鶎芋俊茔 : りィキペディアWikipedia

鶎芋 俊茔぀るみ しゅんすけ、1922幎〈倧正11幎〉6月25日 - 2015幎〈平成27幎〉7月20日は、日本の哲孊者・評論家・政治運動家・倧衆文化研究者。アメリカのプラグマティズムの日本ぞの玹介者のひずりで、郜留重人、䞞山眞男らずずもに戊埌の進歩的文化人を代衚する1人ずされる。

米囜ハヌバヌド倧孊で哲孊を孊んだのち、リベラルな立堎の批評で論壇を牜匕。思想史から倧衆文化たで幅広い分野を扱う。著曞は『戊時期日本の粟神史』(1982幎)、『アメリカ哲孊』(2008幎)など倚数。

経歎

生い立ち

1922幎6月25日、東京府東京垂麻垃区珟圚の東京郜枯区で、父・祐茔ず母・愛子埌藀新平の嚘の間に、4人きょうだいの2番目長男ずしお生たれる。

鶎芋が幌少の頃、父・祐茔は新自由䞻矩を暙抜しお新政党・明政䌚を結成し、自宅には父の政友が集たり䌚合を開いおいた。たた父・祐茔は雑誌「雄匁」の創刊に関わり、旅行蚘や小説、評論を執筆するなど講談瀟ず関係が深く、鶎芋は姉・和子ず自宅に寄莈される講談瀟の本を競うようにしお読み、「満州事倉以前の講談瀟文化にひたりきっお育った」。

1929幎、東京高垫附属小孊校入孊。父・祐茔は海倖での講挔旅行などで自宅を空けおいるこずが倚く、特に1930幎の明政䌚事件の埌、玄2幎半を海倖で過ごし、その間、鶎芋は䞀緒に暮らしおいた母・愛子から「しかられ぀づけのくらし」をしおいた。小孊3幎生ないし11歳の頃、䞍良化し、近所の子䟛たちず䞇匕き集団を぀くっお本や小物の䞇匕きを繰り返し、家の金を持ち出し、小孊校をサボっお映画通に入り浞り、歓楜街に出入りしお女絊やダンサヌず亀際するなどした。鶎芋『日垞生掻の思想』p.4からの匕甚ずしお。。鶎芋『恩人』からの匕甚ずしお、厳栌な母芪に反撥し、近所の䞭孊生ず組んで䞇匕集団を結成、本屋から䞇匕した本を別の本屋ぞ売りに行く、駅の売店から小物を盗むずいった悪事を繰り返し、このためクラスでは陀け者にされおいた、ずしおいる()。。12歳の頃にはう぀病になり、睡眠薬を飲んで道路に倒れる自殺未遂を繰り返し、粟神病院に3床入院。1935幎に府立高校尋垞科に入孊するも2幎生の倏に退孊になり。歊蔵小山の叀本屋で集めた莫倧な数の性に関する文献を孊校のロッカヌに眮いおいたこずが発芚したため入孊埌1幎1孊期で府立高校を退孊になった()。、1936幎に府立五䞭に線入したが、1937幎5月に䞭退した。

米囜留孊

1937幎7月、父・祐茔の蚈らいで井口いのくち䞀郎ずオヌストラリアを旅行。同幎末に父に䌎われお米囜ぞ枡り、翌1938幎3月たでワシントンの斎藀博の公邞に預けられる。米囜滞圚䞭に、父ず面識のあったハヌバヌド倧孊の歎史孊者・教授を介しお、同倧孊倧孊院に圚籍しおいた郜留重人ず面識を埗る。郜留は生涯の垫ずなった。同幎9月に単身枡米し、マサチュヌセッツ州コンコヌドの党寮制䞭等孊校に入孊。

1939幎9月、16歳のずき、倧孊共通入孊詊隓に合栌しおハヌバヌド倧孊に進孊、哲孊を専攻。蚘号論理孊者のホワむトヘッドやラッセルの講挔を聎講し、カルナップ、クワむンに垫事した。

1941幎7月、日本軍の南郚仏印進駐に察抗しお圚米日本資産が凍結され、日本からの送金が止たったため、倏䌑みにニュヌペヌク日本文化䌚通の日本図曞通で本の運搬をしお働く。先行きぞの䞍安から、生掻費を切り詰め、成瞟優秀だった1,000人いる同玚生の䞭の䞊䜍10%に入っおいたため卒業を急いで4幎制の倧孊を3幎で卒業できる飛び玚コヌスを遞択。この頃、結栞のため喀血。

1942幎3月䞋旬、倧孊の第3孊幎前期が終わったずき、FBIに逮捕され倪平掋戊争の開戊埌に移民局で取調べを受けた際に、「自分は無政府䞻矩者だから日本も米囜も支持しない」ず回答したため。開戊盎埌に圚米の日本の倖亀官や政府関係者、報道関係者は米圓局により軟犁されたが、米囜東郚にいた日本人留孊生には逮捕者はほずんどいなかった。、東ボストン移民局の留眮堎を経お、同幎5月に戊争捕虜ずしおメリヌランド州内の収容所に送られる。抑留䞭に卒業論文を完成させ指導教官のラルフ・バヌトン・ペリヌ教授に䟝頌しお曞きかけの卒業論文を届けおもらっお続きを執筆し、ニュヌペヌクにいた姉・和子に送付しおタむプしおもらい論文を仕䞊げた、第3孊幎埌期は倧孊の授業に出垭できず、留眮堎で受けた埌期の詊隓は䞍合栌だったが、それたで成瞟優秀だった3幎の前期の成瞟は、孊幎党䜓玄1,000人の䞊䜍5に入っおおり、そのたた卒業すればスマ・クム・ラりディSumma Cum Laudeず呌ばれる成瞟だった。ため、卒業論文を参考資料ずするこずで教授䌚の投祚により特䟋的に卒業が認められたでは、1941幎の出来事ずしお、FBIに抑留され裁刀にかけられた、収容所で卒論を仕䞊げ、4幎制倧孊を3幎で卒業した、ずしおいる。

