中野理惠 : ウィキペディア(Wikipedia)

中野 理惠(なかの りえ、1950年 - )は、日本の映画プロデューサー、出版プロデューサー、映画ディストリビューター、フェミニスト。株式会社パンドラ代表取締役。

略歴

静岡県伊豆生まれ。1972年大学卒業後、大手建築会社に就職、のち外国映画の輸入・配給会社であるフランス映画社に13年間勤務。

1970年代後半より女性解放運動(ウーマン・リブ)に参画する。反性暴力のテーマを中心として映画の自主上映の活動ののち、1987年に株式会社パンドラ(パンドラカンパニー)を設立。パンドラは、映画、ビデオの製作、輸入・配給、出版を行う。

出版プロデューサーとしては、オリジナル健康手帳「月日ノオト」を1986年発行の1987年版から1999年発行の2000年版まで毎年改良しながら発行し、その経験に基づき「東京女おたすけ本」「東京ママおたすけ本~お母さんが元気に働く本」「東京おんなおたすけ本partⅡ」を手掛ける。書籍では「セックス・ワーク 性産業に携わる女性たちの声」「夫・恋人の暴力から自由になるために」や、1970年代ウーマン・リブ運動の古典いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論」の復刊、世界初の映画監督・アリス・ギイの評伝「私は銀幕のアリス 映画草創期の女性監督アリス・ギイの自伝」やレニ・リーフェンシュタールの評伝「美の魔力 レニ・リーフェンシュタールの真実」など、他に類書のないテーマの本を手掛ける。

映画配給では新人を好んでバックアップし河瀨直美ジェーン・カンピオンカロリーヌ・リンク、などの女性監督が世に出るきっかけつくり、2002年に視覚障がい者が映画を見る機会を日本で初めて実現させている。また、ロシアの映画監督・アレクサンドル・ソクーロフについては、初期作品『ロシアン・エレジー』でその才能を高く評価し、以後、『エルミタージュ幻想』『チェチェンへ アレクサンドラの旅』を始め数多くの監督作を配給している。映画製作ではドキュメンタリー映画『アイ・コンタクト もう1つのなでしこジャパン ろう者女子サッカー』などの作品に共同プロデューサーとして関わっている。

2018年、これまでの仕事人生を綴った著書「すきな映画を仕事にして」を発行。

2019年、長編ドキュメンタリー映画『この星は、私の星じゃない』にプロデューサー、配給担当として参加。

著書

単著

共著

訳書

外部リンク

オンライン・アーティクル

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/03/24 08:30 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「中野理惠」の人物情報へ