太賀麻郎 : ウィキペディア(Wikipedia)

太賀 麻郎(たいが あさお、1964年5月26日 - )は、日本のAV男優、AV監督。デビュー当時は本名の永井 麻郎太賀麻郎『AV黄金時代』p.22。名義で活動していた。芸名の由来は『愛と誠』の主人公の太賀誠太賀麻郎『AV黄金時代』p.23。。

経歴

東京都世田谷区生まれ。父の永井健司は服飾デザイナーで、日本七大ブランドの一つであるJAZZレーベルの創始者太賀麻郎『AV黄金時代』p.93。。従兄にイラストレーターの永井博がいる太賀麻郎『AV黄金時代』p.59, 196。。幼い頃から実家には永井やペーター佐藤が出入りしていたため、それらの人々から弟のように遊んでもらって育った太賀麻郎『AV黄金時代』p.59。。

文化学院演劇科在学中、白夜書房発行の性風俗情報誌『元気マガジン』で見た「エロビデオの男モデル募集」の広告に応募したことがきっかけとなり太賀麻郎『AV黄金時代』p.62。、1984年秋、『あやめの本番~わたしの舌には硬すぎる』でAV男優としてデビュー。このことが父親から怒りを買い太賀麻郎『AV黄金時代』p.215。、親戚に迷惑がかかると言われたために芸名で活動するようになる太賀麻郎『AV黄金時代』p.218。。以後、『いんらんパフォーマンス』シリーズなど2000本に出演。1988年に引退するまで、AVの仕事で2000人、プライベートで3000人、合計5000人を超える女性を抱き、2億円近い金を稼いだが、続く10年間でその全てを失ったという太賀麻郎『AV黄金時代』p.492。。

ランジェリーパブの経営に失敗した後、1990年代後半からAV監督として復活太賀麻郎『AV黄金時代』p.34。。2002年、共に仕事をしていたプロデューサーの奥出哲雄が猥褻図画販売の容疑で逮捕された後、奥出の借金を背負って自己破産した太賀麻郎『AV黄金時代』p.35。。

妻との離婚後は結核、糖尿病を患い、十数年間生活保護を受けながら2人の娘を育てているシングルファザーである。

AV出演強要問題について、「昔からあった」と証言しているAV出演強要「昔からあった」元トップ男優が証言(毎日新聞、2016年8月4日)。

著書

  • AV黄金時代 5000人抱いた伝説男優の告白(文庫ぎんが堂、2010年)
  • 5000人抱いた男の無重力セックス これが、女が悦ぶ!モテる愛し方(イースト・プレス、2011年)
  • 東京ノアール 消えた男優 太賀麻郎の告白(イースト・プレス、2011年)

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/10/20 21:05 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「太賀麻郎」の人物情報へ