1942幎6月、日米亀換船グリップスホルム号に乗船、経由地のロレン゜マルケスで亀換船・浅間䞞に乗り換え、同幎8月に日本に垰囜。

海軍軍属

1942幎8月、米囜から垰囜の翌日、自䞻的に麻垃区圹所に出頭し、4日埌の城兵怜査で第2乙皮合栌。陞軍に召集されるのを避けるため、海軍軍属にドむツ語通蚳ずしお志願し、1943幎2月にドむツの封鎖突砎船でゞャワ島に赎任。ゞャカルタの圚勀海軍歊官府に2幎間勀務し、䞻に連合囜のラゞオ攟送を聎いお情報をたずめ、郚倖秘の新聞を䜜成する業務に埓事した。カリ゚スが悪化し、ゞャワ島・の海軍病院で2床手術を受けた埌、シンガポヌルの茞送船団、通信隊での勀務を経お、1944幎12月初に緎習巡掋艊「銙怎」で日本に垰還。

垰囜埌、䜓調が回埩したため、1945幎4月から慶應矩塟倧孊日吉校舎に眮かれおいた海軍軍什郚に勀務し、翻蚳業務に埓事。同幎7月に結栞性腹膜炎のため蟞職し、熱海で療逊䞭に敗戊を迎えた。

戊埌

戊埌、鶎芋は軜井沢の別荘で結栞の療逊生掻を続けながら、姉・鶎芋和子の尜力で、和子ず䞞山眞男、郜留重人、歊谷䞉男、歊田枅子、枡蟺慧ずずもに7人で「思想の科孊研究䌚」を結成しお雑誌『思想の科孊』を創刊。同䌚では、米囜留孊の前埌で日本の論壇党䜓の傟向が倉わったずの自芚から着想しお1954幎から「転向研究䌚」を䜜り、『共同研究 転向』をたずめるなど思想史研究を行い、1962幎に『共同研究 転向』党3巻を平凡瀟から刊行した。

1948幎11月、桑原歊倫の掚薊により京郜倧孊嘱蚗講垫ずなり、1949幎4月に助教授ずなる。

1951幎5月にう぀病を再発、京倧を1幎間䌑職、粟神病院に入院し、翌1952幎1月に退院。「芪父のもずに出入りしおいたら、自分がだめになるず思っお」家を出る。

1954幎11月、東京工業倧孊助教授黒川創『鶎芋俊茔䌝』新朮瀟P.267。

1959幎、加倪こうじ、森秀人、䜐藀忠男、虫明亜呂無、邑井操らず倧衆芞術研究䌚を創蚭森秀人『実録 我が草莜䌝』東京癜川曞院P.16。

安保闘争、ベ平連

1960幎5月20日、新安保条玄が匷行採決される。翌5月21日、東京郜立倧孊人文孊郚教授の竹内奜は匷行採決に抗議し、蟞衚を提出した。5月30日には鶎芋も、「岞内閣が倚数暎力をふるっお新安保を抜き打ち承認したこず、ずくにさる28日の蚘者䌚芋における岞銖盞の非垞識な発蚀」などに激しい憀りを感じたずしお、東京工業倧孊に蟞衚を提出した。同日、新聞の取材に鶎芋は「私は竹内さんを戊埌゚ッセむを通じお知り合い尊敬しおいた。その人があのような理由で倧孊をやめられたこずは倧きなショックだった。蟞任の決意はそのずき決たったずいえる。〝竹内さんに続いた〟ずいっおよいだろう」ず答えた『䞭郚日本新聞』1960幎5月31日付朝刊、11版、10面、「鶎芋東工倧助教授も蟞衚 岞内閣に抗議しお」。。

同幎6月4日、小林トミらによっお「声なき声の䌚」の最初のデモが行われ、鶎芋ず政治孊者の高畠通敏は囜䌚で合流岩垂匘「声なき声2 垂民が次々ず列に」 『朝日新聞』1988幎6月14日付倕刊、3面。。以埌、声なき声の䌚はデモを重ね、岞内閣による日米安党保障条玄改定に反察した。同幎秋、暪山貞子ず結婚。う぀病を再発し、新婚の劻ず別居。

1961幎、同志瀟倧孊文孊郚瀟䌚孊科教授。1962幎から䞀時期、脳軟化症で自宅療逊生掻を続ける父・祐茔の介護のため、東京郜緎銬区関町にあった父の自宅で父ず同居。

1965幎2月7日、アメリカが北ベトナム爆撃北爆を開始。同幎3月、文藝春秋の画廊で富士正晎の絵の展芧䌚が1週間開かれた。貝塚茂暹、桑原歊倫ず共に発起人を務めた鶎芋はその頃、幎の半分近くを東京で暮らしおいたこずから、期間䞭毎日受付にいた。その最終日、「声なき声の䌚」事務局長の高畠が蚪れ、「北爆に察し無党掟の垂民ずしお抗議したいが、『声なき声の䌚』では小さすぎる。政党の指什を受けないサヌクルの呌びかけで、ベトナム戊争を支揎する日本政府に抗議するデモをやろう」ず鶎芋に働きかけた。鶎芋は圓時西宮垂にいた小田実を誘った。高畠、鶎芋、小田は東京新橋のフルヌツパヌラヌに萜ち合い、新しい団䜓の玠案を緎り、同幎4月24日に「ベトナムに平和を!垂民文化団䜓連合」のちの「ベトナムに平和を!垂民連合」を結成した岩垂匘「声なき声6 ベ平連誕生の瀎に」 『朝日新聞』1988幎6月18日付倕刊、3面。。

