佐藤正一 : ウィキペディア(Wikipedia)

佐藤 正一(さとう しょういち、1947年12月6日 - )は北海道出身のプロゴルファー。

来歴

札幌工業高校時代は空手をやり毎日新聞縮刷版p381 昭和54年5月14日朝刊19面「無名の佐藤が初栄冠 AOを逆転した 月曜予選から一週間がかり フジサンケイゴルフ最終日」、中華料理店でアルバイトしていたこともあった〔日本ゴールドユニテックスHD杯/ FR〕2位タイ佐藤正一は中断がなればあと一つ

18歳からゴルフを始め、1971年にプロ入り。

プロ入り後は高校時代にやっていた空手の影響から握力が強く、インパクトの瞬間に力が入ってポールを曲げていたのが、茨城ゴルフ倶楽部での師匠にあたる関水利晃の教えで力を抜いて打てるようになった。

1979年にはフジサンケイクラシックを入江勉と共にマンデートーナメントから出場し、初日を入江・松田司郎・岩下吉久と並んで4アンダー68で首位に立つ毎日新聞縮刷版p291 昭和54年5月11日朝刊19面。2日目には青木功と通算5アンダー139で首位に並んだが毎日新聞縮刷版p325 昭和54年5月12日朝刊19面「青木、2アンダーで首位に並ぶ フジサンケイゴルフ」、3日目には2トリプルボギーを叩くなど75と崩れて3位へ転落毎日新聞縮刷版p357 昭和54年5月13日朝刊19面「来たぞ青木と尾崎 3打差で久々の決戦に フジサンケイゴルフ第3日」。夜の宿舎で師匠にあたる関水から「青木と尾崎を相手にしたら勝てるわけないんだから、優勝争いは二人にまかせて、お前は知らん顔でそっぽ向いてプレーしろ」と忠告を受け、最終日は忠実に関水の言葉通りのプレーを続ける。

青木・尾崎将司の一騎討ちと予想された最終日、尾崎はパットが決まらず、ボギーが先行し、7番のOBで崩れる歴代優勝者(1970年代)| フジサンケイクラシック。青木も体の不調が響いてショット、パットに精彩がなく、8、10番のボギーで躓く。

佐藤はその間にアウトを終わって青木に2打差まで迫り、インに入ると10、11番で連続バーディーを奪い、10番でボギーを叩いた青木に1打差をつけ逆転。必死にパーを拾ってきた佐藤は、初優勝を目の前にしても緊張感をものともしない冷静なプレーを続け、17番でロングパットを決めて5アンダーとして青木を突き放すと1979年05月13日 佐藤が初優勝 フジサンケイ・ゴルフ、最終ホールまでこの1打差を保つ。最終ホールで青木は2度のバーディーチャンスを外すが、佐藤は1.8mのパーパットを「これを決めれば勝ち」と考えて慎重に沈めた。青木との4打差をひっくり返し、5バーディー、2ボギーの3アンダー69、通算5アンダー283でプロ入り9年目の初優勝を飾る。

優勝時は青木からは祝福され1979年05月13日 祝福される佐藤 フジサンケイ・ゴルフ、佐藤はマンデートーナメントを突破しての本戦出場で初優勝したが、大会出場権の無い選手でもチャンスを掴める好機を生かし、マンデーからのツアー優勝を初めて成し遂げたジャンボの「奇跡」、石川の劇的連覇…フジサンケイクラシック、名勝負プレーバック。大きな話題となった美しく静かな格調高き名門ゴルフ場で桜の季節にコンぺ開催! 東松山カントリークラブ 中コース 【2017年4月4日(火)】ほか、その快挙はツアーで長く語り継がれた主催者推薦選考会(マンデートーナメント)から13人が挑戦!! - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR

1979年には地元の北海道オープン、1980年には東武プロアマに優勝飛んで曲がらない ドライバー&フェアウェイウッド/佐藤正一 著

札幌オープンでは1982年に中村俊明・高井吉春と68で並んで優勝を分け合い、1989年には同大会2勝目を挙げた歴代優勝者(2019年-1975年) - SAPPORO OPEN GOLF official website

茨城ゴルフ倶楽部ヘッドプロ時代は細川和彦を指導「きょうは拾いまくりだよ」細川和彦 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOURしたほか、スウィングとクラブ、ボールなどにも造詣が深く、大手クラブメーカーの設計顧問としても手腕を発揮。マルマンコンダクターの製作後はエスヤードの設計・監修に携わったPGAリポート86

スウィング分析にも定評があり、レッスンは分かりやすく理論的で、テレビ番組「遊々ゴルフ」でもレッスンを担当佐藤 正一 - PGA会員詳細 - 公益社団法人 日本プロゴルフ協会。日本プロゴルフ協会副会長として、トーナメントプロとティーチングプロの資格認定委員長も務め、2014年には日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞。

2015年には日本プロゴールドシニアで単独首位からスタートし、3バーディ・4ボギーの73で1つスコアを落としながらもトータル2アンダーで矢部昭・鷹巣南雄を抑えて逃げ切り、初の日本タイトルを手にしたグランドは重信秀人が優勝!ゴールドは佐藤正一が逃げ切りV。2017年には道東オープン・シニアの部道東オープン - 記録 - 帯広国際カントリークラブ、2022年には「ISPS HANDA・60歳を超えても、じいさんではないのだ!!トーナメント」で優勝【ISPS NEWS】60歳以上の大ベテラン達に希望を! ISPS HANDA・60歳を超えても、じいさんではないのだ!!トーナメント

主な優勝

レギュラー
  • 1979年 - フジサンケイクラシック、北海道オープン
  • 1980年 - 東武プロアマ
  • 1982年 - 札幌オープン
  • 1989年 - 札幌オープン
シニア
  • 2015年 - 日本プロゴールドシニア
  • 2017年 - 道東オープン・シニアの部
  • 2022年 - ISPS HANDA・60歳を超えても、じいさんではないのだ!!トーナメント

外部リンク

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