島武己 : ウィキペディア(Wikipedia)
島 武己(しま たけみ、1943年4月1日 - 2024年7月10日)は、沖縄県国頭郡本部町生まれの陶芸家。国の重要無形文化財「琉球陶器」技能保持者(沖縄県で2人目の人間国宝)を辞退している。
経歴
1960年、17歳で壺屋の陶芸家小橋川永昌の元で陶芸を始める。
1961年、18歳で「第13回沖展」陶器部門の奨励賞を受賞。
1962年、19歳で「第14回沖展」陶器部門の沖展賞を受賞。
1963年、20歳で「第15回沖展」陶器部門の沖展賞を受賞。
1965年、22歳で小橋川家を辞し、古陶磁の研究に没頭する。初期壺屋(約300年前)の湧田窯系、宝口糸、知花系の各古窯の比較研究を通し、壺屋に統合される以前の古窯(400~500年前)喜名焼、知花焼、古我知焼、山田焼等の古窯の復元に情熱をかける。以来十数ヶ所の設計築窯する。
1969年、26歳で陶芸研究家の小山富士夫に出会い、南蛮焼研究に参画する。同氏の紹介により日本各地の古窯を見聞する。
1980年、中城村に自らの復元古窯城窯を開いた。中城に来てから島の作品は一変し、これまでの伝統的な工芸作品から、独創的なオブジェの世界へ足を踏み入れる。テーマは「地獄編」、「御獄シリーズ」、そして「わびさび」の世界。生み出す造形にふさわしい線を出すために、壺屋時代に覚えた工芸的な「手」は忘れようと、自ら葛藤しながらの創作活動の時期でもあった。島も「壺屋の手を忘れるのに10年掛かった」と述べている。ここからの20年間は、ライバルでもあり、親友でもある國吉清尚との切磋琢磨が始まる。
1997年、大型写真集本「陶21 : 21世紀のやきものルネッサンス」に掲載される。
1999年、國吉清尚が死没する。
2003年、故郷の本部町へ帰る。
2005年、健堅集落の奥に「阿弥陀城古窯」を構えた。
2010年、島武己作陶展 阿弥陀城古窯(佐喜眞美術館)島武己作陶展 阿弥陀城古窯(佐喜眞美術館)
2011年、脳梗塞で倒れる、それ以前の作陶中の島武己には怖くて誰も近付けなかった。
2014年、現代沖縄陶工展「島武己」~己宙南蛮~(那覇市立壺屋焼物博物館)現代沖縄陶工展「島武己」~己宙南蛮~(那覇市立壺屋焼物博物館)
2018年、國吉清尚の短編映画「やちむん 沖縄フィルムオフィス」の撮影が、「阿弥陀城古窯」で撮影された。
2018年、弟子の前原和夫が出禁となる。
2024年、死没。作陶 島武己 土の宝石を作る短編映画『YACHIMUNーwith English subtitles』撮影スタッフの池原公平
國吉清尚と島武己
2024年、カイカイキキギャラリーで開催された「國吉清尚オマージュ展」では、和田直樹、当真裕爾らの計らいで國吉清尚と島武己のことが紹介された。清尚と武己は、沖縄の焼締陶作家の「龍と虎」。いずれも沖縄県外に出回る作品数の少なさゆえ、これまでほとんど知られていなかったが、ようやく光が当たるようになってきた。
関連項目
- 壺屋焼
- 民藝運動
- 國吉清尚
- 濱田庄司
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2025/07/01 06:54 UTC (変更履歴)
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