依藤宗子 : ウィキペディア(Wikipedia)

依藤 宗子(よりふじ むねこ)は、日本のファッションモデル、女優である。1957年(昭和32年)のミス・ワールド・ジャパン(ミス・ワールド日本代表)に選ばれ、世界大会で第5位に入賞した。前年に日本から初出場して第4位2021年現在歴代ミス・ワールド・ジャパンの最高順位となった戸倉緑子に続き、日本は2年連続の入賞となった。

来歴・人物

1936年頃、兵庫県西宮市に生まれるミス・ワールド第七回(1958年度)『中部日本新聞』1959年6月8日夕刊3面。

武庫川学院女子短期大学を卒業し、ファッションモデルとして活動した。

1957年6月、21歳のとき、“ミスコンの日本代表を選ぶ大会”この年はミス・ユニバースとミス・ワールドの代表を一つの舞台で選んだに大阪府代表として出場。産経新聞関係者から勧められて応募したもので、応募の事実は最初のうちは周囲に隠していたが、ミス大阪候補になって写真が報道されて発覚。

第2代のミス・ワールド日本代表に選ばれミス・ユニバース大谷さん ミス・ワールド依藤さん『朝日新聞』1957年6月10日7面、同年10月にイギリスのロンドンで行われた第7回世界大会に出場。優勝したミス・フィンランドのマリタ・リンダールらに次いで第5位に入賞した。

この年の大会には23か国が参加した。前年と同様、日本は中東を除くアジアで唯一の参加国であり、依藤も着物姿に加えて、水着審査では身長165センチメートル(cm)、体重53キログラム(kg)、スリーサイズ89-55-92 cmと前年の戸倉に劣らないスタイルを披露した。

その後はファッションモデルから大映の女優に転じ、『花の大障碍』などに出演した。

フィルモグラフィ

  • 1959年
    • 旅情 - 空港のホステス 役
    • 花の大障碍 - たか 役
    • 氾濫 - たか子の同級生B 役

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/05/02 03:23 UTC (変更履歴
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