メキシコの人気俳優。舞台演出家の父と、女優の母の間に生まれ、3歳で初舞台を踏む。14歳でTVドラマに初出演。22歳の時に米国に渡り、英語を習得しながらオーディションを受けるが、なかなか芽が出ずメキシコに戻る。「'Til Death(英題)」(94)で、メキシコのアカデミー賞にあたるアリエル賞の主演男優賞を受賞するほか、「Sex, Shame and Tears(英題)」がヒットするなど、メキシコでスターの地位を築く。41歳で再び米国に渡り、スティーブン・ソダーバーグ監督の「チェ」2部作(08)で、キューバ革命の指導者フィデル・カストロ役に抜擢される。ロサンゼルスを舞台にした「A Better Life(原題)」(11/クリス・ワイツ監督)では、男手ひとつで10代の息子を育てる、メキシコ出身の不法滞在者を演じ、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。オリバー・ストーン監督作「Savages(原題)」(12)にも出演している。
父親がニュースキャスター、TVホストとして有名なニック・クルーニー、祖母がローズ・マリー・クルーニーというショウビズ一家に育つ。ノーザン・ケンタッキー大学に籍を置き、大リーグ、シンシナティ・レッズのテストを受けるも合格ならず、82年に俳優を目指しロサンゼルスへ。TVを中心に活躍し、87年「ハイスクールはゾンビテリア」で映画デビュー。94年から始まった大ヒットTVシリーズ「ER」のダグラス・ロス医師役でブレイクし、95年「フロム・ダスク・ティル・ドーン」でトップスターに。以降、「アウト・オブ・サイト」(98)で組んだスティーブン・ソダーバーグ監督とプロダクションを設立するなど、プロデューサーとしても活躍し、「コンフェッション」(02)で監督デビューを果たす。「シリアナ」(05)でアカデミー助演男優賞を受賞した。
フランス・パリでコメディアンとして活動を始める。90年代後半に旗揚げした劇団「Nous C Nous」のメンバーとともにTV番組に出演し、フランス国内で知名度をあげる。99年から個人で活動するようになり、シットコム「Un gars une fille(原題)」(~03)では出演のほか、数エピソードで脚本にも携わる。「Ah! Si j'etais riche(原題)」(02/英題:「If I Were a Rich Man」)で長編映画デビューし、その後、スター俳優として人気を博す。ミシェル・アザナビシウス監督作「OSS 117 私を愛したカフェオーレ」(06)で、フランスのアカデミー賞にあたるセザール賞の主演男優賞にノミネートされた。アザナビシウス監督と3度目のタッグとなる「アーティスト」(11)で、カンヌ国際映画祭の主演男優賞を受賞して国際的に注目を集める。日本では「ブルー・レクイエム」(04)が劇場公開された。
ロンドンの演劇学校を卒業後、地方の劇団に入り、様々な舞台に立つ。映画デビューは86年の「シド・アンド・ナンシー」で、パンクバンド、セックス・ピストルズのシド・ビシャスを演じた。90年代より舞台をハリウッドに移し、オリバー・ストーン監督の「JFK」、フランシス・F・コッポラ監督の「ドラキュラ」、「フィフス・エレメント」や「エアフォース・ワン」といったハリウッドの大作に出演する傍ら、98年には「ニル・バイ・マウス」で監督業に進出し、批評家に絶賛された。最近では「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」(04)と「バットマン・ビギンズ」(05)に出演している。
オクラホマ州で生まれ、ミズーリ州で育った。大学卒業を目前にロサンゼルスに移住しグラフィックデザインの勉強をしていたが、演劇の道を選びロイ・ロンドンに学ぶ。TV出演を経て、89年に映画デビュー。「テルマ&ルイーズ」(91)で脚光を浴び、「リバー・ランズ・スルー・イット」(92)、「トゥルー・ロマンス」(93)で頭角を現し、「セブン」(95)、「ファイト・クラブ」(99)で幅広い層のファンを獲得する。「12モンキーズ」(95)でアカデミー助演男優賞、「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」(08)で同主演男優賞にノミネートされた。自身の製作会社プランBエンターテインメントでプロデューサー業にも力を入れている。私生活では05年に女優のジェニファー・アニストンとの約5年間の結婚生活に終止符を打ち、「Mr.&Mrs.スミス」(05)で共演したアンジェリーナ・ジョリーとパートナー関係にある。