最後の古賀メロディーとなった。
B海ぞいのふる里
11月AK-100Aわたし京都へ花登船村徹佐伯亮朝日放送系テレビドラマ「おくどはん」主題歌。
Bはぐれ花横井弘船村徹
1978年AK-106A女性千家和也伊藤雪彦
B愛の花土田啓四郎
2月1日AK-108A日本の祭り石本美由起市川昭介山路進一
B木曽節
10月1日AK-158A恋みれん吉秋雅規市川昭介服部克久
B手拍子さん石本美由起小杉仁三
1979年AK-160A弾き語り市川昭介服部克久歌手生活25周年記念。
B愛呼ぶ渚吉秋雅規小杉仁三
5月1日AK-181A光星龍船村徹
B女の私が得たものは曽根幸明
CN-543Aサーシャわが愛阿久悠宮川泰アニメスペシャル『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』挿入歌。
Bスターシャ・・・永遠に
==== 1980年代 ====
1980年1月1日AK-215A春秋の舞唄光星龍紺野章山路進一
B千歳扇の舞山路進一
5月1日AK-617A女がひとり伊藤雪彦
Bあなたに愛を木未野奈
7月10日AK-677A綱わたり光星龍市川昭介佐伯亮
B滝の白糸石本美由起たきのえいじ
12月10日AK-738A愛の砂漠光星龍市川昭介佐伯亮
Bさいはての宿桜井義晃三浦伸一
1981年4月1日AH-4180万枚A鳳仙花吉岡治市川昭介斎藤恒夫
Bたそがれに保富康午たきのえいじ小杉仁三
1982年8月1日AH-242Aみちのく十綱橋山口ひろし市川昭介
B飯坂小唄西條八十中山晋平
12月21日AH-281Aためいき橋吉岡治市川昭介斎藤恒夫
B命あずけて
1983年8月1日AH-355A積木くずし穂積隆信五輪真弓映画『積木くずし』主題歌。
B愛とは何たきのえいじ
8月21日AH-360A流氷岬丘灯至夫遠藤実
Bふたりの港
1984年AH-405A母子星吉岡治市川昭介前田俊明
Bしばれ酒
1月1日AH-406A恋椿中岡俊哉岡千秋斎藤恒夫
B
10月1日AH-51660万枚A夢飾り里村龍一浜圭介桜庭伸幸
Bあなたの小樽池田充男市川昭介池多孝春
1986年4月21日AH-724Aくちべに挽歌石本美由起浜圭介この曲で紅白を一旦辞退。
Bおんな橋
1987年1月21日AH-792A浅草メロドラマ吉田旺浜圭介伊藤雪彦
B演歌づくし荒木とよひさ桜庭伸幸
4月21日AH-820130万枚A人生いろいろ中山大三郎浜口庫之助竜崎孝路第30回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。京浜急行電鉄青物横丁駅の電車到着案内メロディにも用いられている。
B花ごよみ
5月21日AH-829A夢・浪漫・NARA東海林良星吉昭なら・シルクロード博1988イメージソング。姫神演奏。
Bリラの頃・岬ホテル
AH-870A浪花姉妹たかたかし岡千秋石川さゆりとのデュエット。
Bぼたん雪山上路夫馬飼野康二金田賢一とのデュエット。
1988年9月1日AH-971A心うきうき中山大三郎浜口庫之助NHK歌謡パレード'88オリジナル・ソング。
B夢のつばさ
1989年3月21日AH-5017Aゆずり葉の宿星野哲郎弦哲也京建輔
B恋瀬橋
11月10日AH-5075Aおんなの一生阿久悠弦哲也
B雨音巳木弘子金子裕則
==== 1990年代 ====
1990年6月1日COSF-401祖谷の粉ひき節
2一合まいた
12月29日COSA-1101夢待人荒木とよひさ堀内孝雄
2愛ひとすじに
1991年9月1日COSA-2221今日も初恋浜口庫之助TBS系ドラマ「花嫁」主題歌。
2人生花ざかり中山大三郎浜口庫之助
1992年6月1日CODA-231空蝉(うつせみ)たかたかし弦哲也
2柳橋情話
