ネイマール : ウィキペディア(Wikipedia)

ネイマール(Neymar)ことネイマール・ダ・シウバ・サントス・ジュニオール(Neymar da Silva Santos Júnior , 1992年2月5日 - )は、ブラジル・サンパウロ州モジ・ダス・クルーゼス出身のサッカー選手。サウジ・プロフェッショナルリーグ・アル・ヒラル所属。ブラジル代表。ポジションはFW。ブラジル代表歴代最多得点記録保持者。

史上初めて、欧州クラブでプレーせずに、バロンドール候補に入った選手(2011年、サントスFC)。

ブラジル代表には18歳でデビューし、2023年現在最多得点記録を保持している。2013年コンフェデ杯ではゴールデンボールに選出された。2016年にはリオ五輪にOA枠で出場し、金メダルを獲得した。

2021年には所属クラブであるパリ・サンジェルマンと総額約638億円の年俸契約を結んだことが世界的なニュースとなった総額実に638億円!PSGがネイマールと交わした超大型契約の詳細が明らかに

概要

ブラジルのサントスFC時代には、南米年間最優秀選手賞を2度獲得している。欧州の舞台ではFCバルセロナに所属しリオネル・メッシ、ルイス・スアレスと攻撃トリオを組み、ラ・リーガ、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグの三冠に貢献した。2015年のバロンドールでは3位にランクした。翌年もラ・リーガとコパ・デル・レイの連覇に貢献し、2017年には史上最高額の2億2200万ユーロ相当(約284億円)の移籍金でパリ・サンジェルマンに移籍した。1年目にはリーグ・アン年間最優秀選手賞に選ばれた。

世界で最も有名なスポーツ選手の一人であり、SportsProは2012年と2013年に世界で最も市場価値のあるアスリートに指名し、ESPNは2016年に彼を世界で4番目に有名なアスリートとして挙げた。2017年にはTimeによる世界で最も影響力のある選手の一人にリストアップされた。さらに2019年には、フォーブスが彼をスポーツ選手長者番付3位(1位リオネル・メッシ、2位クリスティアーノ・ロナウド)であると発表した。

経歴

幼少期

ネイマール・ダ・シウバ・サントス・ジュニオールは、ネイマール・ダ・シウバとナディーン・サントスとの間にサンパウロ州モジ・ダス・クルーゼスで一男一女の長子として出生、モデル業のrafaella beckranは4歳年下の実妹調べれば調べるだけおもしろい、美人モデルのネイマールの妹さん(画像あり)。実父もかつてサッカー選手であった。成長すると、ネイマールはフットサルとストリートサッカーに夢中になった。

1992年、ネイマールは家族と共にに転居した。1999年にポルトゥゲーザ・サンチスタのユースクラブ入団を経て、2003年にサントスFCのユースクラブに移籍した。ユース年代で成功を収めると、家族はの隣に初めての物件を購入した。ネイマールは、15歳の時には1カ月に10,000レアル、16歳の時には1カ月に25,000レアルの収入があった。17歳でプロ契約を交わしサントスのトップチームに昇格し、スポンサー契約も得た。

サントス

2005年1月、12歳だったネイマールはレアル・マドリードとの契約を交わす予定だったが、締結には至らなかったR・マドリー、ブラジルの新星ネイマール獲得なるか? livedoorニュース、2007年8月31日。2008年2月10日、サントスFCとプロ契約を結び、違約金は5000万ユーロに設定されたバルサが興味を示す16歳FWに84億円の値札つく! livedoor.com、2008年2月13日。

13歳の時に、元レアル・マドリードFWロビーニョの年末チャリティマッチに参加。試合はテレビ中継されたこともあり、一躍有名になる。その後幾度となくサッカー番組などに出演し、サポーターからも一軍でのデビューを期待されるようになった。

デビュー戦となったサンパウロ州選手権のオエステFC戦では、得意の高速ドリブルやペダラーダを連発し、負けていた試合を逆転勝利に導いた。翌節のモジミリンEC戦でプロ初ゴールを決め、試合観戦していたペレに「彼はうまくいけば私を超える潜在能力を持っている」と評されたネイマール争奪戦はミランとチェルシーの争いか Goal.com、2009年4月2日。

2011年のコパ・リベルタドーレス決勝戦の対CAペニャロール戦では、アウェーの第1戦を0-0の引き分けで終え、ホームでの第2戦では47分に値千金の先制弾を決め、最終的に2-1でサントスが1963年大会以来、3度目のコパ・リベルタドーレス制覇を達成した。なおネイマール自身はこの大会で計6ゴールを記録しており、優勝の原動力となった。南米代表として出場したFIFAクラブワールドカップ2011では、12月14日の初戦の柏レイソル戦で、キックフェイントからのミドルシュートで先制点を挙げ、勝利に貢献Report: Kashiwa Reysol v Santos FC - FIFA Club World Cup ESPN Soccernet 2011年12月14日柏レイソル 対 サントス リポート Goal.com 2011年12月14日。しかし決勝ではFCバルセロナの前に徹底マークに苦しみ、チームも0-4で敗北し準優勝に終わった。