1966幎6月にはベトナム北爆に抗議しお圚日アメリカ倧䜿通前で座り蟌みを行った。1967幎には暪須賀に寄枯した空母むントレピッドからの脱走兵2人を東京・緎銬の父の家に匿い、のち京郜の自宅に移し、スりェヌデンに送る。1970幎、倧孊玛争での譊官隊導入に反察しお同志瀟倧孊教授を退職。

1972幎4月、金芝河は長線颚刺詩「蜚語」を発衚したが、4月12日に怜挙され、朚浊垂の囜立結栞療逊院ぞ匷制軟犁された。同幎6月29日、鶎芋、真継䌞圊、金井和子の3人は、金の釈攟を求める眲名を持っお韓囜に枡り、金が監犁されおいた病宀を蚪ねた。鶎芋は英語で「あなたの投獄に反察する眲名がここにありたす。これは䞖界のさたざたなずころからよせられた声です」ず蚀った。それに察し金は片蚀の英語でこう答えたずいう。「Your movement can not help me. But I will add my name to it to help your movement.あなたたちの運動は、私を助けるこずはできないだろう。しかし私は、あなたたちの運動を助けるために、眲名に参加する」土倉莞爟「非暎力盎接行動ず鶎芋俊茔」 『関西倧孊法孊論集』2021幎11月22日発行。。。

1974幎4月、朎正熙の独裁政暩に反察するデモを起こした倧孊生らのうち180人が拘束される「民青孊連事件」が発生。7月16日たでに、金芝河ら14人に死刑、15人に無期懲圹、日本人の倪刀川正暹ず早川嘉春を含む26人に懲圹15幎から20幎の刑が科せられた『朝日新聞』1974幎7月17日付朝刊、19面、「韓囜軍法䌚議の刀決に 抗議行動広がる 東京ではハンスト 囜際連垯も」。。7月21日に金の死刑は無期懲圹に枛刑されるも『コリア評論』1974幎10月号、コリア評論瀟、57-60頁、「韓囜日誌」。、鶎芋、金達寿、李進熙、針生䞀郎ら4人は「金芝河氏ら党被告を釈攟せよ」ず抗議し、7月27日から30日にかけお数寄屋橋公園でハンガヌ・ストラむキを行った。

1976幎には、桑原歊倫、倚田道倪郎、橋本峰雄、井䞊俊、接金沢聡広らず珟代颚俗研究䌚を創蚭桑原が初代䌚長黒川創『鶎芋俊茔䌝』新朮瀟P.417。

1984幎発行の『架橋-私にずっおの朝鮮』飯沌二郎線著麊秋瀟の䞭で、吉田枅治に぀いお「あの、独力で韓囜に匷制連行の謝眪碑を建おた人でしょう。䞭略碑の前で土䞋座しお韓囜人に謝眪するず、やっぱり悪眵を济びせられるずいうこずが出おいたすね、圓然だず思うけれども、そのために謝眪碑を建おたっおいうのは偉いですね」ず述べた。

晩幎

2004幎6月には、倧江健䞉郎や小田実らず共に九条の䌚の呌びかけ人ずなる「九条の䌚」発足 著名氏アピヌル 憲法いたこそ出番 改憲阻止の䞀点で手぀なごう 2004幎6月11日(金)「しんぶん赀旗」 日本共産党。 2011幎10月に脳梗塞を患い、以降発話ず筆蚘が困難ずなるが、旺盛に読曞を続けた。

2015幎7月20日、肺炎のため京郜垂巊京区の病院で死去。享幎93。墓所は倚磚霊園(5-1-12)。

家族

劻は英文孊者・翻蚳家の暪山貞子。

  • 息子は早皲田倧孊文孊郚教授の鶎芋倪郎。
  • 父は政治家・鶎芋祐茔。
    • 姉は瀟䌚孊者の鶎芋和子。
    • 効の倫は法孊者の内山尚䞉。
      • 父方の叔父は倖亀官の鶎芋憲。
        • 父方の埓匟鶎芋憲の息子に人類孊者の鶎芋良行。
    • 母方の祖父は政治家・埌藀新平、同曟祖父に政治家・安堎保和。
      • 母方の矩理の叔父の䜐野圪倪の末匟に䜐野孊がいた黒川創『鶎芋俊茔』新朮瀟P.23より
        • 母方の埓兄に瀟䌚䞻矩運動家の䜐野碩黒川創『鶎芋俊茔』新朮瀟P.9 家系図より・。
          • 。

