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【二村ヒトシコラム】恋愛やセックスや結婚を、しちゃう人であっても、しないと決めている人であっても、それらの現象と感情について考える面白い映画 「オスロ、3つの愛の風景」

2025年9月14日 17:00

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「LOVE」の一場面
「LOVE」の一場面
(C)Motlys

作家でAV監督の二村ヒトシさんが、恋愛、セックスを描く映画を読み解くコラムです。今回は、特集「オスロ、3つの愛の風景」として上映中、今年の第75回ベルリン国際映画祭にて、ノルウェー映画として初めて最高賞の金熊賞を受賞したダーグ・ヨハン・ハウゲルード監督が、オスロを舞台に「恋」「愛」「性」にまつわる3つの風景をつづる3作「LOVE」「SEX」「DREAMS」を取り上げます。

※今回のコラムは本作のネタバレとなる記述があります。

ノルウェーの首都オスロの街で、一人の監督(ダーグ・ヨハン・ハウゲルード)が連続的に撮影・制作した三本の劇映画が、日本でも公開されます。ストーリーが繋がっているわけではなく、それぞれ単独で鑑賞しても大丈夫です。

三本とも、現代の地球上のどこの街でも、どこの街に住む人の心のなかでも起こりえるかもしれない普通の現象、つまり恋や愛や恋愛やセックスと、それらによって起きた事件、それにともなう奇妙な自分の感情について、登場人物たちが語りあう映画です。恋や恋愛やセックスや結婚を、しちゃう人であっても、しないと決めている人であっても、それらの現象と感情について「これは一体どういうことなんだろう?」と考えるのが好きな人であれば、きっと面白いでしょう。

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▼マッチングアプリでの出会いを描く「LOVE

LOVE」では、恋ではなく愛のはじまりについて考えさせられる出来事がおきます。たとえば、あなたは「いきずりの恋」、あるいはマッチングアプリによってはじまった恋愛と、共通の友人を介して出会った人との恋愛では、どちらが自分にフィットしていると感じますか?

そして、遠くない将来に(あるいは今現在)加齢その他の理由で、恋愛もセックスもできなくなってるという恐怖はありますか?

画像8(C)Motlys

ある大病院に勤める泌尿器科の女医は、日々「自分はもう一生、勃起できない体になるのかも」という可能性と向かい合わざるをえない前立腺の癌の患者さんたちの治療をしています。彼女自身も妙齢で、独身で子供もいません。知り合いのホームパーティーで紹介された男性(独身で子持ち)のことが気になりますが、彼とセックスしたいのか、したくないのか、つきあいたいのか、はたまた結婚したいのか、自分の感情が自分でもさっぱりわかりません。

(余談ですが、こういうとき、だいたい両者を知ってる周囲は無責任に「つきあっちゃいなよ」とか言いますね。まれに「紹介しちゃって悪かった。もう好きになっちゃってるんだと思うから今さらだけど、あいつだけはやめとけ」と言われる場合もありますが)
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彼女と同じ病院に勤務する若いゲイの看護師は、仕事が終わるとマッチングアプリで楽しんでいます。アプリで壮年男性と知り合いますが、その後その男性が精神科医であり、自分たちが務める病院で手術を受ける患者でもあったことを偶然、知ります。

(これまた余談ですが、出会いアプリを使っていて、あるいは風俗店にお客として行ったり働いたりしていて既知の人物、たとえば家族とかを発見してしまった気まずさを体験したことがあるかたはおられますか?)
(さらに余談で愛ともセックスとも関係ないですが、この映画で描かれる医療従事者たちのなんとなく対等な関係を見ていて、看護師は医師の助手や部下なわけではない、それぞれ職能がちがうのだということを思いました)
▼「SEX」同性から性的対象として見られたら…

SEX」は「男であるとはどういうことなのか」を考えさせられる映画です。妻もいて子供もいて、ずっと自分はゲイでもなく性別違和も感じない「ふつうの」男だと認識して生きてきた二人の男が、自分の中から突き上げてきた何か(それが欲望なのかどうかすら、よくわからないのですが)を味わってみた結果、自分が男であるのか自信を持てなくなってくる。

画像3(C)Motlys

二人の男の職業が煙突掃除夫(ブルーカラーではありますが仕事着もオフィスもおしゃれ。そういうのが北欧の映画っぽい)、つまり、おっ立っているモノの詰まりをきれいにする仕事であるというのが、象徴的かつ洒落が効いているなと思いました。寓話的でもあります。

二人のうち一人は「デヴィッド・ボウイから性的な目で見られる」という不思議な夢を見たのでした。夢ですから現実に何かが起きたわけではありませんが、夢の中での自分の感情はクッキリと覚えていました。彼はそのとき、とまどいましたが、いやではなかったのです。ゲイではない男性は普通に生きていたら、女性からであっても男性からであっても、性的な目でジロジロ見られるという経験はあまりありません。