2012年1月1日、2011年の南米年間最優秀選手賞に選出されたことが発表されたネイマールが南米年間最優秀選手に Goal.com 2012年1月1日19歳のネイマール、2011年の南米最優秀選手賞を受賞 SOCCER KING 2012年1月2日。

2013年5月26日、サントスでの最後の試合に出場し、試合前の国歌斉唱の際には涙を流した。

バルセロナ

2013年5月24日、サントスがネイマールの放出を発表サントス、ネイマール放出を発表 移籍先は「本人と父親が選ぶ」 Goal.com 2013年5月25日、26日にFCバルセロナとの5年契約での合意が発表されたバルサ、ネイマールとの合意発表 選手は「27日にサイン」 Goal.com 2013年5月26日。6月3日、正式に契約を締結した。背番号は当初決まっていなかったが、ティアゴ・アルカンタラがバイエルン・ミュンヘンに移籍した後、サントスでも着けていた11番を着けることになった。8月21日のスーペルコパ・デ・エスパーニャのアトレティコ・マドリード戦にてチームを優勝に導くアウェーゴールを決め、公式戦初得点を記録した。9月25日のレアル・ソシエダ戦ではチャンピオンズリーグも含め5戦連続アシストを記録した。10月26日の自身初のエル・クラシコでは1ゴール1アシストを記録し、2-1での勝利に貢献した。12月11日のチャンピオンズリーググループステージのセルティック戦では移籍後初のハットトリックを達成した。

2014-15シーズンはアルゼンチン代表のメッシ、ウルグアイ代表のルイス・スアレスと3トップを組み、公式戦39ゴール、3トップとしてはスペイン史上最多となる公式戦ゴール数122ゴールを記録した。さらにはチャンピオンズリーグ決勝のユヴェントス戦でも5試合連続となるゴールを決めてメッシ、クリスティアーノ・ロナウドと並んでCL得点王となり、ラ・リーガ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグの三冠を達成して欧州初のメジャータイトルを獲得した。また欧州と南米でクラブ王者のタイトルを獲得した史上8人目の選手となったネイマールが史上8人目の選手に…欧州と南米でクラブ王者に輝く soccerking 2015年6月7日。12月に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ2015決勝でも南米王者のリーベル・プレート相手に華麗な5人抜きドリブルをみせリオネル・メッシの先制点とルイス・スアレスの3点目をアシストし優勝に貢献した。サントスFC時代にFIFAクラブワールドカップ2011決勝で敗れた相手でもあるFCバルセロナで今度はクラブ世界一を手にした。

2015-16シーズン、エースであるメッシの負傷による長期離脱の際には攻撃を牽引し、10月17日の第9節ラージョ・バジェカーノ戦ではハットトリックを含む4得点の活躍を見せた。さらに、メッシ、クリスティアーノ・ロナウドと共に自身初となる世界最優秀選手賞FIFAバロンドールの最終候補3人に選ばれた。シーズン後半は調子を落とすものの、公式戦31ゴール16アシストを記録し、コパ・デル・レイの決勝でも追加点を決めるなど、ラ・リーガとコパの連覇に貢献した。

2016年7月1日、クラブとの契約を2021年まで延長した。契約解除金は1年目は2億ユーロ、2年目は2億2000万ユーロ、3年目以降は2億5000万ユーロに設定された。2017年3月8日のチャンピオンズリーグ、PSG戦では終了間際に3得点に絡む活躍を見せ、1stレグ0-4からの逆転勝利に貢献した。5月27日のコパ・デル・レイの決勝では2年連続で得点し、優勝に貢献した。

2017年7月中旬、母国ブラジルの報道機関であるグローボ紙がネイマールがFCバルセロナから退団するかもしれないという事を伝えた。現地バルセロナの機関紙であるSPORTもこれを報じたがムンド・デポルティーボは否定していた。さらに、7月23日にチームメイトであるジェラール・ピケが彼は残るとInstagramに投稿し、メッシとスアレスが約1時間ネイマール本人と話し合ったことからこの移籍騒動は沈静化するかと思われたが、ピケ本人から個人的な意見だった説明した事や本人の口からは何も話されていない事から移籍騒動はぶり返された。FCバルセロナのプレシーズンマッチも終わり、8月になり7月30日からの自身のプロモーションの為に訪れていた中国からバルセロナに帰国、このまま練習に参加するかと思われたが、FCバルセロナから公式にネイマール本人が退団の意思を見せた事を明らかにし、契約解除金として2億2200万ユーロを払わなければ放出しない事も同時に明らかにした。現地時間の8月3日、FCバルセロナからネイマール名義で契約解除金の2億2200万ユーロが支払われたと発表された。しかし、スペイン・プロリーグ機構は、契約解除金の受け取りを拒否し、それに対してフランス・プロサッカーリーグがネイマールのパリ・サンジェルマン移籍を全面的にサポートすると発表する事態となった。