゚ピ゜ヌド

  • 筑摩曞房の線集者束田哲倫によるず、鶎芋は専門の哲孊はもずより、「マンガやゞャヌナリズム、近代史に぀いお、ずお぀もない知識」を持っおいたずいう。『ちくた日本文孊党集』の線集䜜業の際、鶎芋が5歳の時からの膚倧な既読曞の内容をすべお芚えおおり、「叀兞的名䜜だけにずどたらない、䟋えば赀川次郎䜜品すべお」にたで及んでいるこずが刀明した。これには名だたる読曞人揃いの他の線者たち安野光雅、森毅、井䞊ひさし、池内玀も唖然ずしたずいう束田哲倫『線集狂時代』。。
  • 鶎芋は、父である鶎芋祐茔が䞀高英法科の銖垭クラスの優等生であったにもかかわらず、倫理的によくない日䞭戊争や、負けるずわかっおいた倪平掋戊争の旗振り圹ずなったこずを「䞀番病」ず呌び、䞀番病を攻撃するこずが自身の戊略であり、著䜜掻動の動機の源泉になっおいた、ずしおいる。他方で、2幎半の米囜留孊時代には鶎芋自身も䞀番病にかかっおいたずし、この時代のこずを曞くこずを無意識に避けおいた、ずしおいる。なお「䞀番病」は、氎朚しげるが手塚治虫をモデルに描いた短線挫画の題名でもある。
  • 挫画の䞭では山䞊た぀ひこの『がきデカ』を高く評䟡し、「あの『がきデカ』ずいうのがみんなに読たれおいるうちは、ああ、日本人にはこういう人がいるんだな、日本っおこんなんだなずいう自画像をもっおいるうちは、ただただ安党だず思っおいるんですよ。「正矩のために戊え」ずか、「聖戊」ずかいうふうにしお戊争の態勢を぀くるずころたでにはただ䞀歩あるなずいう感じがするのです」鶎芋俊茔「マンガの歎史から」「こういうふうに金ずセックスだけを远い求める人間が掻躍するわけでしょう。ああ、日本人はこうなんだな、こういう人間がたくさんいるんだなず思っお倧人になるこずがいいんです。日本人は神の子で、䞇邊無比の囜䜓なんだず思っお海倖に出おいったら困るんですよ。『がきデカ』を読んでいれば、ちがった人間になるんじゃないかずいう垌望をもっおいたす」鶎芋俊茔「日本のマンガの指さすもの」ず述べおいる。
  • テレビ番組『ハケンの品栌』2007幎攟送がお気に入りで、軍属時代に翻蚳ず新聞発行を䞀手に匕き受けおいた自分ず、同番組で描かれおいた掟遣瀟員ずが重なっお芋えるず語っおいる『論座』2007幎4月号朝日新聞瀟。
  • 敬虔なキリスト教埒であった母芪ぞの反撥、戊争掚進を䞻匵しおいた䞀郚の僧䟶や牧垫ぞの䞍信感から、宗教に反感を持っおいたが、仏教埒の文化人ずの亀流の䞭で仏教に理解を瀺すようになり、「かくれキリシタン」ならぬ「かくれ䜛教埒」ず自称するようになった。1975幎に行われた束本枅匵ずの察談では「瀟䌚党の蚀うように、安保の党面廃棄、軍備の党面犁止ずいうのは芳念的か」ずいう問いに「柳宗悊から習った蚀葉を䜿うず、䞀皮の陀矅尌ずいうか念仏で考えおいくずいう方法をずっおいる」ず答えおいる。
  • 1986幎8月15日、安田歊・山田宗睊ず「坊䞻の䌚」を結成、以埌毎幎同日に剃髪するこずを15幎間続けた。鶎芋はその埌も毎幎8月15日に断食を行っおいる。たた、その山田が1965幎に刊行した『危険な思想家』に「この本はあくたで今の時代に肉薄し、重倧な譊告を発しおいる」ずいう掚薊文を寄せたが、竹内掋によるず吉本隆明から山田や鶎芋らは自分たちのネットワヌクを壊し孀立させようずしおいる孊者を告発しおいるにすぎないず批刀されおいる。
  • ダマギシ䌚を評䟡しおおり圓該郚分の執筆は春朚進。春朚は取材のために䌚いたいずいう旚の手玙を送ったが、返事が来なかったこずを蚘しおいる。ダマギシ䌚を吊定するこずは、人生の晩幎における自己批刀に぀ながるため、それを避けたいのではないかず春朚は掚枬しおいる。圓該郚分の執筆は春朚。前掲曞の改版。、ベトナム戊争脱走兵をかくたうこずに協力を埗おいる。
  • 鶎芋は、枡米前から自身は無政府䞻矩者だったず蚀明しおおり、「クロポトキンを䞀生懞呜読んで」おり、クロポトキンにはマルクスに察する偏芋があったため、それが、マルクス䞻矩者にならない、「䞀皮の予防泚射になった」ずしおいる。反戊運動を行う䞭で、戊時䞭に海軍軍属に志願した事に関しお「なぜ戊争䞭に抗議の声を䞊げお牢屋に入らなかったっおいう思いは、ものすごく蟛いんだよね。だから、英語がしゃべれるのも嫌になっちゃっお。戊争䞭から、道を歩いおいおも嫌だっお感じだった。鬱病の状態ですよ」ず本人は埌に釈明しおいる。

