北の花勝利 : ウィキペディア(Wikipedia)
北の花 勝利(きたのはな かつとし、1944年5月22日 - 没年不明)は、北海道虻田郡留寿都村出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は国岡 治美(くにおか はるみ)。最高位は東前頭6枚目(1968年9月場所)。現役時代の体格は175cm、97kg。得意手は左四つ、寄り。
来歴・人物
留寿都中学校では陸上部に所属し、砲丸投げの選手として活躍したが、陸上競技以上に相撲が好きであった。そのため中学校を卒業すると、すぐに上京し、16歳で出羽海部屋に入門(1960年5月)。1960年7月、「北の花」の四股名で序ノ口に付いた。
体は小さかったが出世は早く、序ノ口から僅か1年2ヵ月で幕下に進出。だがここで暫く低迷し、1965年9月場所にて漸く十両昇進を果たす。
その後は3年近く十両に在り、上位で幾度も入幕確定の勝ち星を挙げながらも、番付上の不運により3度入幕を見送られた(最も不運だったのは1967年5月場所で、前場所西筆頭で10勝5敗と二桁勝利を挙げたが、場所後の「番付削減」のため半枚しか番付が上がらなかった(西筆頭→東筆頭))。しかし4度目の好機はモノにし、1968年5月場所で新入幕を果たした。
左を差して寄るという取り口を得意としたが、軽量のため幕内では苦戦し、結局幕内経験は僅か4場所に終わっている。
その後十両尻近くまで番付を落とし、途中休場した1969年7月場所を最後に、25歳という若さで廃業した。廃業後は後援者と名古屋で商売を行う予定だったが、実現したかは不明であり、その後の消息もわかっていない。
主な成績・記録
- 通算成績:297勝271敗4休 勝率.523
- 幕内成績:28勝32敗 勝率.467
- 現役在位:55場所
- 幕内在位:4場所
- 連続出場:568番(序ノ口以来、1960年7月場所-1969年7月場所(11日目))
幕内対戦成績
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
青ノ里 | 3 | 0 | 浅瀬川 | 0 | 2 | 大位山 | 1 | 0 | 高鉄山 | 0 | 3 | |||
大雄 | 2 | 1 | 大竜川 | 0 | 1 | 高見山 | 1 | 1 | 時葉山 | 2 | 1 | |||
戸田 | 3 | 1 | 栃東 | 0 | 1 | 栃王山 | 1 | 2 | 栃富士 | 0 | 1 | |||
長谷川 | 0 | 1 | 花田 | 0 | 1 | 花光 | 0 | 2 | 富士錦 | 2 | 2 | |||
藤ノ川 | 1 | 1 | 二子岳 | 0 | 2 | 禊鳳 | 1 | 0 | 明武谷 | 1 | 0 | |||
陸奥嵐 | 1 | 1 | 龍虎 | 1 | 2 | 若天龍 | 1 | 2 | 若浪 | 1 | 0 | |||
若鳴門 | 1 | 0 | 若ノ國 | 1 | 1 | 若二瀬 | 0 | 1 | 若見山 | 1 | 0 | | |
改名歴
- 国岡 治美(くにおか はるよし)1960年5月場所(※前相撲)
- 北の花 勝利(きたのはな かつとし)1960年7月場所 - 1969年7月場所
関連項目
- 大相撲力士一覧
参考文献
- 『戦後新入幕力士物語 第3巻』(著者:佐竹義惇、ベースボール・マガジン社刊、1991年)p178-p181
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/10/27 06:29 UTC (変更履歴)
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