池田稔 : ウィキペディア(Wikipedia)

池田 稔(いけだ みのる)は、日本の建築家。

略歴

1902年(明治35年)、帝国大学工科大学(現・東京大学工学部)建築学科卒業『皇室建築 内匠寮の人と作品』418-419頁。。同年東宮御所御造営厨設計課勤務を嘱託される。1905年(明治38年)には日露戦争に出征するが、同年再び勤務し、のち農商務省に入省する。

1911年(明治44年)10月、一般の新聞ならびに建築雑誌等において懸賞募集が広告された三菱本館のコンペティションに応募し、2等に選出される。また同年には設計を手がけた横浜市役所庁舎が竣工している。1914年(大正3年)には建長寺(鎌倉市)の建築及修繕工事に際して設計図を作成した。1914年設立の全国建築士会(翌年に日本建築士会に改称)結成に参加し、発起人となる。

参考文献

  • 鈴木博之監修、内匠寮の人と作品刊行委員会編『皇室建築 内匠寮の人と作品』建築画報社、2005年。
  • 官報(1905年12月11日、1906年9月5日、1908年1月29日、1908年1月31日、1908年11月25日 1912年3月30日)

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2022/02/03 14:29 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「池田稔」の人物情報へ