移籍決定後、ネイマールの父親はバルサに前年の契約更新ボーナスの支払いを求めたが、クラブ側は条件を満たさないとしてこれを拒否した。また、8月22日にFCバルセロナは、契約延長のボーナスとして支払われた金額の返還と損害賠償金として850万ユーロに遅延金の10パーセントを上乗せた金額を支払う事を求めた事を発表した。

パリ・サンジェルマン

2017年8月3日、パリ・サンジェルマンFCへの移籍が発表され、2022年までの5年契約を締結したNeymar Jr au Paris Saint-Germain ! PSG.fr 2017年8月4日。背番号はハビエル・パストーレから譲られた10番に決定。なお、背番号10番はズラタン・イブラヒモビッチやジェイ・ジェイ・オコチャといった名手、同郷の先輩であるロナウジーニョやライーが着けた背番号である。2017年8月12日、EAギャンガン戦で同クラブの選手としてリーグデビュー、同試合で1ゴール1アシストを記録した。2018年2月25日のオリンピック・マルセイユ戦で足を骨折してその後のシーズンは離脱した。公式戦30試合の出場で28ゴールを記録した。

2018-19シーズンは開幕戦からゴールを決めた。10月4日、欧州CL第2節のレッドスター・ベオグラード戦ではハットトリックを決めて今季CL初勝利に貢献した。2019年1月下旬のクープ・ドゥ・フランスラウンド16のRCストラスブール戦で相手のチャージを受け、中足骨骨折を負った。欠場した欧州CL決勝T1回戦のマンチェスター・ユナイテッドFC戦第2戦での審判の判定に対し、自身のSNSで怒りを露にした。これにより3試合のCL出場停止処分を受けた。約3か月離脱したのち、4月22日のASモナコ戦で復帰。同月27日のクープ・ドゥ・フランス決勝のスタッド・レンヌ戦では得点を挙げたが敗れた。その表彰式で、PSGの選手が近くの観客と握手を交わしながらメダルを受け取るために階段を上っていく中、列の最後尾近くにいたネイマールがチームメイトを侮辱したという観客の一人の顔を殴打した。この行為は監督やチームメイトからも苦言を呈され、フランスサッカー連盟(FFF)から3試合の出場停止に加えて2試合の執行猶予処分を下された。

2019-20シーズンは怪我や開幕後まで移籍話があったことも影響し、9月14日のリーグ・アン第5節・RCストラスブール戦で初出場。ホーム開催にも関わらず自身に対してブーイングが起きたが、後半アディショナルタイムに決勝点となるゴールをオーバーヘッドキックで決めた。しかし10月の代表戦や2月のリーグ戦でも負傷してしばしば離脱しており、リーグ戦は15試合の出場に留まった。欧州CLではラウンド16ボルシア・ドルトムント戦にてホーム戦とアウェー戦でそれぞれ1ゴールずつ決め、チームの準々決勝進出に貢献した他、チームを決勝まで導いた。

アル・ヒラル

2023年8月15日、アル・ヒラルに移籍した。契約期間は2025年6月までの2年間。9月15日、アル・リヤドSC戦に途中出場して移籍後初出場すると、移籍後初アシストも記録した。

代表経歴

2010 FIFAワールドカップ後のブラジルの最初の試合となった2010年8月10日のアメリカ戦でブラジル代表に初めて招集された。ネイマールはこの試合で代表デビューを果たし、先制点となる代表初ゴールを挙げた。

ロンドン五輪

2011年1月に開催された南米ユース選手権では得点王となる9得点を挙げる活躍でブラジルの優勝に貢献した。ロンドンオリンピックのU-23ブラジル代表メンバーに選出されると、全7試合に出場して4得点を挙げ銀メダル獲得に貢献した。

