中島浩一 : ウィキペディア(Wikipedia)
来歴
プロ入り前
1976年、正強高等学校(現奈良大学附属高等学校)の3年夏に選手権紀和大会2回戦で奈良工業高等学校に敗れ、3年間で甲子園出場なしhttps://bibijr.com/nara/39022。
近鉄時代(1回目)
1年目の1976年は一軍登板なしプロ野球選手名鑑 1976年度決定版 恒文社。 2年目の1977年は一軍・二軍ともに登板なしに終わったプロ野球選手名鑑 1977年度決定版 恒文社。
クラウンライター・西武時代
3年目の1978年6月30日に、野崎恒男ともに2対1のトレードで太平洋クラウンライターへ移籍(クラウンライターからは高木孝治)。同年は二軍で8試合に登板し、0勝0敗、防御率2.81を記録したアサヒ芸能臨時増刊 1978プロ野球全選手名鑑。
4年目の1979年は二軍で9試合に登板し、1勝3敗、防御率7.50。結果を残すことができなかった。 同年限りで西武を退団し、再び近鉄へ復帰プロ野球'80 選手名鑑 日刊スポーツ新聞社 1980年。
近鉄時代(2回目)
1980年、古巣で迎えた5年目は一軍・二軍ともに登板なし。 同年限りで近鉄を退団した。
詳細情報
年度別打撃成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 78 (1976年 - 1978年途)
- 53 (1978年 - 1979年)
- 73 (1980年)
人物
クセ球を投げた投手で、ストレートに伸びがあった。選手名鑑によると、真面目な選手であったという。
関連項目
- 京都府出身の人物一覧
- オリックスバファローズの選手一覧
- 埼玉西武ライオンズの選手一覧
- 大阪近鉄バファローズの選手一覧
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/09/27 01:44 UTC (変更履歴)
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.