梅園龍子 : ウィキペディア(Wikipedia)
梅園 龍子(うめぞの りゅうこ、1915年11月28日 - 1993年4月30日梅園龍子 - コトバンク(新撰 芸能人物事典 明治~平成)、2021年2月2日閲覧)は、日本の女優。
梅園 竜子と表記されることもある。
経歴
1915年(大正4年)11月28日、植草正枝として東京市日本橋区村松町(現在の東京都中央区東日本橋)に生まれる。
三崎英語学校在学中の1929年(昭和4年)に榎本健一の第2次カジノ・フォーリーの旗揚げ公演に踊り子で出演した。
1931年(昭和6年)退団し、1932年(昭和7年)パイオニヤ・クインテット舞踊団、益田隆のトリオ舞踊団に入団した。
1935年(昭和10年)P.C.L.映画製作所準専属で『乙女ごころ三人姉妹』で映画デビューした。
1936年(昭和11年)に専属となり、1937年(昭和12年)『夜の鳩』、『江戸の白鷺』、1938年(昭和13年)『エノケンの猿飛佐助 ありゃありゃの巻』、『泣蟲小僧』などに出演した。
1941年(昭和16年)バレエ団「川奈楽劇団」などを経て、1943年(昭和18年)に引退した。
出演映画
以下の公開年、作品名、監督名、製作会社、役名は、特に記載がない限り日本映画データベースに従った。
- 1935年 : 『乙女ごころ三人姉妹』 成瀬巳喜男監督 P.C.L.映画製作所 - 千枝子
- 1935年 : 『すみれ娘』 山本嘉次郎監督 P.C.L.映画製作所すみれ娘、KINENOTE、2021年2月2日閲覧
- 1935年 : 『サーカス五人組』 成瀬巳喜男監督 P.C.L.映画製作所 - 澄子
- 1935年 : 『噂の娘』 成瀬巳喜男監督 P.C.L.映画製作所 - 紀美子
- 1936年 : 『大洋の寵児』 矢倉茂雄監督 P.C.L.映画製作所
- 1936年 : 『東京ラプソディ』伏水修監督 日活東京ラプソデイ、国立映画アーカイブ、2021年2月2日閲覧
- 1937年 : 『風流演歌隊』 伏水修監督 P.C.L.映画製作所
- 1937年 : 『青春部隊』 松井稔監督 P.C.L.映画製作所青春部隊、KINENOTE、2021年2月2日閲覧
- 1937年 : 『夜の鳩』 石田民三監督 J.O.スタヂオ - おしげ夜の鳩、KINENOTE、2021年2月2日閲覧
- 1937年 : 『江戸の白鷺』 石橋清一監督 P.C.L.映画製作所江戸の白鷺、KINENOTE、2021年2月2日閲覧
- 1937年 : 『エノケンの猿飛佐助 ありゃありゃの巻』 岡田敬監督 東宝映画東京撮影所エノケンの猿飛佐助 ありゃありゃの巻、KINENOTE、2021年2月2日閲覧
- 1937年 : 『白薔薇は咲けど』 伏水修監督 P.C.L.映画製作所白薔薇は咲けど、国立映画アーカイブ、2021年2月2日閲覧
- 1937年 : 『禍福 前篇』 成瀬巳喜男監督 P.C.L.映画製作所 - 豊美の友人禍福 前篇、国立映画アーカイブ、2021年2月2日閲覧
- 1938年 : 『エノケンの猿飛佐助 どろんどろんの巻』 岡田敬監督 東宝映画東京撮影所エノケンの猿飛佐助 どろんどろんの巻、KINENOTE、2021年2月2日閲覧
- 1938年 : 『泣蟲小僧』 豊田四郎監督 東京発声映画製作所 - 貞子の妹・中橋菅子
- 1938年 : 『浮世小路』 萩原遼監督 東宝映画京都撮影所
- 1938年 : 『四ツ葉のクローバ』 岡田敏監督 東宝映画東京撮影所四ツ葉のクローバ、KINENOTE、2021年2月2日閲覧
- 1938年 : 『吾亦紅 前篇』 阿部豊監督 東宝映画東京撮影所
- 1939年 : 『吾亦紅 後篇 戦野に咲く』 阿部豊監督 東宝映画東京撮影所
- 1939年 : 『忠臣蔵 前篇』 滝沢英輔監督 東宝映画東京撮影所 - 一力仲居おすえ忠臣蔵 前篇、KINENOTE、2021年2月2日閲覧
- 1939年 : 『忠臣蔵 後篇』 山本嘉次郎監督 東宝映画東京撮影所 - 一力仲居おすえ忠臣蔵 後篇、KINENOTE、2021年2月2日閲覧
- 1940年 : 『笑ふ地球に朝が来る』 津田不二夫監督 南旺映画 - 青空うらゝ笑ふ地球に朝が来る、国立映画アーカイブ、2021年2月2日閲覧
関連項目
- カジノ・フォーリー
- 川端康成
- 浅草紅団
- 東勇作
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/12/15 02:43 UTC (変更履歴)
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