森環 : ウィキペディア(Wikipedia)

森 環(もり たまき、1876年(明治9年)6月1日衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、27頁。『現代日本の政治家』同志会350-351頁。『人事興信録 第4版』も12頁。 - 1950年(昭和25年)12月21日『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』651頁。)は、明治から昭和期の農業指導者、実業家、政治家。衆議院議員、大分県大野郡上井田村長。

経歴

大分県大野郡下野村(上井田村『大分県歴史人物事典』502-503頁。『大分県実業家伝』67-68頁。『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』456頁。大字下野、朝地村、朝地町を経て現豊後大野市朝地町下野)で、大地主、酒造業・森鵜吉の長男として生まれた。1898年(明治31年)大分県立大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)を卒業。1905年(明治38年)3月、家督を相続し、農業、酒造業を営む。

有限責任信用販売購買組合を設立し組合長に就任し、上井田村農会長も務めて18年間在任。1914年(大正3年)大野郡畜産組合長となり30年間在任し、豊後牛の改良などに尽力した。また大野郡内の各地に耕地整理組合を設立して組合長を務め、農業生産の向上に尽力した。1922年(大正11年)上井田村水力電気を設立して取締役社長に就任。その他、大分県農工銀行監査役、大分県耕地協会副会長、同畜産組合連合会副会長なども務めた。

政界では、上井田村収入役、同助役、同村長を務めた。1890年(明治40年)9月、大分県会議員に選出され2期在任し、同参事会員も務めた。1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙で大分県郡部から立憲同志会所属で当選し『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』77頁。、その後、憲政会に所属して衆議院議員に1期在任した。その他、地方森林会議員、大分県山林会評議員にも在任した。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 『大分県実業家伝』臼杵新聞支社、1918年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『大分県歴史人物事典』大分合同新聞社、1996年。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/08/18 14:15 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「森環」の人物情報へ