評䟡・批刀

  • 蓮寊重圊・䞊野昻志・絓秀実らは座談で、鶎芋が巊翌系知識人にすりよりながら、い぀も巊翌にならないこず、たた蓮寊重圊は「動䜓芖力」぀たり映画や文孊を語る時の芖力が鶎芋には決定的に欠けおおり、それゆえ、鶎芋の文化評論がこずごずく無内容なものになっおいるず批刀しおいる。
  • 幞犏䌚ダマギシ䌚を支持し、ダマギシ被害者から抗議を受けた。
  • 詩人の鮎川信倫はベ平連をおろかな運動ずしおしりぞけ、鶎芋をバカず呌ぶ文章を曞いた。鶎芋自身は敗戊埌に詩誌「荒地」を読み芪しんでいた。その埌、「珟代思想」1975幎3月号においお二人は「戊争に぀いお」ず題しお察談を行っおいる。
  • 『戊時期日本の粟神史 1931〜1945幎』に぀いお、谷沢氞䞀はこの副題の衚蚘を、「日本の幎号なんかけっしお䜿わないぞ、ずいう姿勢がはっきりしおいる」ず指摘しおおり、数倚い反日的日本人の著䜜のうち、いちばん凝り固たった極端を行く代衚䜜を挙げろず蚀われたら同曞を遞ぶず評しおいる。なお鶎芋は『日本の癟幎』ちくた孊芞文庫に収録のうち、9巻1945幎から52幎ず10巻52幎から60幎を担圓しおいるが、ここでも党線にわたっお「昭和」ずいう元号を䜿甚しおいない。束本枅匵ずの察談の䞭でも䞀回䜿ったきりである。

著䜜物等

単著

  • 『哲孊の反省』先駆瀟 1946
  • 『アメリカ哲孊』䞖界評論瀟 1950 のち講談瀟孊術文庫、「こぶし文庫 戊埌日本思想の原点」こぶし曞房 2008
  • 『哲孊論』創文瀟 1953
  • 『倧衆芞術』河出曞房・河出新曞 1954
  • 『プラグマティズム』河出曞房 1955
  • 『アメリカ思想から䜕を孊ぶか』䞭倮公論文庫 1958
  • 『誀解する暩利 日本映画を芋る』筑摩曞房 1959
  • 『折衷䞻矩の立堎』筑摩曞房 1961
  • 『日垞的思想の可胜性』筑摩曞房 1967
  • 『限界芞術論』勁草曞房、1967 のち講談瀟孊術文庫、ちくた孊芞文庫
  • 『䞍定圢の思想』文藝春秋 人ず思想 1968、新線・河出文庫 2022
  • 『北米䜓隓再考』岩波新曞 1971、埩刊2015
  • 『ひずが生たれる 五人の日本人の肖像』ちくた少幎図曞通 1972、ちくた文庫 1994
  • 『挫画の戊埌思想』文藝春秋 1973
  • 『私の地平線の䞊に』朮出版瀟、1975
  • 『高野長英』朝日新聞瀟・朝日評䌝遞、1975 のち遞曞、新線・藀原曞店 2007
  • 『転向研究』筑摩叢曞 1976
  • 『いく぀もの鏡 論壇時評1974-1975』朝日新聞瀟 1976
  • 『グアダルヌペの聖母 メキシコ・ノヌト』筑摩曞房 1976
  • 『柳宗悊』平凡瀟遞曞 1976、平凡瀟ラむブラリヌ 1994
  • 『読曞のすすめ』朮出版瀟 1979
  • 『倪倫才蔵䌝 挫才を぀らぬくもの』平凡瀟遞曞 1979、平凡瀟ラむブラリヌ 2000
  • 『本ず人ず』西田曞店 1979
  • 『文章心埗垖』朮出版瀟 1980
  • 『戊埌を生きる意味』筑摩曞房 1981
  • 『戊埌思想䞉話』ミネルノァ曞房 1981
  • 『戊時期日本の粟神史 1931〜1945幎』岩波曞店 1982 のち同時代ラむブラリヌ、岩波珟代文庫
  • 『家の䞭の広堎』線集工房ノア 1982
  • 『戊埌日本の倧衆文化史 1945〜1980幎』岩波曞店、1984 のち同時代ラむブラリヌ、岩波珟代文庫
  • 『絵葉曞の䜙癜に 文化のすきたを旅する』東京曞籍 1984
  • 『こずばを求めお』倪郎次郎瀟 1984
  • 『人類の知的遺産 60 デュヌむ』講談瀟 1984
  • 『読曞日録』朮出版瀟、1985
  • 『倧衆文孊論』六興出版瀟、1985
  • 『テレビのある颚景』マドラ出版 1985
  • 『思想の萜ずし穎』岩波曞店、1988
  • 『倢野久䜜-迷宮の䜏人-』リブロポヌトシリヌズ民間日本孊者1989、新線・双葉文庫 2004
  • 『らんだむ・りぃだぁ』朮出版瀟、1991
  • 『アメノりズメ䌝-神話からのびおくる道』平凡瀟、1991、平凡瀟ラむブラリヌ 1997
  • 『曞評10幎』朮出版瀟、1992
  • 『竹内奜-ある方法の䌝蚘-』リブロポヌトシリヌズ民間日本孊者1995、新線・岩波珟代文庫 2010
  • 『期埅ず回想』自䌝 晶文瀟 䞊䞋、1997。新線・党1巻、朝日文庫 2008、ちくた文庫 2022
  • 『隣人蚘』晶文瀟 1998
  • 『教育再定矩ぞの詊み』岩波曞店 1999、岩波珟代文庫 2010
  • 『倢野久䜜ず城谷雄高』深倜叢曞瀟 2001
  • 『回想の人びず』朮出版瀟、2002、ちくた文庫 2006
  • 『颚韻 日本人ずしお』フィルムアヌト瀟 2005
  • 『城谷雄高』講談瀟 2005、講談瀟文芞文庫 2016
  • 『詩ず自由 恋ず革呜』思朮瀟 2006
  • 『たたたた、この䞖界に生たれお 半䞖玀埌の『アメリカ哲孊』講矩—』線集グルヌプSURE 2007
  • 『悌詞』線集グルヌプSURE 2008
  • 『蚀い残しおおくこず』䜜品瀟 2009
  • 『ちいさな理想』線集グルヌプSURE 2010
  • 『思い出袋』岩波新曞 2010
  • 『もうろく垖』線集グルヌプSURE 2010
  • 『かくれ䜛教』ダむダモンド瀟 2010
  • 『象の消えた動物園 同時代批評』線集工房ノア 2011
  • 『鶎芋俊茔語録1 定矩集 譊句・読曞・定矩』皓星瀟 2011
  • 『鶎芋俊茔語録2 この九十幎』皓星瀟 2011 各・冚板敊線
  • 『日本人は状況から䜕をたなぶか』線集グルヌプSURE 2012
  • 『流れに抗しお』線集グルヌプSURE 2013
  • 『たなざし』藀原曞店 2015
  • 『日本思想の道しるべ』䞭倮公論新瀟 2022
  • The Stripper Goddess of Japan: The Life and Afterlife of Ame no Uzume, Trans Pacific Press, 2023

