宮本恵美子 : ウィキペディア(Wikipedia)
宮本 恵美子(みやもと えみこ、現姓:寺山、1937年5月10日 - 2023年12月7日)は、日本の元女子バレーボール選手。1964年東京オリンピックバレーボール女子金メダリスト。東洋の魔女 (Oriental Witches) Remembering the Oriental Witches: Sports, Gender and Shōwa Nostalgia in the NHK Narratives of the Tokyo Olympics / Oxford University Pressの主力メンバー。
来歴
和歌山県和歌山市出身。和歌山市立明和中学校【東京五輪開幕から50年】メダリストからの“金”言!(4/5ページ)サンスポ 2014年10月10日時代に近畿大会で優勝。和歌山商業高校在学中にスカウトされて、実業団の日紡貝塚(当時)に入部。
入部当初は不器用なタイプで、アタックは強烈だがレシーブやトスがこなせず、「試合に出られなくても球拾いで頑張る」と自分に言い聞かせて、2年間控えにまわる。その姿を見続けてきた大松博文監督(当時)は「必ずモノになる」と確信したと述懐している VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1964年9月号 76ページ。しだいにトスやレシーブが上達し、チームが9人制から左アタッカーが有利な6人制にシフトしたこともあり、レギュラーを獲得した日立市在住 東洋の魔女 寺山恵美子さんに聞いてみたいばナビ 。東洋の魔女の一員として、1962年の世界選手権では優勝に大きく貢献しMVPを獲得、「世界一のアタッカー」と呼ばれた。つづく1964年10月の東京オリンピックでも金メダル獲得に大きく貢献した。
現役引退後の1965年3月には元東京オリンピックバスケットボール強化コーチと結婚し、茨城県日立市に長年住み、県内を中心にバレーボールの講演会や指導などに取り組んでいた。
2023年12月7日、敗血症のため茨城県高萩市の病院で死去。。
球歴
- 全日本代表としての主な国際大会出場歴
- オリンピック - 1964年
- 世界選手権 - 1960年、1962年
所属チーム
- 市立明和中
- 和歌山商業高校
- 日紡貝塚(1956-1964年)
参考文献
- VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1964年10月号 44-45ページ
- VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1965年5月号 74ページ
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/12/09 13:28 UTC (変更履歴)
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