2011年3月27日のスコットランドとの親善試合では初の1試合2得点を記録したネイマール:「ブラジル代表で歴史を築きたい」 Goal.com 2011年3月28日。この試合では2得点目を決めた際に、ネイマールに対して観客席からバナナが投げつけられた。バナナは黒人差別を示唆する物であり、スコットランドサポーターによる人種差別がなされたのではないかと問題になったブラジル代表ネイマール、ロンドンでバナナを投げられる Livedoorニュース 2011年3月28日。後にバナナを投げつけたのはドイツ人観光客だと判明し、人種差別的意図は無かったと主張したことから事態は沈静化したネイマールへバナナを投げたのはドイツ人観光客だった Livedoorスポーツ 2011年3月30日。

2012年9月10日の中国との親善試合で代表では初となるハットトリックを記録したブラジル、圧巻の8ゴールで中国に大勝…ネイマールがハットトリック SOCCER KING 2012年9月11日。

コンフェデ杯2013

2013年、ネイマールはルイス・フェリペ・スコラーリ率いるブラジル代表の一員として、母国開催のFIFAコンフェデレーションズカップ2013のメンバーに選出された。また、背番号はそれまで11番を着用していたが、この大会から10番が割り当てられた。

6月15日にエスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリア・マネ・ガリンチャで行われた日本戦では、フレッジが胸トラップで落としたボールをペナルティエリア外からダイレクトボレーを放ち、大会のオープニングゴールを決めた。第2戦のメキシコ戦でもネイマールはゴールを決めると、後半にもジョーのゴールもアシストして2-0の勝利に貢献した。第3戦のイタリア戦では、ペナルティエリアの端から強烈なフリーキックで3試合連続ゴールを決め、3試合連続でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。

6月30日、スペイン代表との決勝戦でネイマールはフレッジの先制点をアシスト。さらにブラジルの2点目も決めて3-0で勝利し、地元ブラジルで優勝を果たした。これらの活躍によってネイマールは大会で最も活躍した選手に贈られるゴールデンボール賞を受賞した。

ブラジルW杯

地元ブラジルでの開催となった2014 FIFAワールドカップでは、グループリーグのクロアチア戦、カメルーン戦で2ゴールずつを奪い、準々決勝の時点でチーム最多得点となる4ゴールを挙げていたが、準々決勝コロンビア戦後半43分にDFフアン・スニガの膝による激しいチャージを背後から受け負傷、そのまま担架で運ばれ、フォルタレザ市内の病院に搬送、脊椎骨折で全治数週間と診断され、残る準決勝以降の試合に出場できなくなった。続く準決勝でネイマールを欠いたブラジルが大敗したこともあり、スニガには非難が殺到し、脅迫や犯罪予告が行われる事態となったため、ネイマールは当時流行していたアイス・バケツ・チャレンジでスニガを指名すると、スニガもこれに応じ和解をアピールした。

ワールドカップ後の初戦となった2014年9月5日のコロンビアとの親善試合では、チアゴ・シウバの負傷に伴い、ブラジル代表史上最年少となる22歳での主将に任命され、試合前にはコロンビアのキャプテンとなった因縁の相手であるスニガと抱擁し、和解を強調。試合では直接フリーキックによる決勝点を挙げた。

2014年10月14日の日本との親善試合では自身初となる1試合4得点を記録した。ブラジル代表では2000年10月8日のベネズエラ戦でロマーリオが記録して以来14年ぶり8人目(9回目)で、22歳での4得点は最年少、4-0で全4得点を挙げたのは史上初めてだった。この4得点で代表通算40得点とし、ベベットを抜きブラジル代表歴代5位となった。また日本からは通算7得点目となり、日本代表を相手に史上最も得点を挙げた選手となった。

コパ・アメリカ2015

2015年5月5日にブラジル代表としてコパ・アメリカ2015のメンバーに選出された。6月14日にグループステージ初戦のペルー戦で1得点1アシストをマークし初戦を勝利したが、6月17日のコロンビア戦でドゥンガ体制になって初めて敗れた。その試合後に相手DFパブロ・アルメロに対してボールを蹴りつけ、その後乱闘に発展した。この乱闘により相手FWカルロス・バッカと共にレッドカードを提示され、6月19日に南米サッカー連盟(CONMEBOL)は4試合の出場停止処分を下したことを発表したネイマールのコパが終了に。出場停止は4試合 footballchannel 2015年6月20日。これによりネイマールのコパ・アメリカ2015が終了した。また2014 FIFAワールドカップで負傷させられたコロンビア代表DFフアン・スニガに対して皮肉コメントを浴びせていたネイマール、W杯で負傷させられたスニガに皮肉「ありがとう、くそ野郎」 footballchannel 2015年6月19日。

