植草信和 : ウィキペディア(Wikipedia)

植草 信和(うえくさ のぶかず、1949年〈昭和24年〉 - )は、日本の編集者。映画雑誌『キネマ旬報』の元編集長。

略歴

千葉県市川市生まれ。1970年(昭和45年)2月にキネマ旬報社に入社。1991年(平成3年)に映画雑誌『キネマ旬報』の編集長に就任。退社後の2006年に映画製作・配給会社「太秦株式会社」を設立、現在は非常勤顧問植草信和〈コラムニストプロフィール〉 - 朝日新聞出版|AERA dot. (アエラドット) - 朝日新聞出版AERA dot.。

人物

1969年東洋大学文学部3年の時に「大好きな映画を見て、あこがれの編集の仕事もできる」と、キネマ旬報社でアルバイトを始める。正社員になることを誘われたため、大学を中退し入社した。当時は「良くも悪くも白井佳夫氏の個人商店」で、「僕を含めて、二十代前半の4人だけが編集者。経営的にも苦しかった」という。読者プレゼントの切手代さえ払えず、提供先の映画会社に出してもらったこともあった産経新聞1994年(平成5年)7月10日朝刊 出版ほっとらいん キネマ旬報社「キネマ旬報」編集長・植草信和さん。

白井、黒井和男の個性の強い2人の後任編集長として、没個性にならないよう気を付けながらも「第一義的には良い雑誌を作ること。編集長は裏方に徹し」「批評性と記録性を重視」しながらも「作品や業界の記録は編集者が努力すればできるが、批評性は良い書き手がいなくては保てない」として、「ビビッドな感覚で、作品に負けない批評を書ける映画評論家を多く育てる方針」を掲げて、若手に書かせるページを割いた。結果的に白井の編集方針に似るのだが、「僕は白井さんの門下生。似てくるのは仕方ない」としている。

産経新聞によるインタビューの際、一番好きな映画を尋ねられて「(日活の青春映画を見て育ったため)石原裕次郎や吉永小百合が好きだった。いなか育ちだから、あの都会的な雰囲気にあこがれたと思う。『キネ旬』編集長のイメージと違うけれど」と答えている。

著書

  • 『高倉健 望郷の詩』(芳賀書店、1982年)
  • 『石原裕次郎 そしてその仲間』(芳賀書店、1983年)

共著

  • 『[証言] 日中映画興亡史』(玉腰辰己・坂口英明・共著、蒼蒼社、2013年)

編集

  • 『キネマ旬報 臨時増刊 世界映画オールタイム・ベストテン(キネマ旬報社、1995年)
  • 『押井守全仕事 「うる星やつら」から「攻殻機動隊」まで』(キネマ旬報社、1996年)
  • 『キネ旬ムック フィルムメーカーズ(1)リュック・ベッソン』(竹内正年・著、キネマ旬報社、1997年)
  • 『キネ旬ムック フィルムメーカーズ(2)北野武 TAKESHI KITANO』(淀川長治 ・著、キネマ旬報社、1998年)
  • 『キネ旬ムック フィルムメーカーズ(3)クエンティン・タランティーノ』(土橋寿男・著、キネマ旬報社、1998年)

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2020/08/21 13:33 UTC (変更履歴
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