【「我が心の香港 映画監督アン・ホイ」評論】浮沈の激しい香港映画界を果敢に生き延びてきた名監督の秘密が垣間見えてくる
2021年11月6日 18:00

1970年代末期に現出した香港ニューウェーブを牽引した代表的なフィルムメイカー、アン・ホイの刺激に満ちた一代記とも呼ぶべきドキュメンタリーである。同時代にデビューしたほとんどの映画監督たちが、もはや引退同然の不遇をかこっているのに、なぜ彼女だけがエネルギッシュに新作を撮り続けていられるのか。この映画を見ると、その秘密の一端が垣間見えてくるようだ。
全篇にわたって映し出されるアン・ホイの人懐っこい飛びきりの笑顔が印象的だが、その豪放磊落な語りを通して、常に国家、民族といったさまざまな境界線を行き来する、漂泊者としての彼女の生の軌跡が浮かび上がってくるのである。抗日戦争のさなか、中国人の父、日本人の母のもとに中国本土で生を受け、幼少期をマカオで過ごし、5歳の時に香港に移住する。香港大学ではシェイクスピアを暗唱するほどの文学的な素養を身に着け、ロンドンの映画学校で学んだ後、武侠映画の巨匠キン・フーの助監督を務める。アン・ホイの映画的キャリアにおいて、この最初期のキン・フーとの僥倖ともいうべき出会いは決定的なものだったのではないだろうか。
「映画は私の妻か夫で、文学は私の愛人なのよ」とアン・ホイは語っているが、たしかに彼女の映画にはキン・フー以来の伝統ともいうべき、文人的な深い教養ときわめて映画的な閃きとのうるわしい共存が見られる。それは、たとえば、「客途秋恨」(90年)、「黄金時代」(14年)のような自伝的な色合いの濃い作品にも、移民問題に鋭いメスを入れた「望郷/ボート・ピープル」(82年)のような社会派的なメッセージ性の強い作品にも等しく見いだされる美点といえるだろう。
その一方で、アン・ホイは娯楽奉仕の構えに徹したホラー映画や他愛ないコメディも平気で撮り上げてしまうバランス感覚も併せ持っている。そうした妥協と柔軟性に富んだ映画作りを積み重ねることによって、アン・ホイは浮沈の激しい香港映画界を果敢に生き延びてきたのである。
アート派の巨匠ホウ・シャオシェンやジャ・ジャンクーからも、そしてツイ・ハークやアンディ・ラウのようなジャンル映画のヒーローからも、アン・ホイが手放しで称賛されるのは、まさに、その作家主義と商業主義のはざまで、見事に折り合いをつけ、自己の個性を貫き通した不屈の精神に他ならない。
しかし、今や、香港映画界は、合作か莫大な中国市場に依存しなくては、映画作りは不可能といわれるほどに困難を極めている。ラスト近く、新作のキャンペーンで中国本土の映画館を駆け回るアン・ホイが時折、見せる疲弊し切った表情がひときわ印象に残るのは、香港映画の行く末がそこに暗示されているからかもしれない。
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