11月1日CODF-1171それ行けダイエーホークス音頭戸川勝喜船村徹片面は、水木一郎の「我らが覇者 福岡ダイエーホークス」。
1993年3月21日CODA-1661女の夢灯りたかたかし伊藤雪彦
2空蝉(うつせみ)弦哲也
9月21日CODA-2281ほれているのにくるみ広彰くるみ敏弘
2女の慕情
12月29日CODA-2891あしたになれば荒木とよひさ浜圭介
2この生命を授かって
1994年1月1日CODA-2881昔も今も…女たかたかし幸耕平
2恋…女
7月21日CODA-4551夢おまもり荒木とよひさ浜圭介
2虹待ち人
9月1日CODA-4711ちょっとだけあかぎてるや弦哲也目黒祐樹とのデュエット。
2下田しぐれ
1995年1月21日CODA-5581すみだ川
2からたち日記
3月21日CODA-6041あの頃にとどけ小田和正島倉千代子小田和正小田和正プロデュース。
2しあわせの誕生日
7月21日CODA-6531片瀬月美空ひばり船村徹美空ひばりが遺した小唄をもとに作った曲。
2ラムプの宿で
12月1日CODA-8281木枯らしのクリスマス秋元康三木たかし若草恵片岡鶴太郎とのデュエット。
2忘れていたクリスマス
12月29日CODA-94530万枚1火の酒遠藤実ディレクターとして「からたち日記」などを手がけ、その後1963年にコロムビアを離れた馬渕玄三と久々に組んだ作品。
2逢いたいよ~酒は涙か溜息か入り~
1996年11月21日CODA-10761ときめきをさがしに島倉千代子津城ひかる三木たかし池内淳子主演のNHKドラマ新銀河『素敵に女ざかり』主題歌。
2一人ぼっちにならないで
1997年5月21日CODA-12261美しき天然
9月20日CODA-13191私って
2幸せの道しるべ
1998年3月30日CODA-14591花なら花らしく
2風の中で・・・
12月30日CODA-16791柿の実ひとつ
2あじさい坂の雨
12月30日CODA-16801人生はショータイム
2悲しみにさよなら
1999年9月10日CODA-17771ヨコハマ・ビギン中山大三郎中山大三郎とデュエット。2曲目は西尾夕紀、岡千秋の「お父さんありがとう」。
==== 2000年代 ====
2000年2月19日CODA-17971三日月慕情星野哲郎弦哲也
2感謝の旅路永井龍雲
2001年1月1日CODA-19291北どまり木下龍太郎伊藤雪彦
2切符一枚
2002年2月21日CODA-20141星野哲郎永井龍雲
2ほほえみの扉安藤潤和由希子
2003年3月1日COCA-154581海かがみ島倉千代子山崎ハコ
2夢だから
3ちよこまち
2004年3月3日COCA-156451風のみちデビュー50周年記念曲。
2心がたり
2005年3月23日COCA-157431ちよこまち
2人生いろいろ中山大三郎浜口庫之助
3ちよこまち(ライブ・バージョン)
2006年3月1日COCA-158441それいけGoGo
2そろそろり
2007年5月30日COCA-159891おかえりなさい友利歩未杉村俊博定年で職場から離れていく団塊の世代へ向けた応援歌。岩手県釜石市の根浜海岸に歌碑が設立されている。
2あの頃へ
2009年1月1日COCA-162111風になる友利歩未杉村俊博歌手生活55周年記念曲。
2ひとりじゃないよ
==== 2010年代 ====
2010年1月1日COCA-163241私の小さな幸せの花
2哀秋
2012年2月1日COCA-165361愛するあなたへの手紙
2光を感じて
2013年12月18日COCA-168441からたちの小径喜多条忠南こうせつ南こうせつ佐久間順平歌手生活60周年記念曲として制作された。体調を考慮して歌入れは自宅で行われたが、歌入れの僅か3日後に他界した為、遺作となってしまった。
2この世の花

