アミット・シャー : ウィキペディア(Wikipedia)

アミット・アニルチャンドラ・シャー(、1964年10月22日 - )は、 インドの政治家。インド人民党(BJP)所属のローク・サバー議員であり、同党の総裁を2014年から2020年まで務めた。第2次モディ内閣で内務大臣。

BJPの最高戦略責任者であり、ナレンドラ・モディの側近である。2019年インド総選挙ではBJP総裁として選挙戦を戦い、同党の最高獲得議席を記録する勝利へと導いた。

経歴

生い立ち

1964年10月22日にムンバイで生まれる。 彼の家族は裕福なヒンドゥー教徒 でバニヤ(商人のカースト)であった。"I Am A Hindu Vaishnav, Not Jain": Amit Shah少年時代から民族義勇団(RSS)に関わっており、1982年にはアーメダバードでのRSSの活動を通じてナレンドラモディと出会った。

政治活動

1983年、RSSの学生組織であるのリーダーとして政治的なキャリアを始めました。1987年には、モディより1年先にインド人民党(BJP)に入党した。1991年インド選挙でラール・クリシュナ・アードヴァーニーの選挙運動本部長を務めていたとき、その優れた手腕が脚光を浴びている。

1995年、BJPはグジャラート州で初の州政権を樹立し、が州首相に就任した。 当時のグジャラートではインド国民会議の影響力が強かったため、モディとシャーは協同して、農村部での国民会議派の勢力を削っていった。 その戦略は、すべての村で2番目に影響力のあるリーダーを見つけ、その人物をBJPに参加させるというものであった。彼らは、さまざまな村のプラダン(村長)の職に選挙で敗れた8,000人の有力な農村指導者のネットワークを形成した。

1997年にモディは、 グジャラート州議会の補欠選挙にシャーが出馬するよう働きかけた。 シャーは、補欠選挙に立候補して当選し、1997年2月には州議会議員となった。1998年の州議会選挙では再選している。

インド人民党総裁

2014年7月、中央委員会においてアミット・シャーのBJP総裁への任命が全会一致で承認された。2016年1月24日にはBJP総裁に再選Amit Shah re-elected BJP president. The Hindu, 25 January 2016.。

党首就任後は、積極的な党員拡大を展開し、2015年3月までにBJPは1億人の党員を獲得した。2014年から16年にかけての総裁在任中には、マハーラーシュトラ州、ハリヤーナー州、ジャンムー・カシミール州、ジャールカンド州、アッサム州の各州議会選挙でBJPは勝利をおさめたが、デリーとビハール州の州議会選挙では敗北している。

内務大臣

2019年5月30日に閣僚の宣誓式を行い、内務大臣に就任した。

家族

6人の姉妹がおり、そのうち2人はシカゴに住んでいるExclusive! Amit Shah on Friday: Wakes up late, eats poha, chats with Modi, Rediff.com, May 16, 2014The ‘Shah’ of BJP’s game plan who wants to alter India’s political culture, Hindustan Times, Jul 17, 2016

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2021/11/19 15:48 UTC (変更履歴
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