田中園子 : ウィキペディア(Wikipedia)

田中 園子(たなか そのこ 1919年5月11日 - 2007年1月5日)は日本の音楽家、ピアニスト、教育者。

経歴

1919年(大正8年)東京都出身。関東大震災に被災後、兵庫県に転居。10歳頃よりピアノを始め、母、田中静(ヴァイオリニスト、1893年(明治26年)8月4日音楽年鑑 昭和16年度~没年不詳)から手ほどきを受ける。 1937年(昭和12年)神戸第一高等女学校卒業。 アレクサンダー・ミハイロビッチ・ルーチン、レオ・シロタに師事し、1938年(昭和13年)11月、第7回日本音楽コンクールピアノ部門第1位初の文部大臣賞に十三歳の辻久子『東京日日新聞』(昭和13年11月21日)『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p59 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年。翌1939年(昭和14年)3月、ビクターよりイタリア協奏曲でレコードデビューしたが、以降ほとんどソロでの活動はせず、伴奏ピアニストの第一人者として、ラジオやステージ等活発な活動を展開。三浦環、平岡養一、諏訪根自子巌本真理辻久子、渡辺茂夫らの伴奏を歴任。1969年(昭和44年)昭和音楽短期大学創立に伴い教授に就任し、多くの学生を育てた。1984年(昭和59年)昭和音楽大学教授。1995年(平成7年)昭和音楽大学名誉教授。

晩年は交通事故で背骨を3箇所折る大怪我を負うが復帰。86歳となった2005年(平成17年)9月29日、当時日本最高齢のピアニストとしてソロリサイタルを行った。

2007年(平成19年)1月5日、急性心不全のため東京都内の自宅で死去。87歳没(享年89)。

主な伴奏録音

独奏者収録アルバムレーベル
平岡養一木琴の世界フォンテックRFO-1023
平岡養一SINGING XYLOPHONE東芝音工JSC 3002
平岡養一木琴の子守唄フォンテックFOCD-9040
平岡養一昭和の名演奏 歌う木琴キングレコードKICS-4035
工藤昭二マリンバのひびき東芝音工LRS291
工藤昭二マリンバはうたう東芝音工TA-6010
渡辺茂夫神童東芝EMITOCE-9154/5
渡辺茂夫続・神童東芝EMITOCE-9304
諏訪根自子永遠なれ 諏訪根自子キングレコードKICC-1064
巌本真理サラサーテアンダルシアのロマンス國際文化振興會KBS-1003A
辻久子アルベニスマラゲーニャ國際文化振興會KBS-1003B
辻久子ツィゴイネルワイゼンモスクワの思い出『世界の音楽9』収録小学館/朝日ソノラマ

出典

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/11/22 13:59 UTC (変更履歴
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