リオデジャネイロ五輪

2016年6月29日、リオデジャネイロオリンピックのU-23ブラジル代表メンバーにオーバーエイジ枠として選出された。ネイマールはリオデジャネイロオリンピックの出場を優先するため、コパ・アメリカ・センテナリオの出場を欠場していた。準決勝のホンジュラス戦で、オリンピック史上最速となる試合開始からわずか15秒でゴールを決めた。ブラジルW杯の雪辱戦となったドイツとの決勝戦では先制点を挙げて大会4ゴールを記録し、PK戦でも最終キッカーとして成功し、ブラジルのオリンピック初優勝に大きく貢献したブラジル、悲願の五輪初優勝! ネイマールがPK戦の勝負決めドイツ下す【リオ五輪サッカー】 フットボールチャンネル 2016年8月21日。

リオデジャネイロオリンピック後、「キャプテンであることは名誉だった、様々な愛情を受けてキャプテンをしていた。しかしもうブラジル代表のキャプテンはやりたくない」と心境を吐露し、チアゴ・シウバから受け継いでいたキャプテンマークをジョアン・ミランダに引き継ぎ、自らはキャプテンを降りたネイマール、「ブラジル代表のキャプテンを辞める」と宣言 Qoly 2016年8月21日。なお、2018年のW杯後に再びキャプテンになったが、問題行動により2019年に監督からはく奪された。

ロシアW杯

2018 FIFAワールドカップの最終メンバーにも選ばれた。6月3日のクロアチアとの親善試合で足の怪我から3か月ぶりに国際試合に復帰し、ゴールを決めた。本大会ではグループリーグ第2戦のコスタリカ戦で1ゴール、決勝トーナメント1回戦メキシコ戦では1ゴール1アシストを決めた。しかし、準々決勝のベルギー戦で敗れた。大会を通じてデータ上は良いパフォーマンスを見せたものの、相手のチャージに対する過剰演技を何度も繰り返し、批判を集めてしまった。

コパ・アメリカ2019

コパ・アメリカ2019の代表メンバーにも選出されたが、直前の親善試合で右足首に靭帯損傷を負い、欠場が決まった。

カタールW杯

2022 FIFAワールドカップ・南米予選の第2節ペルー戦でハットトリックを達成したことで通算得点数を64に伸ばし、ロナウドの62を超えて代表歴代2位となった。 2022年11月7日、W杯カタール大会に向けたメンバーの1人に選ばれた。今大会が最後のW杯と話していた本大会では、グループG初戦のセルビア戦を2-0で制するも、試合中に足首を負傷してしまいグループステージの残りの試合を欠場することになった。チームは続くスイス戦も1-0で勝利し、最終節のカメルーン戦で24年ぶりにグループリーグで敗戦を喫したが1位で通過した。ネイマールは決勝トーナメント1回戦の韓国戦から復帰し、自身のPKでの得点を含む4-1で快勝した。準々決勝クロアチア戦の延長前半には、ペレが持つブラジル代表最多得点記録(77得点)に並ぶ先制点を決めたが、延長後半に同点弾を決められてPK戦に突入。PK戦では1人目のロドリゴのシュートをドミニク・リヴァコヴィッチに阻まれ、さらに4人目のキッカーのマルキーニョスも決められなかったことで、ネイマールはPKを蹴らずして2大会連続のベスト8敗退を味わうことになった。

2023年9月8日、2026 FIFAワールドカップ・南米予選のボリビア戦でその試合チーム4点目となるゴールを挙げ、ブラジル代表最多得点記録を更新した。

プレースタイル・評価

ネイマールは主にウインガー、または攻撃的なミッドフィールダーとしてプレーしている。4–3–3フォーメーションではクラブと代表の両方で左サイドのウインガーとしてプレーし豊富な運動量と創造性を生かし、また内側に切れ込むようにプレーすることで利き足右足でシュートを撃ち、相手ディフェンダーの重心を二度三度動かすような、ドリブルやパスでチャンスを作る。

創造性、視野の広さ、パススキル、シュートスキル、ドリブル、フェイント、テクニックにおいて優れており、同胞のロナウジーニョにも喩えられる。ヒールリフト(レインボーフリック)を得意技としている。

利き足は右足だが、両足と頭で得点することができ、フリーキックとペナルティーキックの名手である。

またネイマールは「ドリブル、シュート、ヘッダー、コントロールなど、全てを完璧にしたい。常に改善できるものだ。」と常に向上心を掲げていることを語っている。リオネル・メッシクリスティアーノ・ロナウド、アンドレス・イニエスタ、シャビ・エルナンデス、ウェイン・ルーニーを影響を受けた選手に挙げている"Neymar cools Messi comparison" . Sky Sports. Retrieved 9 May 2014。

