井山淳 : ウィキペディア(Wikipedia)

井山 淳(いやま じゅん、1945年 - )は、日本の元お笑い芸人。

志村けんの元相方。お笑いコンビ「マックボンボン」の元メンバー(ボケ)で、ザ・ドリフターズの付き人でもあった。渡辺プロダクションに所属していた。

来歴

北海道富良野市出身。高校時代は柔道部。中学3年生の時に家庭にTVが設置され、その際目にしたハナ肇とクレイジーキャッツに衝撃を受け、お笑いの世界に憧れるようになる。高校1年の時、由利徹に「弟子にしてください」と手紙を書く。一人でもこんなお笑いが出来るんだというのが理由である。由利徹からの返事は「高校を卒業しなさい。その時考える」だった。その後、由利の返事通り高校生活を送ったが、徐々にザ・ドリフターズやコント55号のお笑いの方へと興味が移っていったという。高校卒業後、地元信用金庫に就職したが、お笑いの夢をあきらめきれず、22歳の時に上京する。雑誌の付録に載っていた住所を手掛かりに、いかりや長介の自宅に行って、弟子入りを志願し、1969年頃、ザ・ドリフターズの付き人となる。同時期に映画『ドリフターズですよ!全員突撃』に端役で出演。この頃の芸名はいやま淳だった。

1972年に本名に変更し、同じくザ・ドリフターズの付き人だった志村けん(当時・志村健)と「チャーミングコンビ」を結成したが、いかりや長介からの「お前らは絶対チャーミングじゃない」という指摘により改名し、「マックボンボン」としてデビューする。身体を張ったネタが評判になり、徐々に小柳ルミ子天地真理森進一沢田研二などの前座を任されるようになっていった。

同年10月にはさっそく日本テレビ系列の『ぎんぎら!ボンボン!』(後に『シャボン玉ボンボン』にリニューアル)にはじめてレギュラー出演するが、知名度の低さとワンパターンなネタがすぐに視聴者に飽きられ、番組は2本共に3ヶ月で打ち切りとなった(番組開始当初からいかりやはその事を危惧していた)。それにショックを受けた井山は失踪し、同時に脱退した。連絡が取れなくなった渡辺プロダクションは井山を契約解除した。

失踪後は28歳の時、芸能界を引退し、喫茶店で知り合ったウェイトレスで8歳年下の一般女性と結婚した。浅草の信用金庫、タクシー運転手や瓦職人を経て、2019年時点では交通指導員をしていた。タクシー運転手時代は、いかりや長介、加藤茶などが指名してくれてタクシーに乗せたことがある。

井山の失踪後、マックボンボンには元自衛隊員の福田正夫が加入するが、福田のやる気の無さで自然消滅し、志村はドリフ付き人に復帰した。

2019年7月31日に放送され、志村けんがゲストとして登場したテレビ朝日系列の『あいつ今何してる?』に井山がVTRで出演した。

主な出演

コンビでの出演は「マックボンボン」を参照。

  • ドリフターズですよ!全員突撃(1969年、東宝 / 渡辺プロ) - ガードマン役

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/08/15 10:28 UTC (変更履歴
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