高橋宏 : ウィキペディア(Wikipedia)
高橋 宏(たかはし ひろし、1933年12月21日 - 2021年6月25日)は、日本の実業家。日本郵船副社長、郵船航空サービス社長、公立大学法人首都大学東京初代理事長、特定非営利活動法人一橋総合研究所初代理事長などを歴任した。旭日中綬章受章。
来歴
新潟県新発田市出身。新潟県立新発田高等学校を経て、1956年に一橋大学商学部を卒業し、同年日本郵船に入社。入社後は営業部門で主に欧米航路を担当し、1960年代から1980年代にかけてニューヨーク、ロッテルダム、デュッセルドルフなど海外支店勤務を経験した。
1985年に取締役、1988年常務取締役、1990年代表取締役専務、1993年代表取締役副社長に就任。国際定航路部門や港湾再編事業などを統括した。
1995年から郵船航空サービス代表取締役副社長、1996年より同社代表取締役社長に就任。国際貨物輸送の効率化や航空貨物ネットワーク再編に取り組み、アジア・欧州間の物流強化を推進した。 2001年代表取締役会長、2003年相談役を経て退任。
2004年、東京都公立大学法人設立準備室長に就任し、翌2005年、同法人初代理事長に選任された。法人化に伴う制度改革を主導し、任期制・年俸制の導入、附属図書館の一般利用拡大などを推進した。
2013年の理事長退任後も、東京都港湾審議会会長として東京港の再編と民営化を提言。ポートオーソリティ構想検討委員会の座長として制度設計に携わった。 一時、東京都港湾局より東京港埠頭株式会社の社長就任を要請され、一旦内定したが、高齢を理由に辞退した。
一橋総合研究所
1998年、梶原徳二、古川令治、市川周、下前雄らと共に特定非営利活動法人一橋総合研究所を設立。 高橋は初代理事長として設立を主導し、学術・産業界・行政を結ぶ知的ネットワークの構築を推進した。 同研究所では、白馬会議や世界経済評論編集委員会などを通じ、産学連携・地方創生に関する提言活動を行った。
人物
学生時代は一橋大学で石原慎太郎と親交を結び、以後生涯にわたり盟友関係を維持した。石原が政界に進出して以降も、経済界側から政策提言や人的支援を行い、特に港湾政策や首都再編構想、大学改革などで協力関係を築いたとされる。
石原が東京都知事に就任した後も、両者は定期的に意見交換を行い、港湾政策や臨海開発、教育行政に関して助言を与えていたと報じられている。
2003年には、石原の要請により首都大学東京(現・東京都立大学)の初代理事長に就任し、石原が掲げた教育改革構想を制度面から支えた。 その後も一橋大学関係者の梶原徳二(一橋総合研究所理事長)らとともに、石原都政における大学・産業連携や文化政策の立案に関わったとされる。
また、大学法人化以前から石原と「知の開放と実学の融合」を理念として共有しており、首都大学東京初代理事長として掲げた「開かれた大学」構想にもその思想的連続性が見られる。
叙勲
- 藍綬褒章(1996年)
- 旭日中綬章(2019年)
著書
- (鈴木秀郎共著)『コンテナ時代―拡がりゆく新輸送システム』(日本経済新聞社〈日経新書〉、1970年、ISBN 9784532010879)
- (涛川栄太・中村哲・鈴木壮治共著)『「日本浮上」プロジェクト―首都圏スーパー新空港が国を救う』(ブックハウスジャパン、2001年、ISBN 9784893740324)
- 『喧嘩の作法―アメリカが怖れた男の交渉術』(講談社、2015年、ISBN 9784062194733)
関連項目
- 一橋総合研究所
- 白馬会議
- 石原慎太郎
- 梶原徳二
- 古川令治
- 市川周
- 下前雄
評伝
大学・産業界双方の改革を経験した経営者として、大学法人化の先駆者と評される。首都大学東京の運営理念「実学重視・開かれた大学」は、高橋の経営哲学を反映したものとされる。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2025/10/26 13:39 UTC (変更履歴)
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