岩本光弘 : ウィキペディア(Wikipedia)
岩本 光弘(いわもと みつひろ、1966年12月27日 - )は、視覚障害を抱える日本の鍼灸師、ヨットマン、ライフコーチ。
来歴
熊本県牛深市(現・天草市)出身。幼年期は弱視を持っており、小学校から野球部に入部しプレーしていたが、13歳の時に内野守備のゴロが捕球出来なくなり、その後日常生活でも支障を来たし、先天性弱視と診断され残存視力を失い始める。16歳で全盲となり、人生を悲観し自殺も試みたが、「目が見えなくなったのには意味があり。健常者でも、生きる目的を逸してる人間は沢山存在している」と岩本を気に掛けてくれた伯父の言葉を思い出し、熊本県立盲学校に進学。
在学中に理科担当教諭の影響を受けてアマチュア無線にハマり、アマチュア無線から聞こえる英語に興味を持ち、健常者の一般の高校生と交流したいと願望し、YMCAの英会話スクールに通った。
1988年3月、同校卒業後の同年4月、筑波大学理療科教員養成施設に進学し上京。1年次の22歳の時にアルバイト資金と奨学金を獲得し、筑波大を休学しサンフランシスコ州立大学へ単身留学。当時の最先端概念であった、インクルーシブ教育について学習。2年後に留学から帰国後以後、1992年3月、筑波大学卒業後の同年4月、25歳で母校の系列校である、筑波大学附属盲学校鍼灸手技療法科の針灸教員に就任。
その後、前述のYMCAの英会話スクールで英会話講師の友人であった米国人女性と交際し、5年後の1996年に結婚。
2002年、35歳の時に夫婦で稲毛海岸を散歩してた際、マリーナを見掛けて、岩本の妻はヨットの操船経験があるため、飛び込みで借りられないか尋ねると、千葉障害者セーリング協会が主催している、障害者と健常者が一緒にヨットを楽しむ「ヨットエイド千葉」の活動が行われていることを知り、ヨットエイド千葉を通して岩本はヨットにのめり込む事となり、当時は東京都内に居を構えていたが、千葉県に転居。ヨットの操船技術に磨きを掛けて、たった5年でベスト3に入り、2006年ブラインドセーリング世界選手権大会に日本代表として出場し、日本ブラインドセーリング協会理事も務めた。
第一子である娘が誕生し、娘が1歳の時に「鍼灸師としてアメリカで挑戦してみたい」と思う様になり、娘の教育を鑑み、39歳の時に鍼灸院開業を目論見てヨットが盛んである、現在の住居が所在するカリフォルニア州サンディエゴに移住。鍼灸院を開業し、アメリカ国籍の多数は鍼に恐怖心を抱いてる人が多いため、指で針を打つ「指針術」をメインに展開している。
2011年12月、愛読しているヨット・ボート雑誌の『月刊KAZI』2012年1月号のコラムを読んで自身が太平洋無寄港横断の企画を持ち込む。
以後、2013年からトライアスロンにも挑戦し、アリゾナ州で開催されるに出場している。
2019年7月25日、第24回 植村直己冒険賞、国土交通省 第12回海洋立国推進功労者表彰 「海洋立国日本の推進に関する特別な功績」分野を受賞した。
2021年台湾のChou, Ta-Kuan Cultural & Educational Foundation(周大観文教基金会)が主催する24th Fervent Global Love of Lives
Award 2021を受賞した。
出演番組
テレビ
- BS1スペシャル 光さす海へ〜世界初!全盲ヨットマンの太平洋横断〜(NHK BS1) - 2019年6月30日
ラジオ
- 辛坊治郎ズーム そこまで言うか!(ニッポン放送) - 2015年5月30日、9月19日、2016年10月1日
- 大竹まこと ゴールデンラジオ!(文化放送) - 2018年5月18日
- 伊集院光とらじおと(TBSラジオ) - 2019年7月8日
- 山形純菜 プレシャスサンデー(TBSラジオ) - 2019年4月21日
- 視覚障害ナビ・ラジオ(NHKラジオ第2) - 2019年5月26日
- 小鳩の愛 ~eye~(ラジオ日本) - 2019年8月4日 - 25日
著作
関連項目
- 辛坊治郎※2013年の太平洋無寄港横断時のパートナー
外部リンク
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