友永詔三 : ウィキペディア(Wikipedia)
友永詔三(ともなが あきみつ、1944年〈昭和19年〉12月8日 - )は、日本の造型作家である。1979年4月2日から1982年3月19日までNHK総合テレビで放送された人形劇『プリンプリン物語』の人形美術を担当したことで知られる。 2002年に川越祭(川越氷川祭、国の重要無形文化財)の仙波町の山車人形仙波二郎安家の人形を制作。
経歴
1944年、高知県高岡郡窪川町(現四万十町)に生まれる。
高知県立須崎工業高等学校、専門学校東京デザイナー学院インテリアデザイン科を経て1967年に東宝舞台美術部に入社する。同年、オーストラリアの人形劇団『Peter Scriven's Tintookies』(参考 )のオーディションに合格。人形デザインの勉強に専念するため東宝舞台を退社し、翌1968年にはオーストラリアに渡る。1970年までオーストラリアでピーター・スクリベン、イゴール・ヒチカ(Igor Hyczka、ロシア、マリオネット美術家)に師事する。
帰国後、東京デザイナー学院の講師を務めながら、芸術マリオネット劇の上演、美術、演出、人形制作に携わる。
1978年にNHKより人形劇演出のオーディションの誘いがあり、これを受けて採用が決定。『プリンプリン物語』で採用された人形には、関節部分が球体となった球体関節人形があり、操演の難度は高いものの動作の自由度が高く、幅広い表現が可能であった。その後番組終了まで約500体以上の人形を製作した。
その後も、人形美術、舞台美術、木版画、木彫、ブロンズ像などの作品を数多く手がけ活躍を続けている。国内の美術館などでは定期的に個展が開催されている。
現在はあきる野市にある深沢ちいさな美術館を経営しながら了徳寺大学芸術学部非常勤講師を勤めている。
エピソード
- プリンセス・プリンプリンは古代インドのラーマーヤナが元であるため、インドで装飾具や生地を購入していた。装飾には本物の銀を使用し、まつ毛は天然のホロホロ鳥の羽など素材にこだわった結果、1体作るのに100万円近くしたという。当時は今までにないビジュアルだったため開始当初は「肌の露出が多すぎる」「白髪すぎる」と視聴者からクレームがきたことがあったが、それとは逆に人気が出たという。
- 友永は当時高価だったVHSビデオデッキを約30万円で購入し、制作した人形が『プリンプリン物語』でどう映るかを確認するためにほぼ全ての回を録画していた。NHKは元々残していたマスターテープが215回分(第1回と第443回~第656回)しかなかったため、2003年4月8日放送時(再放送2日目)のお詫び回で312回分の映像を提供した結果、保存のなかった132回分がアーカイブスに登録されている。友永自身は全部録っていたと発言していたが、実際は録画を何度か忘れたり部分欠落があったり、最後の1年分は元々保存があったため、132回分の提供となった。以下、寄贈分詳細(第2回~第90回、第99回、第108回、第141回、第155回、第174回、第175回、第176回、第177回、第178回、第179回、第180回、第181回、第222回、第265回、第278回、第290回、第291回、第293回、第294回、 第308回、第309回、第310回、第311回、第312回、第313回、第314回、第315回、第316回、第317回、第321回、第342回、第393回、第394回、第395回、第396回、第397回、第404回、第405回、第406回、第407回、第408回、第409回、第410回、第411回)。※313、314、315、316、317、394、395、396、408、411は欠落部分あり 「復活!プリンプリン物語〜伝説の人形劇“ここがスゴイ!”~」(BSプレミアム、2017年6月28日放送分)、連載コラム「お宝発見ニュース」第19回 「探検バクモン」裏話(?)そして『プリンプリン物語』
代表作品
- 人形芸術
- 『プリンプリン物語』
- ブロンズ像
- 道の駅あぐり窪川 - モニュメント『あぐりーな』
- 木彫
- シルバーハイツ谷保 (国立市) - 木彫彩色レリーフ『春の詩』
- 書籍
- :*
- 『NHK連続人形劇 プリンプリン物語 メモリアル・ガイドブック』ISBN 4309274072
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/10/15 04:58 UTC (変更履歴)
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.