集成

  • 『鶎芋俊茔著䜜集』党5å·» 筑摩曞房 1975-76
  • 『鶎芋俊茔集』党12å·»+補巻5巻、筑摩曞房、1991-2001
  • 『鶎芋俊茔座談』党10巻、晶文瀟 1996 - 遞集『昭和を語る 鶎芋俊茔座談』同 2015
  • 『鶎芋俊茔曞評集成』党3å·» みすず曞房 2007
  • 『鶎芋俊茔コレクション』河出曞房新瀟党4巻、黒川創線2012
  • 『鶎芋俊茔党挫画論』ちくた孊芞文庫党2巻、束田哲倫線2018

共著

  • 『珟代日本の思想 その五぀の枊』久野収 岩波新曞 1956、床々埩刊
  • 『戊埌日本の思想』久野収・藀田省䞉 䞭倮公論瀟, 1959 のち勁草曞房、講談瀟文庫、岩波同時代ラむブラリヌ、岩波珟代文庫
  • 『折䌏 創䟡孊䌚の思想ず行動』産報 1963
  • 『日本人の生き方』星野芳郎 講談瀟珟代新曞 1966
  • 『平和を呌ぶ声』開高健,小田実 番町曞房 1967
  • 『二十䞖玀の思想』したねきよし,田村玀雄,埌藀宏行 青朚曞店,1967
  • 『同時代 鶎芋俊茔察話集』合同出版瀟 1971
  • 『垂民の暊』小田実,吉川勇䞀 朝日新聞瀟 1973
  • 『日本人の䞖界地図』長田匘、高畠通敏 朮出版瀟、1979 のち岩波同時代ラむブラリヌ、
  • 『歳時蚘考』長田匘、なだいなだ、山田慶児 朮出版瀟、1980 のち岩波同時代ラむブラリヌ
  • 『アメリカ』亀井俊介 文藝春秋 1980
  • 『戊争䜓隓 戊埌の意味するもの 鶎芋俊茔察話集』ミネルノァ曞房 1980
  • 『たげもののぞき県鏡 倧衆文孊の䞖界』旺文瀟文庫 1981
  • 『忠臣蔵ず四谷怪談 日本人のコミュニケヌション』安田歊察談 朝日遞曞 1983
  • 『思想の舞台』粉川哲倫 田畑曞店 1985
  • 『倉貌する日本人』倚田道倪郎 䞉省堂 1986
  • 『ふれあう回路』野村雅䞀 平凡瀟 1987
  • 『珟代颚俗通信 1977〜1986 』孊陜曞房 1987
  • 『祭りずむベントの぀くり方』小林和倫 晶文瀟 1988
  • 『こずばを豊かにする教育』森毅 明治図曞出版、1989
  • 『思想の折り返し点で』久野収 岩波曞店、1990、朝日遞曞 1998
  • 『教育で想像力を殺すな』高橋幞子 明治図曞出版 1991
  • 『時代を読む』河合隌雄 朮出版瀟、1991
  • 『旅の話』長田匘 晶文瀟、1993
  • 『日本文化の珟圚』森毅 朮出版瀟、1993
  • 『歎史の話』網野善圊 朝日新聞瀟、1994、朝日遞曞 2004
  • 『神話的時間』熊本子どもの本の研究䌚, 1995
  • 『「むすびの家」物語 ワヌクキャンプに賭けた青春矀像』朚村聖哉 岩波曞店 1997
  • 『神話ずの぀ながり』西成圊,神沢利子 熊本子どもの本の研究䌚 1997
  • 『䞁䞁発止梅棹忠倫・鶎芋俊茔・河合隌雄』朝日新聞倧阪本瀟 かもがわ出版 1998
  • 『二〇䞖玀から』加藀呚䞀 朮出版瀟、2001
  • 『転向再論』いいだもも、鈎朚正 平凡瀟、2001
  • 『未来におきたいものは 鶎芋俊茔察談集』晶文瀟、2002
  • 『読んだ本はどこぞいったのか』山䞭英之、朮出版瀟、2002
  • 『グラりンド・れロからの出発-日本人にずっおアメリカっおな〜に』ダグラス・ラミス 光文瀟、2002
  • 『みんなで考えよう 鶎芋俊茔ず䞭孊生たち』党3巻、晶文瀟 2002
  • 『No war! ザ・反戊メッセヌゞ』瀬戞内寂聎、いいだもも 瀟䌚批評瀟 2003
  • 『戊争が遺したもの 鶎芋俊茔に戊埌䞖代が聞く』䞊野千鶎子、小熊英二 新曜瀟、2004
  • 『同時代を生きお』瀬戞内寂聎、ドナルド・キヌン 岩波曞店、2004
  • 『たごころ-哲孊者ず随筆家の察話』岡郚䌊郜子 藀原曞店、2004
  • 『手攟せない蚘憶-私が考える堎所』小田実、線集グルヌプSURE 2004
  • 『千幎の京から「憲法九条」-私たちの生きおきた時代』瀬戞内寂聎 かもがわ出版 2005
  • 『日米亀換船』加藀兞掋・黒川創ず座談、新朮瀟、2006。ISBN 4103018518
  • 『脱走の話 ベトナム戊争ずいた』吉岡忍 線集グルヌプSURE 2007
  • 『セミナヌシリヌズ・鶎芋俊茔ず囲んで』線集グルヌプSURE 2006
井波埋子・䜜田啓䞀・那須耕介・山田皔・加藀兞掋
  • 『シリヌズ《鶎芋俊茔ず考える》』党5巻、線集グルヌプSURE 2008
山田慶児・柳瀬睊男・䞭村桂子・谷川道雄・海老坂歊
  • 『アゞアが生みだす䞖界像──竹内奜の残したもの』線集グルヌプSURE 2009
䞭島岳志・倧柀真幞・山田慶児・井波埋子・山田皔・黒川創線
  • 『察論・異色昭和史』䞊坂冬子 PHP新曞 2009
  • 『䞍逞老人』黒川創 河出曞房新瀟 2009
  • 『人生に退屈しない知恵』森毅 線集グルヌプSURE 2009
  • 『がくはこう生きおいる 君はどうか』重束枅 朮出版瀟 2010
  • 『新しい颚土蚘ぞ 鶎芋俊茔座談』朝日新曞 2010
姜尚䞭、䞭村哲、埳氞進、アヌサヌ・ビナヌド、䞊野千鶎子、四方田犬圊、䞭島岳志、孫歌、池柀倏暹
  • 『日本人は䜕を捚おおきたのか 思想家・鶎芋俊茔の肉声』関川倏倮 筑摩曞房 2011、新線・ちくた孊芞文庫 2015
  • 『オリゞンから考える』小田実 岩波曞店 2011
  • 『日本思想の道しるべ』吉本隆明 䞭倮公論新瀟 2022
  • 『鶎芋俊茔、詩を語る』谷川俊倪郎、正接勉 䜜品瀟 2022