ほとんどの女性は、男性から性的な品定めをされた経験があるでしょう。多くの女性は、好きでもない男性から性的な目でジロジロ見られたり外見の価値を値踏みされたりすることは、いやでしょう。

ある種の女性が、社会の中での女性の性的役割だとされているものにときどきうんざりするのは、女性として生きている以上そこから逃れることができないからかもしれません。そして、もしかしたら男性として生きている人間の中には、その役割(その中に、みだりに性的な目で見られたり、受け身のセックスをすることも含まれます)をやってみたいと無意識下では欲望している人が意外と多いのかもしれません。(その欲望を自覚した男性は、女装をしたりマゾヒストになったりするのかもしれません)

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二人のうちのもう一人は、仕事中にゲイの男性からセックスに誘われ、無理やりされたわけではなく、なにか事情があって断れなかったわけでもなく、なんとなく、ふと、それに同意してしまったともう一人に話します。やってみて、挿れられる瞬間ちょっとだけ痛かったようですが、全然いやではなかったというのです。

でも、それが癖になってゲイになったかというと、そんなことはなくて、悪くはない体験でしたが、別にもうやらなくともいいやとも思いました。これは現実に起きたことですが、まるで夢の中の出来事のようです。そしてもう一人がデヴィッド・ボウイの夢の話を自分にしてくれたのと同じように、まったく罪悪感なくその体験を妻に話してしまいます。ところが妻は深く傷ついてしまいます。

これは映画を観ていて僕がそう思っただけですが、もしかしたら我々「男」は、自分が「男である、だから性的な対象にされることもない」という夢を見ながら生きているだけなのかもしれませんね。しかし、その夢は周囲の人を巻き込んでいるわけで。

▼恋とは、夢なのではないか?「DREAMS

DREAMS」は女子高生ヨハンネ(あ、監督と同じような名だ)が主人公。彼女は、理屈ばかり言っている同年代の男の子たちが好きになれません。そして学校に赴任してきた女性教師ヨハンナ(また同じような名だ)に、つまり恋をしてはいけないことになってる相手に恋をしてしまいます。憧れたのではなく「推し」にしたのでもなく、恋をしてしまったのです。

画像5(C)Motlys

この三本の映画、いま僕が紹介した順に、もし日本語で漢字一文字でタイトルをつけるなら「愛」「性」そして「夢」ではなくて「恋」ということになるでしょう。さっき僕は、役割としての性別(生物学的性別ではなく、いわゆるジェンダー)や「具体的な性行為そのもの」も人間によって夢見られているだけなのかもしれないと、おかしなことを書きましたけれど、原題「DREAMS」とつけた人はこの映画で「恋は夢なのではないか?」ということを考えたかったのかもしれません。「ジェンダーは夢だ」よりも「恋することは夢だ」に同意する人のほうが多いんじゃないでしょうか。

恋愛は二人の人の間で起きることですが、恋は一人の人の心の中でだけ起きることです。恋をするというのは、誰かを他の人と区別あるいは差別して、特別に好きになることであり、その人を自分の「もの」にしたくなるということではないでしょうか。相手の都合は関係ないのです。

だとすると恋とは、いいことなんでしょうか。夜に眠って見ている夢のように自己完結している恋なら、つまり自分の中だけに大切にしまってある片思いであれば、そんなに危険ではないでしょう。しかし、思いが現実で伝えられてしまい、それなのに相思相愛にならなかった恋は、おそろしい夢です。

おそろしいですけれど、この映画の中では、映画でよくあるような「恋やセックスがきっかけで起きる、ドラマチックで悲劇的ないし喜劇的な大事件」は起きません。三部作すべてにおいてそうですが、起きる事件は登場人物にとっては深刻ですが、それは彼らが自分の愛について性について考えるきっかけになります。

画像6(C)Motlys

DREAMS」では女子高生ヨハンネのことを心配していた彼女の母も祖母も、いつの間にか自分の愛について性について考え始めてしまいます。そして、そのことについて他の登場人物と対話せざるをえなくなります。「LOVE」でも「SEX」でも同じようなことになります。

この三作の映画は、だから事件を描いた映画ではなく、対話の内容を描いた映画だといえます。対話といっても息が詰まるような、相手を追い詰めるようなシビアな討論ではありません。重要な問題について彼らは、なんとなく話をします。そして今までの人生で考えたことがなかったようなことを、それぞれが考え始めます。

こういう出来事がないと(あるいは、こういう映画を観でもしないと)人間は、なかなか自分の性や愛や恋や性的な夢について、ちゃんと他人と話して、自分自身が変化する方向に考えるということができませんよね。一人で頭の中で悩みつづけるという不毛なことは、みんな結構してるのでしょうけど。

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