服部一郎 : ウィキペディア(Wikipedia)

服部 一郎(はっとり いちろう、1932年 - 1987年5月26日)は、日本の実業家。セイコーエプソン初代社長。

経歴

東京都出身。セイコー第3代社長の服部正次の長男。長野県諏訪清陵高等学校、学習院中等科、高等科を経て、東京大学法学部卒業後、1954年第二精工舎に入社。 入社した年の10月からスイスのチューリッヒ大学へ留学、後に米国のエール大学に留学した。 1961年帰国後、29歳に若さで第二精工舎取締役就任。1965年常務取締役、1967年専務取締役、1979年第二精工舎社長に就任した。 事業の国際化と多角化を牽引。1968年から1970年代にかけてのアジアへの工場進出を推進し、時計事業の国際化を図る。 そのため、1980年兼務で、諏訪精工舎社長にも就任し、腕時計製造会社から今の業態へ変化を遂げさせた。 また諏訪精工舎をセイコーエプソンに名前を変更し、初代社長となる。セイコーエプソンではグローバル販売ネットワークの整備とアメリカ・ヨーロッパでの消費地生産をリードした。 川奈ホテルゴルフ場でプレイ中に死去。国際派経営者として将来を嘱望されていたが、志半ば、55歳の若さで急逝した。従4位勲2等瑞宝章。

関連項目

  • 日本国際フォーラム
  • サンリツ服部美術館

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2014/02/25 07:05 UTC (変更履歴
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