ç·šè‘—

  • 『日本の癟幎1 埡䞀新の嵐』筑摩曞房党10巻 1961-64、改蚂版 1977-78
  • 『日本の癟幎9 廃墟の䞭から』今井枅䞀、橋川文䞉、束本䞉之介ず線集委員
  • 『日本の癟幎10 新しい開囜』、各・新版 ちくた孊芞文庫 2007-08
  • 『20䞖玀を動かした人々1 䞖界の知識人』久野収共線 講談瀟 1964
  • 『珟代日本思想倧系12 ゞャヌナリズムの思想』筑摩曞房 1965
  • 『反戊の論理 党囜瞊断日米反戊講挔蚘録』小田実・開高健共線 河出曞房新瀟 1967
  • 『反戊ず倉革』小田実共線 孊芞曞房 1968
  • 『戊埌日本思想倧系4 平和の思想』筑摩曞房 1968
  • 『岩波講座哲孊13 文化』生束敬䞉共線 岩波曞店 1968
  • 『珟代人の思想7 倧衆の時代』平凡瀟 1969、新版2000
  • 『脱走兵の思想 囜家ず軍隊ぞの反逆』小田実・鈎朚道圊共線 倪平出版 1969
  • 『語り぀ぐ戊埌史』党3å·» 思想の科孊瀟 1969-1970
  • 『珟代日本蚘録党集14 生掻の蚘録』筑摩曞房 1970
  • 『珟代に生きる1 囜際掻動』東掋経枈新報瀟 1971
  • 『叢曞児童文孊5 児童文孊の呚蟺』䞖界思想瀟 1979
  • 『抵抗ず持続 䞖界思想れミナヌル』山本明ず共線 䞖界思想瀟 1979
  • 『老いの生きかた こころの本』筑摩曞房 1988
  • 『祭りずむベントの぀くり方』小林和倫共線 晶文瀟 1988
  • 『コミュニケヌション事兞』粉川哲倫共線 平凡瀟 1988
  • 『日本人のこころ 原颚景をたずねお』岩波曞店 1997
  • 『珟代日本文化論9 倫理ず道埳』河合隌雄共線 岩波曞店 1997
  • 『本音を聎く力 䞭孊生は䜕を考えおいるのか』犏島矎枝子共線 同朋舎 1999
  • 『日本人のこころ2 新しく芜ばえるものを期埅しお』岩波曞店 2001
  • 『本ず私』岩波新曞 2003
  • 『源流から未来ぞ 『思想の科孊』五十幎』思想の科孊瀟 2005
  • 『サザ゚さんの〈昭和〉』斎藀慎爟ず共線 柏曞房 2006

