フランク・ジョンソン : ウィキペディア(Wikipedia)

フランク・ハーバート・ジョンソン(Frank Herbert Johnsonhttps://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=johnso003fra、1942年7月22日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州エルパソ出身の元プロ野球選手(三塁手、一塁手、外野手)。右投右打。

来歴・人物

アメリカ合衆国のテキサス州エルパソで生まれ、を経て、1961年から米マイナーリーグでプレー。

1966年にサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下AAA級ので打率.308、15本塁打を打って、初めてメジャーに昇格し、終盤の15試合に出場する。1968年は67試合に出場するも、投手優位の年であったこともあり、打率.190、1本塁打に終わる。1970年はAAA級フェニックスで打率.353を打つと、さらにメジャーでも67試合に出場し、打率.273、31打点のキャリアハイを記録した。

春のキャンプでNPBのロッテ・オリオンズからジャイアンツに野球留学のために渡米していた浜浦徹に、ジャイアンツ首脳陣が目を付けてロッテに譲渡を打診する。ロッテ側は交換トレードなら応じると回答したことから、ジョンソン対浜浦の史上初となる日米間のトレードが成立した。当時は、日米間のトレードに関する取り決めがなかったことから、2選手を一度、自由契約とし改めて契約する形にしたという。なお、ジョンソンに関しては、どのような選手かロッテ側にほとんど情報がなかったとされる週刊ベースボールONLINE|野球コラム 米球界に挑戦する浜浦徹、高橋重行の事情/週べ回顧1972年編

ロッテでは、ヤクルトに放出したアルト・ロペスの後釜として期待されたが、パワー不足が目立った上に、肝心の打率も伸びず、打率.232、13本塁打の平凡な成績に終わり、1年で退団した『決定版日本プロ野球外国人選手大鑑』102頁。

アメリカへ帰国後は、AAA級フェニックス・ジャイアンツやでプレーし、1975年限りで引退した。

詳細情報

年度別打撃成績

SFG1535322700070011020070.219.265.219.483
811103300030000010021.300.364.300.664
67188174113320138710101221233.190.246.218.464
710102100010000000011.100.100.100.200
6718416125441235831112019321812.273.357.360.717
3253494410055000130091.082.132.102.234
ロッテ101340298316980131163928243402607.232.314.389.704
MLB:6年196481436479242411243224137536018.211.277.257.537
NPB:1年101340298316980131163928243402607.232.314.389.704

記録

NPB
  • 初出場・初先発出場:1972年4月8日、対近鉄バファローズ1回戦(東京スタジアム)、2番・右翼手で先発出場
  • 初本塁打:1972年4月16日、対南海ホークス2回戦(大阪球場)、7回表に野崎恒男からソロ

背番号

  • 3 (1972年)

参考文献

  • 『決定版日本プロ野球外国人選手大鑑 (BBmook―スポーツシリーズ 224)』ベースボールマガジン社、2002年

関連項目

  • 千葉ロッテマリーンズの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/07/17 11:57 UTC (変更履歴
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