生田恵子 : ウィキペディア(Wikipedia)

生田 恵子(いくた けいこ、本名:斉藤八重子(旧姓・岩崎)、1928年(昭和3年)6月20日 - 1995年(平成7年)4月18日)は、日本の歌手。

来歴

東京都出身。宝塚歌劇団を経て、1949年に歌手デビュー。芸名の由来は「ビクターで稽古」から。

1952年、ブラジルの民族音楽である「バイヨン」を取り入れた「バイヨン踊り」がヒットし、「バイヨンの女王」と呼ばれるようになる。その後、「東京ティティナ」「東京バイヨン」「銀座マンボ」「月夜の水車小屋」「君懐しのトランペット」がヒットした。

1956年12月31日、第7回NHK紅白歌合戦に初出場し、「アイ・アイ・バンジョー」を歌唱した。この第7回紅白の生田の歌のラジオ中継の音声が現存する。

昭和40年代の懐メロブームの際は、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の「なつかしの歌声」に出演し、往年の曲を披露した。

晩年は、自身のヒット曲である「東京ティティナ」と同じ店名の飲食店を経営する傍ら、日本歌手協会主催の歌謡祭などにも度々出演し、変わらぬ美声を披露していたが、1995年4月18日、脳出血のため相模原市の病院で死去。享年68。

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 対戦相手
1956年(昭和31年)/第7回アイ・アイ・バンジョー林伊佐緒

テレビドラマ出演

  • 特別機動捜査隊 第385話「ブルーボーイ」(1969年3月12日、NET)
  • 嫁ゆかば 第19話「だからわかってほしいの!」(1969年6月3日、日本テレビ) - はるこ 役

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