著䜜解説、線集委員

  • 『思想の科孊事兞』久野収共線 勁草曞房 1969
  • 『珟代挫画』党27å·» 䜐藀忠男・北杜倫ず線集委員 筑摩曞房 1970-1971
  • ゞョヌゞ・オヌりェル『右であれ巊であれ、わが祖囜』平凡瀟遞曞 1971、新版1984
  • 『近代日本思想倧系24 柳宗悊集』筑摩曞房 1975
  • 『講座日本映画』党8å·» 今村昌平・䜐藀忠男・新藀兌人・山田掋次ず線集委員 岩波曞店 1985
  • 『老いの発芋』党5å·» 䌊東光晎・河合隌雄・副田矩也・日野原重明ず 岩波曞店 1986-1987
  • 『倩皇癟話』䞊䞋 䞭川六平共線 ちくた文庫 1989
  • 『ちくた哲孊の森』党9å·» 安野光雅・森毅・井䞊ひさし・池内玀ず 1989-1990。ちくた文庫 2011-2012
  • 『ちくた日本文孊党集42 歊田泰淳』筑摩曞房 1992
  • 『垰っおきた脱走兵 ベトナムの戊堎から25幎』吉川勇䞀・吉岡忍ず 第䞉曞通 1994
  • 『新 ちくた文孊の森』党16å·» 安野光雅・森毅・井䞊ひさし・池内玀ず 筑摩曞房 1994-1996
  • 『民間孊事兞 事項線』『人名線』鹿野政盎・䞭山茂ず 䞉省堂 1997
  • 『日本の名随筆 別巻97 昭和1』䜜品瀟 1999
  • 『鶎芋良行著䜜集1 出発』『5 マラッカ』みすず曞房 1999-2000
  • 『林達倫セレクション』党3å·» 平凡瀟ラむブラリヌ 2000。監修
  • 『人生の゚ッセむ』党10å·» 日本図曞センタヌ 2000。監修
  • 『ハンセン病文孊党集』党10å·» 倧岡信・倧谷藀郎・加賀乙圊線集委員 皓星瀟 2002-2010
  • 『戊埌史倧事兞 1945-2004』䜐々朚毅・富氞健䞀・䞭村政則・正村公宏・村䞊陜䞀郎線集委員 䞉省堂 2005
  • 『歩く孊問 ナマコの思想鶎芋良行論』線者代衚、池柀倏暹・吉岡忍ほか コモンズ 2005
  • 『無根のナショナリズムを超えお 竹内奜を再考する』加々矎光行ず線者代衚 日本評論瀟 2007
  • 『アゞアが生みだす䞖界像 竹内奜の残したもの』線者代衚 線集グルヌプSURE 2009

翻蚳

  • 『瀟䌚契玄論』 ル゜ヌ 岩波文庫, 1954 桑原歊倫代衚・13人の共同蚳者の䞀人
  • 『キュヌバの声』 ラむト・ミルズ みすず曞房, 1961
  • 『フランクリン自䌝』 ベンゞャミン・フランクリン 旺文瀟文庫, 1966、土曜瀟ペヌパヌバック, 2015
  • 『わたしは女王を芋たのか』 ノァゞニア・ハミルトン 岩波曞店, 1979児童曞

映像

  • DVD『鶎芋俊茔みずからを語る』(テレビマンナニオン線集グルヌプSURE

受賞歎

  • 1982幎昭和57幎:『戊時期日本の粟神史』で倧䜛次郎賞。
  • 1990幎平成2幎:『倢野久䜜』で日本掚理䜜家協䌚賞。
  • 1994幎平成6幎: 朝日賞。
  • 2007幎平成19幎:『鶎芋俊茔曞評集成』党3巻で毎日曞評賞。

関連文献

  • ロヌレンス・オル゜ン『アンビノァレント・モダヌンズ 江藀淳・竹内奜・吉本隆明・鶎芋俊茔』黒川創ほか蚳、新宿曞房、1997幎
  • 原田達「鶎芋俊茔、その苊悩ず思想 : ある知的マゟヒズムの軌跡」2001幎12月、倧阪倧孊人間孊博士論文。博士論文曞誌デヌタベヌスによる。
  • 原田達『鶎芋俊茔ず垌望の瀟䌚孊』䞖界思想瀟、2001幎
  • 朚村倫幞『鶎芋俊茔ノススメ プラグマティズムず民䞻䞻矩』新泉瀟、2005幎
  • 『珟代思想 総特集鶎芋俊茔』2015幎10月臚時増刊号、青土瀟
  • 村瀬孊『鶎芋俊茔』蚀芖舎評䌝遞、2016幎
  • 安酞敏眞『欧米留孊の原颚景 犏沢諭吉から鶎芋俊茔ぞ』知泉曞通、2016幎‐「歊田枅子ず鶎芋俊茔」

泚釈

出兞

参考文献

  • 䞊原隆『「普通の人」の哲孊-鶎芋俊茔・態床の思想からの冒険-』毎日新聞瀟、1990幎
  • 『KAWADE道の手垖 鶎芋俊茔 い぀も新しい思想家』河出曞房新瀟、2008幎
  • 加藀兞掋・黒川創『考える人・鶎芋俊茔』匊曞房・ブックレット、2013幎。講挔ず察談
  • 黒川創『鶎芋俊茔䌝』新朮瀟 2018幎。第46回倧䜛次郎賞を受賞

関連項目

  • ハヌバヌド倧孊に関係する日本人の䞀芧

倖郚リンク

出兞フリヌ癟科事兞『りィキペディアWikipedia』 | 最終曎新2025/10/15 09:35 UTC 倉曎履歎
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