委託制作版

発売時期品番曲順タイトル作詞作曲編曲備考
PRE-1181Aあゝ北の庄 西沢爽 古賀政男
Bイッチョライ節(福井音頭) 守屋浩とのデュエット
PRE-1210七夕音頭戸川貞雄米山正夫青木光一とのデュエット。片面は、永田とよこ「平塚恋しや」。
B日本平音頭静岡市・清水市観光協会推薦曲。片面は、コロムビア・ローズの「君を呼ぶ日本平」。
PRE-1397B温泉小唄西条八十古賀政男片面は、久保幸江・岡本敦郎の「日光小唄」。
1963年FK-183大阪音頭中島孝のデュエット。片面は、大阪繁昌ぶし。
FH-247B祇園まつり音頭片面は、小野田実の「十三浜甚句」。
PR-1633宇都宮音頭野村俊夫船村徹栃木県宇都宮市市制60周年記念盤。山中ひろしとのデュエット。片面は、安西愛子・岡本敦郎の「宇都宮の歌」。
1970年PES-7187A赤い電話斎藤映理子船村徹船村徹日本電信電話公社「赤い電話のうた」入選曲「電電公社のコマソン『赤い電話』」『官界通信』第969号、1970年2月16日、15頁。。片面は、コロムビア合唱団の「赤電話音頭」。
1984年PES-8260B横浜山下町音頭西条八十万城目正松尾健司委託制作盤。片面は、わかばちどりの「稲穂音頭」。
PES-7368A川越新小唄片面は、「川越舟唄」。
PES-8152-CPA結び文八島義郎加納光記
B思い出

アルバム

オリジナルアルバム

発売日 タイトル 備考/規格品番
1st 1958年5月 千代ちゃんの一日 ナレーション有り/AL-109
2nd 1959年2月 千代子の悲恋物語 ナレーション有り/AL-131
3rd 1959年12月 千代ちゃんの歌日記 AL-183
4th 1960年6月 千代ちゃんと私のうた ナレーション有り/AL-212
5th 1960年11月 千代子の花散る下田 ナレーション有り/AL-239
6th 1961年4月 千代ちゃんの想い出 ナレーション有り/AL-267
7th 1961年9月 千代ちゃんの秘密 ナレーション有り/AL-294
8th 1962年2月 島倉千代子の恋しているんだもん AL-337
9th 1962年8月 千代ちゃんのお早う青空さん AL-383
10th 1962年12月 千代ちゃんのうた AL-414
11th 1963年4月 千代ちゃんのさよならとさよなら AL-431
12th 1963年8月 千代ちゃんの抒情詩集 AL-439
13th 1967年8月 島倉千代子歌謡劇場 哀しみの川のほとりに ナレーション有り/ALS-4247
14th 1967年12月 日本の郷愁 思い出のふるさとの子供たち ナレーション有り二枚組/ALS-5052〜3
15th 1968年6月 歌ある限り 島倉千代子歌手生活15周年記念 ALS-5063
16th 1969年9月 すみだ川 島倉千代子東海林太郎を歌う ALS-5099
17th 1970年11月 美しきは女の旅路 ALS-5137
18th 1971年9月 島倉千代子服部メロディを歌う ALS-5163
19th 1972年5月 島倉千代子とあなたの故郷 ALS-5174
20th 1972年11月 こころの故郷 ALS-5189
21st 1973年7月 島倉千代子 戦時の女性をうたう 九段の母 ALS-5251
22nd 1974年3月 島倉千代子 懐しのメロディをうたう 柿の木坂の家 ACE-7041
23rd 1974年12月 恋と涙と母さんと ACE-7074
24th 1975年3月 流し唄 ACE-7104
25th 1975年10月 抒情歌謡50年 ナレーション有り二枚組/AP-7018〜9
26th 1975年12月 激動の昭和に生きた女 ACE-7025
27th 1976年11月 哀愁の詩 AX-7043
28th 1977年9月 古賀メロディを歌う AX-7089
29th 1978年4月 島倉千代子こころの演歌 AX-7157
30th 1978年8月 男を唄う AX-7178
31st 1979年5月 男を唄う AX-7204
32nd 1979年12月 女を唄う AX-7220
33rd 1981年4月 鳳仙花 AF-7039
34th 1983年3月 ためいき橋 AF-7183
35th 1986年1月1日 新しい装い AF-7398
36th 1995年3月21日 LOVE SONG COCA-12419