ロナウジーニョは、ネイマールが世界最高の選手になると評している。ロナウドも同様に現状はメッシが世界最高であるとしながらも、ネイマールは世界最高の選手となりうる才能の持ち主であると評している。元レアル・マドリードの監督ホルヘ・バルダーノは、ネイマールを称賛し、「ネイマールが大好きだ。彼の個人技の多くはゴールをもたらし、しばしばピッチ上で彼だけでプレーしているように思わせる」と語った。シャビ・エルナンデスはネイマールが「素晴らしい選手であり、非常に良い態度を持ち、世界で最高の選手になるだろう」と述べた。

一方で、PK狙いでダイブしたり、ファウルを受けると過剰に痛がるなど、審判を欺く演技(シミュレーション)が多いという評価もある。

パリ・サンジェルマンに移籍以降は怪我が多く、11度の怪我や4度の出場停止などにより2019年10月23日時点でのPSGでの出場率は50%(126試合中63試合出場)しかなかった。

人物・エピソード

個人成績

国内リーグ国内カップ国際大会通算
クラブシーズン背番号セリエAセリエA1コパ・ド・ブラジルCONMEBOLFIFA CWCシーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
サントス200973310123314814
201011311719148112コパ・スダメリカーナ06042
2011211311413コパ・リベルタドーレス6214724
201217141620128214743
2013101812412313
通算1035476531513271442225136
クラブシーズン背番号リーガ国王杯スーペルコパUEFAFIFA CWCシーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
バルセロナ2013-141126931211044115
2014-15332267-12105139
2015-16 34 24 5 4 0 093 1 0 49 31
0UEFAスーパーカップ0
2016-1730136300944520
通算12368201521402110186105
クラブシーズン背番号リーグ・アンフランス杯スーパー杯欧州CLシーズン通算
リーグ杯 2019-20シーズンを最後に廃止。
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
PSG2017-1810201912763028
21
2018-1917153210652823
11
2019-20151322-732719
31
2020-211893111963117
2021-2222130000602813
2022-2320132112622918
通算11282118964122173118
キャリア通算 出場得点出場 得点出場得点 出場得点
338204133 9611359 584359

代表歴

出場大会

  • U-17ブラジル代表
    • 2009年 - FIFA U-17ワールドカップ(グループリーグ敗退)
  • U-20ブラジル代表
    • 2011年 - 南米ユース選手権(優勝
  • U-23ブラジル代表
    • 2012年 - ロンドンオリンピック(銀メダル)
    • 2016年 - リオデジャネイロオリンピック・オーバーエイジ枠での出場(金メダル
  • ブラジル代表
    • 2011年 - コパ・アメリカ2011(ベスト8)
    • 2013年 - FIFAコンフェデレーションズカップ2013(優勝
    • 2014年 - 2014 FIFAワールドカップ(4位)
    • 2015年 - コパ・アメリカ2015(ベスト8)
    • 2018年 - 2018 FIFAワールドカップ(ベスト8)
    • 2021年 - コパアメリカ2021 (準優勝)
    • 2022年 - 2022 FIFAワールドカップ(ベスト8)

試合数

|- |2010||2||1 |- |2011||13||7 |- |2012||12||9 |- |2013||19||10 |- |2014||14||15 |- |2015||9||4 |- |2016||6||4 |- |2017||8||3 |- |2018||13||7 |- |2019||5||1 |- |2020||2||3 |- |2021||13||6 |- |2022||8||7 |- !通算 !124||77 |}

