片山博通 : ウィキペディア(Wikipedia)

片山 博通(かたやま ひろみち、1907年(明治40年)12月22日 - 1963年(昭和38年)3月10日)は、 シテ方観世流の能楽師。観世流職分家八世当主片山九郎右衛門

概説

京都生まれ。片山九郎三郎(のちの七世片山九郎右衛門)の次男。1928年(昭和3年)、雑誌『観世』の創刊に関わる。1944年(昭和19年)、家名の八世片山九郎右衛門を襲名するが、1958年(昭和33年)、博通に戻る。1963年(昭和38年)3月10日に神戸市の湊川神社で「求塚」を演能中に急性くも膜下出血で急逝。兄は二十四世観世宗家観世左近。妻は京舞井上流四世家元の井上八千代、子は観世流職分家九世当主片山九郎右衛門。

著書

関連書誌

脚註

出典

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2025/01/11 05:00 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「片山博通」の人物情報へ