企画アルバム

発売日 タイトル 備考/規格品番
1960年9月 ハワイアンによる千代ちゃんとあなたの歌 大橋節夫とハニーアイランダースによる演奏を収録/AL-228
1961年6月 千代ちゃんの童謡集 五枚組レコード"童謡玉手箱シリーズ"に収蔵。ナレーション有り童謡アルバム/AL-3042
1963年12月 島倉千代子 愛唱集 新録音セルフカバーアルバム/ALS-5027

ライヴアルバム

発売日 タイトル 備考/規格品番
1973年11月 島倉千代子20周年記念リサイタル ACE-7003
1975年9月 レコーディング1000曲記念リサイタル中 二枚組/ACE-7121〜2
1976年8月 NHKビッグショーライブ AP-7075

ベストアルバム

発売日 タイトル 備考/規格品番
1958年5月 島倉千代子歌謡アルバム AL-102
1962年6月 島倉千代子の花のステージ AL-5007
1964年2月 島倉千代子の花のステージ 第二集 新曲あり/ALS-4019
1964年12月 島倉千代子の花のステージ 第三集 ALS-4059
1966年6月 歌は生きている ゴールデン・ヒット・アルバム 二枚組/ALS-4168〜9
1966年12月 島倉千代子の花のステージ 第四集 ALS-4208
1967年11月 スター・デラックス 島倉千代子 ALS-5049
1968年3月 島倉千代子の花のステージ 第五集 ALS-4322
1968年12月 島倉千代子の花のステージ 第六集 ALS-4375
1969年5月 島倉千代子魅力のすべて 二枚組/ALW-17〜8
1970年7月 島倉千代子の花のステージ 第七集 ALS-4518
1976年10月5日 島倉千代子のすべて 二枚組/AB-7003〜4
2005年7月20日 島倉千代子スペシャルベスト COZA-133-4
2006年6月28日 ドーナツ盤 メモリー COZA-71094
2008年5月21日 島倉千代子ゴールデンベスト COCP-34944
2009年2月18日 名曲カバー傑作撰 二枚組 / COCP-35413-4
2009年5月20日 島倉千代子スーパーベスト COCP-35591
2010年6月23日 島倉千代子 ヒット曲集2010 COCP-36261
2010年10月20日 "極上演歌特盛" シリーズ 島倉千代子 COKM-30955
2010年10月20日 島倉千代子 全曲集 私の小さな幸せの花 COCP-36476
2011年3月23日 島倉千代子 特選ベスト2011 COCP-36703
2011年4月20日 陽だまりの花 COCP-36718
2011年10月19日 島倉千代子 全曲集 2011 COCP-36985
2012年2月1日 "極上演歌特盛" カラオケ・シリーズ 島倉千代子 COKM-31202
2012年6月20日 島倉千代子 プレミアム・ベスト2012 COCP-37326
2012年7月11日 島倉千代子 スマートパック COKM-31325
2012年7月25日 島倉千代子 カラオケ スマートパック COKM-31345
2012年10月17日 島倉千代子 全曲集 愛するあなたへの手紙 COCP-37614
2013年2月20日 ツイン・パック 二枚組 / COCP-37838-9
2013年6月19日 島倉千代子 プレミアム・ベスト2013 COCP-37998
2013年11月20日 島倉千代子 全曲集 2013 COCP-38221
2014年3月19日 "極上演歌特盛" ぷらす 〜からたちの小径〜 島倉千代子 COKM-32405
2014年3月19日 島倉千代子 スーパーヒット・セレクション 二枚組 / COCP-38468-9
2014年4月23日 歌手生活60周年記念 島倉千代子全集「こころ」〜すべての方に感謝を込めて〜 三十九枚組 / COZP-861-99
2014年10月22日 島倉千代子 全曲集 からたちの小径 COCP-38807
2015年2月18日 究極ベスト / 島倉千代子 COCP-38995
2015年3月18日 私が好きな島倉千代子の歌 COCP-38985
2015年7月22日 島倉千代子 ダブル・ベスト☆オリジナル&カバーズ 二枚組 / COCP-39184-5
2015年10月21日 島倉千代子 全曲集 2015 COCP-39295
2016年3月23日 極ベスト50 三枚組 / COCP-39475-7
2016年6月22日 ツイン・パック 二枚組 / COCP-39614-5
2016年10月19日 島倉千代子 全曲集 2016 COCP-39736
2017年7月19日 島倉千代子スペシャルベスト CD+DVD / COCP-1349-50
2017年10月18日 島倉千代子 全曲集 東京だョおっ母さん COCP-40143
2018年3月30日 島倉千代子ベスト 〜 オリジナル・ヒットをうたう (上) COCP-40283
2018年3月30日 島倉千代子ベスト 〜 オリジナル・ヒットをうたう (下) COCP-40284
2018年10月24日 島倉千代子 全曲集 逢いたいなァあの人に COCP-40529
2019年10月23日 島倉千代子 全曲集 2020 COCP-40990
2020年10月21日 島倉千代子 全曲集 からたち日記 COCP-41273
2021年10月27日 島倉千代子 魅力のすべて 二枚組 / COCP-41585-6
2021年11月17日 島倉千代子 全曲集 2022 COCP-41602
2022年10月19日 島倉千代子 全曲集 2023 COCP-41865
2022年10月26日 千代ちゃんのデュエット・コレクション COCP-41846