代表での得点

# 開催年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1. 2010年8月10日 USA イーストラザフォード、メットライフ・スタジアム 0 - 1 0 - 2 親善試合
2. 2011年3月27日 ENG ロンドン、エミレーツ・スタジアム 0 - 1 0 - 2
3. 0 - 2
4. 2011年7月13日 ARG コルドバ、エスタディオ・マリオ・アルベルト・ケンペス 2 - 1 4 - 2 コパ・アメリカ2011
5. 4 - 2
6. 2011年8月10日 GER シュトゥットガルト、メルセデス・ベンツ・アレーナ 3 - 2 3 - 2 親善試合
7. 2011年9月29日 BRA ベレン、エスタディオ・オリンピコ・ド・パラ 1 - 0 2 - 0
8. 2011年10月8日 CRI サン・ホセ、エスタディオ・ナシオナル・デ・コスタリカ 0 - 1 0 - 1
9. 2012年5月30日 USA ワシントンD.C.、フェデックスフィールド 0 - 1 1 - 4
10. 2012年9月10日 BRA レシフェ、エスタディオ・ド・アルーダ 2 - 0 8 - 0
11. 5 - 0
12. 6 - 0
13. 2012年9月19日 BRA ゴイアニア、エスタディオ・セッラ・ドゥラダ 2 - 1 2 - 1
14. 2012年10月11日 SWE マルメ、スウェドバンク・スタディオン 5 - 0 6 - 0
15. 2012年10月16日 POL ヴロツワフ、ヴロツワフ市立競技場 2 - 0 4 - 0
16. 3 - 0
17. 2012年11月14日 USA イーストラザフォード、メットライフ・スタジアム 1 - 1 1 - 1
18. 2013年4月6日 BOL サンタクルス、エスタディオ・ラモン・タウイチ・アギレラ 0 - 2 0 - 4
19. 0 - 3
20. 2013年4月24日 BRA ベロオリゾンテ、ミネイロン 2 - 1 2 - 2
21. 2013年6月15日 BRA ブラジリア、エスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリア 1 - 0 3 - 0 FIFAコンフェデレーションズカップ2013
22. 2013年6月19日 BRA フォルタレザ、カステロン 1 - 0 2 - 0
23. 2013年6月22日 BRA サルヴァドール、アレーナ・フォンチ・ノヴァ 1 - 2 2 - 4
24. 2013年6月30日 BRA リオデジャネイロ、エスタジオ・ド・マラカナン 2 - 0 3 - 0 FIFAコンフェデレーションズカップ2013決勝
25. 2013年9月7日 BRA ブラジリア、エスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリア 3 - 0 6 - 0 親善試合
26. 2013年9月10日 USA フォックスボロ、ジレット・スタジアム 2 – 1 3 - 1
27. 2013年10月12日 KOR ソウル、ソウルワールドカップ競技場 0 – 1 0 - 3
28. 2014年3月5日 RSA ヨハネスブルグ、FNBスタジアム 0 - 2 5 - 0
29. 0 - 3
30. 0 - 5
31. 2014年6月3日 BRA ゴイアニア、エスタディオ・セッラ・ドゥラダ 0 - 1 0 - 2
32. 2014年6月12日 BRA サンパウロ、アレーナ・デ・サンパウロ 1 - 1 3 - 1 2014 FIFAワールドカップ
33. 2 - 1
34. 2014年6月23日 BRA ブラジリア、エスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリア 0 - 1 1 - 4
35. 1 - 2
36. 2014年9月5日 USA マイアミガーデンズ、ハードロック・スタジアム 1 - 0 1 - 0 親善試合
37. 2014年10月14日 SIN シンガポール、ナショナルスタジアム 0 - 1 0 - 4
38. 0 - 2
39. 0 - 3
40. 0 - 4
41. 2014年11月12日 TUR イスタンブール、シュクリュ・サラジオウル・スタジアム 0 - 1 0 - 4
42. 0 - 4
43. 2015年3月26日 FRA サン=ドニ、スタッド・ド・フランス 1 - 2 1 - 3
44. 2015年6月14日 CHL テムコ、エスタディオ・ムニシパル・ヘルマン・ベッケル 1 - 0 2 - 1 コパ・アメリカ2015
45. 2015年9月8日 USA フォックスボロ、ジレット・スタジアム 0 - 2 1 - 4 親善試合
46. 0 - 4
47. 2016年9月1日 ECU キト、エスタディオ・オリンピコ・アタウアルパ 0 - 1 0 - 3 2018 FIFAワールドカップ・南米予選
48. 2016年9月6日 BRA マナウス、アレーナ・アマゾニア 2 - 1 2 - 1
49. 2016年10月6日 BRA リオグランデ・ド・ノルテ州、アレーナ・ダス・ドゥーナス 1 - 0 5 - 0
50. 2016年11月10日 BRA ベロオリゾンテ、ミネイロン 2 - 0 3 - 0
51. 2017年3月23日 URU モンテビデオ、エスタディオ・センテナリオ 1 - 3 1 - 4
52. 2017年3月28日 BRA サンパウロ、アレーナ・デ・サンパウロ 2 - 0 3 - 0
53. 2017年11月10日 FRA ヴィルヌーヴ=ダスク、スタッド・ピエール=モーロワ 1 - 0 3 - 1 親善試合
54. 2018年6月3日 ENG リヴァプール、アンフィールド 1 - 0 2 - 0
55. 2018年6月10日 AUT ウィーン、エルンスト・ハッペル・シュターディオン 2 - 0 3 - 0
56. 2018年6月22日 RUS サンクトペテルブルク、ガスプロム・アリーナ 2 - 0 2 - 0 2018 FIFAワールドカップ
57. 2018年7月2日 RUS サマーラ、サマーラ・アリーナ 1 - 0 2 - 0
58. 2018年9月8日 USA イーストラザフォード、メットライフ・スタジアム 2 - 0 2 - 0 親善試合
59. 2018年9月12日 USA ランドバー、フェデックスフィールド 1 - 0 5 - 0
60. 2018年11月17日 ENG ロンドン、エミレーツ・スタジアム 1 - 0 1 - 0
61. 2019年9月7日 USA マイアミガーデンズ、ハードロック・スタジアム 2 - 2 2 - 2 2022 FIFAワールドカップ・南米予選
62. 2020年10月14日 PER リマ、 エスタディオ・ナシオナル・デル・ペルー 1 - 1 4 - 2
63. 3 - 2
64. 4 - 2
65. 2021年6月5日 BRA ポルト・アレグレ、エスタジオ・ベイラ=リオ 2 - 0 2 - 0
66. 2021年6月9日 PAR アスンシオン、エスタディオ・ディフェンソーレス・デル・チャコ 1 - 0 2 - 0
67. 2021年6月13日 BRA ブラジリア、エスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリア 2 - 0 3 - 0 コパ・アメリカ2021
68. 2021年6月18日 BRA リオデジャネイロ、エスタジオ・オリンピコ・ニウトン・サントス 2 - 0 4 - 0
69. 2021年9月10日 BRA レシフェ、アレナ・ペルナンブーコ 2 - 0 2 - 0 2022 FIFAワールドカップ・南米予選
70. 2021年10月15日 BRA マナウス、アレーナ・アマゾニア 1 - 0 4 - 1
71. 2022年3月25日 BRA リオデジャネイロ、エスタジオ・ド・マラカナン 1 - 0 4 - 0
72. 2022年6月2日 KOR ソウル、ソウルワールドカップ競技場 2 - 1 5 - 1 親善試合
73. 3 - 1
74. 2022年6月6日 JPN 東京、国立競技場 1 - 0 1 - 0
75. 2022年9月7日 FRA パリ、パルク・デ・プランス 3 - 1 5-1
76. 2022年12月5日 QAT ドーハ、スタジアム974 2 - 0 4-1 2022 FIFAワールドカップ
77. 2022年12月9日 QAT アル・ライヤーン、エデュケーション・シティ・スタジアム 1 - 0 1-1(2-4.p)

