手塚勝巳 : ウィキペディア(Wikipedia)
は、日本の元俳優、スーツアクター(縫いぐるみ俳優)。元プロ野球選手。神奈川県横浜市出身。
来歴・人物
戦前にプロ野球選手(早実-専修大学を経て大東京軍、ポジションは投手→外野手。通算5試合に代打出場し、5打数0安打)の経験がある。終戦後には新東宝を経て東宝に入社したが、これにはマキノ雅弘による口利きがあったとされる。
入社後も俳優仲間の待遇面などでの折衝役を務めるなど親分肌で、東宝俳優部のいわゆる「大部屋俳優」たちのトップにいた人気者であった。その影響力は一俳優の立場を超えたものであり、撮影所の所長も一目置いていたという。
元プロスポーツ選手としての体力を買われ、『ゴジラ』でゴジラ役に抜擢されたが、着ぐるみを着てのテストの際に3メートルほど歩いたところでその重さ(150キログラム超)に耐えきれず、国会議事堂のセットにつまずいて倒れてしまったのに対し、自分より若い中島春雄が先に10メートルほど歩いていたため、これを見て円谷英二はメインを中島に交代させた。手塚は中島の補助とされ、国会議事堂のシーンなどでゴジラ役を担当した。中島によれば、手塚は国会議事堂を破壊するシーンの撮影中に何かにつまずいて転倒し、「こんな出来損ないで演技が出来るか!」と怒鳴り散らした挙句、造形のアルバイトを突き飛ばしたという。
造形助手のアルバイトとして「ゴジラ」の製作に携わっていた鈴木儀雄によれば、手塚は腕っ節の強い荒っぽい人で、同じ造形スタッフでもベテランの利光貞三や八木康栄・勘寿兄弟には怒らず、文句も言わないかわりに、年下の鈴木や開米栄三には当たり散らしており、鈴木は手塚に殴られたり、突き飛ばされたりしたという別冊映画秘宝 初代ゴジラ研究読本(洋泉社MOOK 別冊映画秘宝) 鈴木儀雄インタビュー P197。
次作品『ゴジラの逆襲』では、ゴジラの敵怪獣のアンギラス役を演じた。ゴジラ役の中島は、大阪府中之島を舞台とした格闘シーンの撮影で着ぐるみに入った手塚の首根っこを捕まえた際、普段は大部屋で頭の上がらない親分格の手塚とあって、つい力が入ってしまったかもしれないと述懐している。
その後も中島の補助役として数々の怪獣役を演じており、『大怪獣バラン』でバラン役を演じた際にはプールでの撮影の際に照明の電源ボックスが水中に落ち、感電してしまったことがある。
1960年代半ば以降、出演作品は確認されていない。着ぐるみ俳優としては、『モスラ対ゴジラ』を最後に中島のサポートに徹していたとされる。
詳細情報
年度別打撃成績
秋 | 大東京 | 3 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | 0 | -- | 0 | -- | 0 | 2 | -- | .000 | .000 | .000 | .000 |
春 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | 0 | -- | 0 | -- | 0 | 0 | -- | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:2年 | 5 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | 0 | -- | 0 | -- | 0 | 2 | -- | .000 | .000 | .000 | .000 |
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背番号
- 9 (1936年)
出演作
映画
- 太平洋の鷲(1953年 本多猪四郎監督):航空参謀
- ゴジラシリーズ
- ゴジラ(1954年 本多猪四郎監督):ゴジラ、新聞社デスク
- ゴジラの逆襲(1955年 小田基義監督):アンギラス
- キングコング対ゴジラ(1962年 本多猪四郎監督):ゴジラ
- モスラ対ゴジラ(1964年 本多猪四郎監督):ゴジラ
- 三大怪獣 地球最大の決戦(1964年 本多猪四郎監督):ゴジラ
- 不滅の熱球(1955年 鈴木英夫監督):審判員
- 夫婦善哉(1955年 豊田四郎監督)
- 囚人船(1956年 稲垣浩監督):操舵
- 空の大怪獣 ラドン(1956年 本多猪四郎監督):ホテル支配人、メガヌロン
- 大番(1957年 千葉泰樹監督)
- 地球防衛軍(1957年 本多猪四郎監督):モゲラ、村人
- 恐怖の弾痕(1957年 高田繁明監督):客
- 大怪獣バラン(1958年 本多猪四郎監督):バラン
- 美女と液体人間(1958年 本多猪四郎):漁夫(船員)
- 鉄腕投手 稲尾物語(1959年 本多猪四郎監督):球団トレーナー・吉川
- 戦国群盗伝(1959年)
- 日本誕生(1959年 稲垣浩監督) - 大伴の兵
- 宇宙大戦争(1959年 本多猪四郎監督):海将
- ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年 松林宗恵監督):
- 大坂城物語(1961年 稲垣浩監督):大野主馬
- モスラ(1961年 本多猪四郎監督) :モスラ幼虫、カメラマン
- 妖星ゴラス(1962年 本多猪四郎監督):マグマ
- どぶろくの辰(1962年)
- 太平洋の翼(1963年 松林宗恵監督)
- マタンゴ(1963年 本多猪四郎監督):視察団
- 海底軍艦(1963年 本多猪四郎監督):防衛庁幹部E
- 青島要塞爆撃命令 (1963年 古澤憲吾監督):
- 太平洋奇跡の作戦 キスカ(1965年 丸山誠治監督):秋雲艦長
- けものみち(1965年 須川栄三監督):深見
- ひき逃げ(1966年 成瀬巳喜男監督)
- クレージーだよ奇想天外(1966年 坪島孝監督):与党議員
- 社長シリーズ
- 社長千一夜(1967年 松林宗恵監督):会社幹部B
- 続・社長千一夜(1967年 松林宗恵監督):観光事業関係者B
注釈
出典
出典(リンク)
参考文献
- 洋泉社MOOK 別冊映画秘宝(洋泉社)
関連項目
- 松竹ロビンスの選手一覧
- 専修大学の人物一覧
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/11/04 12:05 UTC (変更履歴)
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