著書

  • 花のいのち(自叙伝、みき書房、1984年。)
  • 歌ごよみ(自叙伝、読売新聞社、1994年。ISBN 4-643-94005-0)
  • 島倉家-これが私の遺言(手記、文芸社、2005年。プロデュース:寺西一浩。ISBN 4-8355-9125-9)

出演

テレビ

  • 積木くずし 〜親と子の200日戦争(1983年、TBS) - 本人 役(特別出演)
  • 雨の降る駅(1986年、TBS)
  • 男と女のミステリー 心はロンリー気持ちは「…」VIII(1989年、フジテレビ)
  • 女子刑務所東3号棟(2003年、TBS) - 慰問者 役
  • 全員正解あたりまえ!クイズ(2005年-2006年、TBS)準レギュラー
  • 午後は○○おもいッきりテレビ(日本テレビ)

ほか多数

アニメ

  • ちびまる子ちゃん - 本人 役(特別出演)

映画

  • 東京の人さようなら(1956年、東宝)
  • 新妻鏡 (1956年、新東宝) - 本人 役
  • 大学の石松 女群突破 (1957年、東映) - 島村岐代子 役
  • あんみつ姫の武者修業(1960年、松竹) - 千鳥太夫 役
  • 太陽に突っ走れ (1966年、東映) - 本人 役
  • サード (1978年、ATG) - サードのおふくろ 役(特別出演)

ほか多数

CM

  • 山本山
  • 日清食品 出前一丁 (1989-1992)
  • 野田建工
  • 理想科学工業 リソグラフ(「からたちの花」の替え歌を歌唱)
  • 京都きものプラザ 大B反市

注釈

出典

関連項目

  • 1955年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手
  • 島木譲二 - 彼のギャグで『しまったしまった島倉千代子!』というのがある。

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/04/19 04:54 UTC (変更履歴
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