植草圭之助 : ウィキペディア(Wikipedia)

植草 圭之助(うえくさ けいのすけ、1910年3月5日 - 1993年12月19日)は、日本の脚本家、小説家。本名は植草之助。

来歴・人物

東京府生まれ。同年生まれの黒澤明とは文京区の黒田小学校(後の文京区立第五中学校)時代からの旧友。京華商業高等学校中退。エキストラなどを経て、黒澤作品『素晴らしき日曜日』、『酔いどれ天使』の脚本を手がける。黒澤とはロシア文学等の良き話し相手だったが、1977年、『文藝春秋』のグラビア記事「同級生交歓」で再会したのを最後に絶交した藤川黎一『黒澤明vs.本木荘二郎―それは春の日の花と輝く』(論創社、2012年)。植草が「本木荘二郎のことを書く」と言ったのに対し、黒澤が「やめてほしい」「欲しい映像を得るためならば、一人や二人の犠牲はやむをえない」「西部劇のインディアンは滅びの民だ、同情もしなければ支援もしない」などと発言したのが原因である、と植草は述べている。

1973年には『冬の花 悠子』で直木賞候補となった。映画脚本や小説以外の著書に『わが青春の黒沢明』がある(文藝春秋、のち文春文庫に収録)。

なお、従兄に音楽・映画評論で著名だった植草甚一がいる。

作品

  • 今ひとたびの(1947年、東宝)
  • 素晴らしき日曜日(1947年、東宝)
  • 酔いどれ天使(1948年、東宝)
  • 泣きぬれた人形(1951年、松竹)
  • 森と湖のまつり(1958年、東映)
  • 西遊記(1960年、東映)

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/01/21 14:09 UTC (変更履歴
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