庄司一郎 : ウィキペディア(Wikipedia)
庄司 一郎(しょうじ いちろう、1892年(明治25年)1月1日[ 『宮城県名士寳鑑』]298-300頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月19日閲覧。 - 1964年(昭和39年)8月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(立憲政友会→日本自由党→民主自由党→自由党)。厚生政務次官。宮城県柴田郡大河原町長[ 『翼賛選挙大観』]82頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月19日閲覧。[ 『人事興信録 第13版 上』]シ98頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月20日閲覧。。
来歴
宮城県伊具郡角田町(現角田市)出身。庄司房治の次男。東北学院で学び、中退した。『仙台日日新聞』『東北新聞』記者、『仙南新聞』主幹を務めた。後に仙南日日新聞社、雑誌『新東北』を創刊し、社長に就任した。また大河原町会議員、宮城県会議員、大河原町長などを歴任した。
1937年(昭和12年)の第20回衆議院議員総選挙で立憲政友会公認で立候補して当選した。以来当選6回。1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)では非推薦で立候補して当選した。
1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙では日本自由党公認で立候補し当選。第2次吉田内閣の厚生政務次官、衆議院決算委員長などを歴任した。1955年(昭和30年)の第27回衆議院議員総選挙では自由党公認で立候補したが落選、政界を引退した。
その他、東北自由新聞社長を務めた。
人物
趣味は考古学、古書蒐集。宗教はキリスト教。住所は宮城県柴田郡大河原町。
家族・親族
- 庄司家
- 妻・久代(1897年 - ?、社会功労者)
- 長男、次男、三男、長女、次女
著書
- 『史伝 片倉小十郎景綱』(大正堂書店、1915年)
- 『東北之宝庫川崎村』(仙南新聞社、1917年)
- 『白石町誌』(北日本書房、1925年)
- 『角田町郷土史』(仙南日日新聞社、1926年)
- 『村田町誌』(仙南日日新聞社、1927年)
- 『町村自活と公民生活』(仙南日日新聞社、1933年)
- 『鈴木清之輔翁伝』(仙南日日新聞社、1934年)
- 『伊沢亮庵翁伝』(伊沢亮庵翁伝刊行会、1935年)
- 『時局ト青年教育論』(新興東北出版部、1939年)
- 『阿武隈川の沿革と改修運動史』(阿武隈川下流改修期成同盟会、1941年)
参考文献
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/02/23 11:25 UTC (変更履歴)
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