アヌーク・エーメ : ウィキペディア(Wikipedia)
アヌーク・エーメ (アヌーク・エメ、アヌーク・エメー:Anouk Aimée 発音例, 本名: Françoise Sorya Dreyfus, 1932年4月27日 - 2024年6月18日) は、フランス出身の女優。
70年以上のキャリアを誇る、欧州を代表する女優の一人。欧米各国で各賞を獲得するなど国際的にも高く支持され、「映画史上最もセクシーな女優の一人」とも評された。晩年期まで各地で名誉賞を受賞した。
来歴
1932年4月27日、パリで生まれた。両親はともにユダヤ系の舞台俳優(コメディ俳優)Flitterman-Lewis, Sandy. "Anouk Aimée", Jewish Women: A Comprehensive Historical Encyclopedia 。パリ9区のミルトン通り小学校に通っていたが、ユダヤ人迫害が激しくなってきたので、両親により送られたアキテーヌ地方のコニャック近郊バルブジュー=サン=ティレールで育った。ナチス・ドイツによるフランス占領期には、黄色の星を胸に身に付けるのを避ける為、母親の姓"デュラン"を名乗った。モルジヌの寄宿学校 (パンショナ, Pensionnat学校まで遠方の子供、育児放棄された子供らを主な対象とし、また男女別・共学問わずこの種の修道院が行う寄宿学校はパンシオナといい、アンテルナ (Internat) 同様、英語圏でいうボーディングスクールに相当。1905年政教分離法により宗教教育は廃止された。) に入り、この頃ロジェ・ヴァディムとも知り合ったMichel Ciment et Olivier Curchod, « Entretien avec Anouk Aimée : Au cinéma, je suis chez moi », ポジティフ « 60 ans de comédiens », no 617-618, 2012年7-8月号。
1947年、14歳の時にパリでその美貌からスカウトされ、アンリ・カレフ監督の『密会 (La Maison sous la mer) 』(1947年) に出演し、女優としてデビューした。その際、この作品の役名"アヌーク"を彼女が芸名に用いた。続いて、お蔵入りし未発表作品となったデビュー2作目 『La Fleur de l'âge 』(1947年) において、1作目から脚本で関わっていた詩人ジャック・プレヴェールが、芸名に"エーメ"を付け加えることを提案した。高校課程にあたるリセ課程はイギリスで学び、さらに演劇学校に通った。
1958年の『モンパルナスの灯』ではアメデオ・モディリアーニの妻ジャンヌ・エビュテルヌを演じ、その美貌で世界的な人気を博した。その後、フェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』(1960年)や『8 1/2』(1963年)やジャック・ドゥミ監督の『ローラ』(1961年)などに出演した。
1966年、クロード・ルルーシュ監督の『男と女』でヒロインを演じ、ゴールデングローブ賞「主演女優賞」と英国アカデミー賞「外国女優賞」を受賞し、「アカデミー主演女優賞」にもノミネートされた。
1980年には『Salto nel vuoto』でカンヌ国際映画祭「女優賞」を受賞した。
晩年期に入ると、2002年 セザール賞「名誉賞」、2003年 ベルリン国際映画祭「金熊名誉賞」などの各名誉賞を受賞している。
2024年6月18日朝、パリの自宅で死去。。
私生活
1949年にエドゥアール・ツィンマーマン(Edouard Zimmermann)と結婚したが、翌1950年に離婚。1951年にギリシャの映画監督ニコ・パパタキスと結婚して一子を授かったが、1955年に離婚。
その後、『男と女』で共演したフランスの音楽家・俳優のピエール・バルーと1966年に結婚したが、3年後の1969年に離婚。翌1970年にイギリスの俳優アルバート・フィニー(1974年の映画『オリエント急行殺人事件』の主役エルキュール・ポワロ役)と結婚したが、1978年に離婚した。
ギャラリー
Marcello Mastroianni et Anouk Aimée.jpg|『甘い生活』(1960年) Un-homme-et-une-femme-1.png|『男と女』(1966年) JUSTINE (1969) - Flickr - BudCat14-Ross.jpg|『アレキサンドリア物語』(1969年)
主な出演作品
公開年 | 邦題 原題 | 役名 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1947 | 密会La Maison sous la mer | アヌーク | ||
1949 | 火の接吻 Les Amants de Vérone | ジョージア | ||
1950 | 黄金の竜 Golden Salamander | アンナ | ||
1952 | 汽車を見送る男The Man Who Watched Trains Go By | ジャンヌ | ||
1953 | 恋ざんげ Le Rideau cramoisi | 中篇映画 | ||
ニーナ Nina | ニーナ | |||
1957 | 奥様にご用心 Pot-Bouille | マリー | ||
1958 | モンパルナスの灯 Les Amants de Montparnasse | ジャンヌ・エビュテルヌ | ||
1959 | 旅 | The Journey | エヴァ | |
1959 | 今晩おひま?Les Dagueurs | ジャンヌ | ||
1960 | 甘い生活 La Dolce Vita | マダレーナ | ||
1961 | ローラ Lola | ローラ/セシル | ||
1962 | ソドムとゴモラ Sodome et Gomorrhe | クイーン・ベラ | ||
1963 | 史上最大の喜劇 地上最笑の作戦 Il giorno più corto | |||
8 1/2 8½ | ルイーズ・アンセルミ | |||
太陽は傷だらけLes Grands Chemins | アンヌ | |||
1966 | 男と女 Un homme et une femme | アンヌ | 第24回ゴールデングローブ賞主演女優賞 (ドラマ部門) 受賞英国アカデミー賞最優秀外国女優賞 受賞 | |
1968 | イヴ・モンタンの深夜列車Un soir, un train | アンヌ | ||
1969 | 約束The Appointment | カーラ | ||
アレキサンドリア物語Justine | ||||
1976 | 愛よもう一度 Si c'était à refaire | サラ・ゴードン | ||
1981 | ある愚か者の悲劇La tragedia di un uomo ridicolo | バーバラ | ||
1986 | 男と女II Un Homme et une femme : vingt ans déjà | アンヌ | ||
1993 | 小悪魔とキッスRupture(s) | |||
メランコリー Les Marmottes | フランソワ | |||
1994 | プレタポルテ Prêt-à-Porter | シモーヌ・ローヴェンタル | ||
百一夜 Les cent et une nuits de Simon Cinéma | ||||
1995 | リュミエールの子供たちLes enfants de Lumiere | |||
世界で一番好きな人 Dis moi oui… | クレア | |||
1996 | 男と女、嘘つきな関係 Hommes、femmes : Mode d'emploi | 未亡人 | ||
1998 | GO! GO! L.A. L.A. without a map | 本人役 | クレジットなし | |
2001 | カンヌ 愛と欲望の都 Festival in cannes | ミリー・マルカン | ||
2003 | フレンチなしあわせのみつけ方 Ils se marièrent et eurent beaucoup d'enfants | ヴァンサンの母親 | ||
2019 | 男と女 人生最良の日々 Les Plus Belles Années d'une vie | アンヌ | ||
外部リンク
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