下重暁子 : ウィキペディア(Wikipedia)

下重 暁子(しもじゅう あきこ、1936年〈昭和11年〉5月29日 - )は、日本の作家・評論家・エッセイスト。元NHKアナウンサー、JKA初代会長。

略歴・人物

栃木県宇都宮市出身。下重家は江戸時代、各地の御典医に多かった姓で、暁子の下重家は石見国浜田藩の御典医を代々勤めた。映画「戦場のメリークリスマス」の登場人物のモデルになった森勝衛は、父の従兄にあたる。

9歳の時に太平洋戦争の疎開先の奈良県で終戦を迎える2014年のTBS「日曜劇場『おやじの背中』」で取り上げられた。終戦1週間後に陸軍の幹部だった父が軍服に大きなリュックサックを背負って来て、話もせず庭で大量の書類を焼き出した…戦後は公職追放になり、始めた仕事はことごとく失敗した。父は落ちた偶像になったが、後に母とのラブレターを発見して見直したという(「余録」毎日新聞2014年)8月30日)。。

教師の影響で、進学校の大阪府立大手前高等学校に進学。国語など文科系科目は得意なため、苦労したことはなく早稲田大学教育学部国語国文学科に進学した。芥川賞作家の黒田夏子は早大教育学部の同級生で同人誌仲間。

早大卒業後の1959年に、アナウンサーとしてNHKに入局。名古屋放送局や東京の放送センターに勤務した。野際陽子はNHKアナウンサー時代の1年先輩で、名古屋放送局での同僚でもあった。

NHK退職後に女優へ転身した野際に続いて、1968年にフリーアナウンサーへ転身。『長谷川肇モーニングショー』(NETテレビ)等のキャスターを経て、文筆活動に入る白井隆二「ぶらうん管うらがえ史PARTII ワイドショーの昭和四十年代」(『放送批評』1984年2月号、P62)。作家・評論活動だけでなく、講演も行っている。

2005年(平成17年)に、最後の日本自転車振興会(第12代)会長に就任。後にガールズケイリンと称して復活することになる女子競輪の再開を強く要望あんなこんなそんなおんな 第185回 ■威張れ!頑張れ!■ 中山千夏(在日伊豆半島人)し、2008年にエキシビションながらも女子のケイリンレース実施を実現した後、2010年9月30日に女子競輪を2012年7月に復活させることを決定した。また、2008年に財団法人JKAの初代会長に就任。2011年3月31日まで務めた。

エピソード

  • 「下重暁子」は旧姓。結婚した時改姓したが、旧姓のままでいたかった、としている。選択的夫婦別姓にも賛同し、死ぬ前には事実婚に戻し、「下重暁子」として死にたい、としている。「夫婦同姓は明治期からの制度であり、伝統でもなんでもない。」「通称利用で現制度の不利益が緩和されるなどということはない。」としている。
  • 2015年に幻冬舎から『家族という病』を出版し、50万部のベストセラーとなった。同書の中で下重は「親や家族の期待は子供をスポイルしている」「配偶者は他人」などと家族の価値を否定し、自立した個人の重要性を強調した。これに対して金美齢は「歪んだ家族論」「傲岸不遜と言わずして、なんと言おう」と下重を批判し、2016年に反論本である『家族という名のクスリ』を出版した。
  • 1994年に『純愛 - エセルと陸奥広吉』を書いた時に、本を書いたお礼にと、二人の息子である陸奥イアン陽之助から鹿鳴館の華と称された陸奥亮子が身につけていたダイヤのネックレスと、陸奥宗光のパーティーで外国人に用いられた銀製のスプーンやナイフをもらっている。
  • 長野県軽井沢町に別荘があり、夏に限らずよく滞在しているという名建築家・吉村順三が手掛けた軽井沢の山荘の魅力を作家・下重暁子さんが語る 家庭画報(2019/07/29)。この建物の設計は吉村順三で、音楽教育家エロイーズ・カニングハムの元別荘である。

役職

  • 財団法人JKA初代会長(特殊法人日本自転車振興会第12代会長として2005年に就任し2011年まで在職)
  • 日本旅行作家協会第3代会長 (第2代会長・兼高かおるの後を継いで2011年3月に就任し現職)

著書

単著

共著

  • 『わが心わが山陰~小泉八雲の見た神々の里』(郡山政宏 他と、1982年)
  • 『愛はほんとうの自分を教えてくれる』(鈴木健二 と、大和出版、1981年)
  • 『女学入門 しなやかにしたたかにいい女に』(秋山さと子・吉武輝子・沖藤典子・山口令子 他と、フォー・ユー、1988年)
  • 『更年期から楽しくなる 美しく個性豊かに、後半生に臨みたい』(小山嵩夫・堀口雅子・堀口文・安田香珠子 と、生活クラブ生協連合会、1994年)
  • 『こころ・いのち・人間 人間のこころを考える1』(なだいなだ・大原健士郎・糸魚川直祐・梅原猛・永六輔 と、岩波書店、1997年)
  • 『古寺巡礼京都 36 新版 西芳寺』藤田秀岳共著 淡交社 2009
  • 『群れない媚びないこうやって生きてきた』黒田夏子共著 海竜社 2014
  • 『ひとは生きてきたようにしか死なない』著:草柳大蔵、解説:下重暁子、祥伝社 祥伝社新書、2018/10/31

テレビ出演

情報・ワイドショー番組

期間番組名役職備考
1968年4月1969年3月長谷川肇モーニングショー(NET)キャスターフリーアナウンサー転身後初めてのレギュラー番組
2000年7月11日レディス4(テレビ東京)『下重暁子の青春回復!素敵な不良老年』ゲスト出演
2001年2月7日ETV2001シリーズ(NHK教育テレビ)『日本の母 母を語る Vol.19 栃木県』ナレーション
2015年2021年3月爆報! THE フライデー(TBS)不定期出演『家族という病』の出版を機に、ゲストとして随時スタジオへ出演、野際が永眠した2017年には、8月25日放送分で、NHKアナウンサー時代の野際とのエピソードが紹介

情報・ワイドショー番組以外

  • 知ってるつもり?!(2001年1月28日、日本テレビ)
  • シンフォニー・ジャパン1961-2015 Symphony Japan(2014年12月29日、BSジャパン)- 1961年に製作された映像「Symphony Japan」のプロデューサー陸奥イアン陽之助の思い出を語った。
  • 徹子の部屋 (2019年8月27日 テレビ朝日)

ラジオ

  • ラジオ深夜便

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/08/14 09:14 UTC (変更履歴
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