タイトル

クラブ

サントス
  • カンピオナート・パウリスタ:3回 (2010, 2011, 2012)
  • コパ・ド・ブラジル:1回 (2010)
  • コパ・リベルタドーレス:1回 (2011)
  • レコパ・スダメリカーナ:1回 (2012)
バルセロナ
  • プリメーラ・ディビシオン:2回 (2014-15, 2015-16)
  • コパ・デル・レイ:3回 (2014-15, 2015-16, 2016-17)
  • スーペルコパ・デ・エスパーニャ:2回 (2013, 2016)
  • UEFAチャンピオンズリーグ:1回 (2014-15)
  • UEFAスーパーカップ:1回 (2015)
  • FIFAクラブワールドカップ:1回 (2015)
パリ・サンジェルマン
  • リーグ・アン:4回 (2017-18, 2018-19, 2019-20, 2021-22)
  • クープ・ドゥ・ラ・リーグ:2回 (2017-18,2019-20)
  • クープ・ドゥ・フランス:1回 (2017-18)
  • トロフェ・デ・シャンピオン:4回 (2018, 2019, 2020, 2022)

代表

U-20ブラジル代表
  • 南米ユース選手権:1回 (2011)
U-23ブラジル代表
  • 2012年ロンドンオリンピック 銀メダル
  • 2016年リオデジャネイロオリンピック 金メダル
ブラジル代表
  • FIFAコンフェデレーションズカップ:1回 (2013)
  • スーペルクラシコ・デ・ラス・アメリカス:2回 (2011, 2012)

個人

  • コパ・ド・ブラジル 得点王:1回 (2010)
  • 南米年間最優秀選手賞:2回 (2011, 2012)
  • FIFAプスカシュ賞:1回 (2011)
  • ボーラ・ジ・オーロ:1回 (2011)
  • 南米ユース選手権 得点王:1回 (2011)
  • FIFAコンフェデレーションズカップ ゴールデンボール:1回 (2013)
  • FIFAコンフェデレーションズカップ ブロンズブーツ:1回 (2013)
  • FIFAワールドカップ ブロンズブーツ:1回 (2014)
  • UEFAチャンピオンズリーグ得点王:1回 (2015)
  • UEFAチャンピオンズリーグベストチーム:1回 (2014-15)
  • FIFA/FIFPro世界イレブン:2回 (2015, 2017)
  • リーグ1年間最優秀選手賞:1回 (2018)
  • リーグ1年間最優秀チーム賞:1回 (2018)

著書

  • 『ネイマール: 父の教え、僕の生きかた』(朝日新聞出版、2014年、ISBN 978-4198637781)※ネイマールの父親との共著
  • 『あなたの知らない85のネイマール AtoZで語る僕の素顔』(徳間書店、2014年、ISBN 978-4021902482)

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/03/21 00:29 UTC (変更履歴
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