ある閉ざされた雪の山荘でのレビュー・感想・評価
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そして、誰もいなくならない(笑)
とある別荘に集められた若者たち。
実は劇団の俳優達で、4日間過ごす中で起きる出来事に上手く立ち振る舞わなくては、つまりこれが次回公演のオーディションになっているのである…
結論から言うと、交通事故で下半身不随になった看板女優を主演にするために作られた設定・ストーリー……ってオチです。
なるほどとは思いましたが、起点となる本筋には直接絡まない中条あやみさんと岡山天音さんにも、何らかの伏線を張って登場人物たる必然性を感じさせて欲しかったです。
カーテンコールの後かスタッフロール後に凄い大オチが来るかもと少し期待してましたが、何も起こりませんでした(笑)
イマイチ
脚本が駄目だと思います。東野圭吾さんも言っていましたが、演技するのが難しい話だと思います。そう思って見ると、演技は素晴らしい完成度でした。
ただ脚本がイマイチ。なぜ麻倉があの家にいたのかが分からないし(映像と音声だけで完結するなら家にいる必要はない)、女性が男性を振り払ってもあんな吹っ飛ぶわけないし、歩き電話して交通事故にあったのは本人の過失なのに他人のせいにしてるのは人として終わってるし(おまけに誰も指摘せずそれが正論扱いされてるし)。もう少しあるけど、それは自分が見逃しただけの可能性もあるので言わないでおきます。
原作にあった伏線がなくなってたり、犯行の動機がほぼ逆恨みになってたり、色々とダメな作品。
原作が完璧過ぎたのかと思います。
消化不良起こした
途中までは推理小説のように楽しめたが、ラストの畳み掛けが弱すぎて白けました。
久我が犯人と思わせて、とか、麻倉の無念を!とか王道だけど好きだったのに、「え?これはどういうこと?」「なんでそんな発言したの?」「動機弱くない?」など一番大切な部分が引っ掛かる点が多すぎて気が散りました。
ミステリーなら、一番そこはスッキリさせてほしいし、そもそも殺意が足りなすぎる。
謝られて、「生きてほしい」「また一緒に芝居しよう」で許すなら最初から行動に移さないでしょ、て思う。
あと、天才女優というほど上手くないな……てなった。
という舞台のお話でした、でもつまらなすぎる。
ラストの解答部分さえなければ、そこそこ面白い映画で終われたのに残念。
特典確認し忘れていたな、と思って確認して「白ける~!久我、脚本書きなおせ~!」てなりました。
もう一度観たい
原作未読で鑑賞しました。
あらすじ、設定、人物紹介等は把握して観たのですが、まずは俳優さん達の演技に嘘くささがあると成り立たないので、自然に見せつつ違和感みたいな物も感じるように演じられていて、単純にすごいな、と思いました。
途中違和感を感じつつ、起きた事柄に注視していたので、謎解きされた後に、その時の視線や動きはどうだったのか、を答え合わせしたくなりました。
密室の作り方も、本当に閉ざされている訳では無いのに、出る事が出来ない状況を作り出していて、そこから既に手中にあったのか、と単純に閉じ込めている密室とは違う面白さがありました。
ラストも、これは全てが演劇だったのか、現実に起こった事を舞台に落とし込んだのかを曖昧にしているようにも感じ、人によって違う感想を持つのだろうな、と思いました。
人同士の関係性が、事件の度に浮き彫りになったり変化したりするのも、もう一度観ると更に分かりやすく感じ取れそうです。
次は原作を読んでから、鑑賞する予定なので、更に違う視点で観られるかな、と思っています。
う〜ん、微妙
東野圭吾さんは僕の大好きな作家先生のひとりです。
前にも書いた記憶がありますが文庫版はほとんど揃えました。(ごめんなさい、ブックオフで)ただ持っていながらこの作品は未読でした。
これまた前に書いた記憶がありますが東野圭吾さんの映像化作品は僕にとっては両極端の感想を持つことがほとんどでした。
めちゃんこ面白いか全然面白くないか。そこそこ面白い作品にはあまり出会えてません。例えば『ガリレオシリーズ』や『加賀恭一郎シリーズ』『マスカレードシリーズ』は前者で、単発作品もドラマ化されたものも映画化作品もワクワク感がたまりません。一方『ラプラスのなんとか』や『パラレルワールドなんとか』は後者でした。原作は間違いなく面白いので何が悪かったのかいつも悩みます。
そんななか今回は東野圭吾作品では珍しいそこそこの作品でした。若手俳優さんたちの奮闘に支えられているのか全然面白くないこともないですがめちゃんこ面白くもないというのが率直な感想です。
麻倉雅美(森川葵さん)の鬼気迫る演技も印象的でしたが奥村組CMのおちゃめな奥村くみ役の方が好きですね。(西日本ローカルかな?)
色々な作品で欠かせない名脇役、岡山天音さん、戸塚純貴さんも頑張ってましたし、洗濯愛してる会の間宮祥太朗さんも(今回は白いヘアバンドしてませんでしたが)重要な役どころでした。演技は悪くないのですが主役の重岡大毅さんの謎解きは眠りの小五郎(江戸川コナン)を見習ってテンポアップしてほしかったですね。
公開初日なのでまだまだレビューが少ないですが、これからみなさんのレビューを楽しみにしています。
せっかくの出演者たちがもったいない
登場人物が一人ひとり姿を消していく密室劇だが、そもそも、犯人が誰かを推理させるような作りにはなっていないので、ミステリーとしては、まったく盛り上がらない。
新進気鋭の若手俳優を集めている割に、それぞれのキャラクターに魅力が感じられないのは、物足りないとしか言いようがない。
空間が限定された、いかにも演劇的な物語なのに、時々挿入される、部屋の見取り図を俯瞰するような演劇的な演出が、まったく効果を上げていないのも、どうしたものかと思えてしまう。
やがて、事件の動機が明らかになるのだが、姿を消した3人は、首謀者を励ましに行った「良い人たち」だし、首謀者が事故にあったのは必ずしも3人のせいではないので、その動機が単なる「逆恨み」にしか思えない。
そこで、3重構造の事件のカラクリを説明されても、もともと人を殺すほどの動機には思えなかったので、何の驚きも感じないし、むしろ「そりゃそうだろう」と納得してしまった。
それにしても、なぜ、1人だけ劇団に所属していない人間が招集されたのか、その理由が最後まで分からなかった。
首謀者が、部外者である彼をわざわざ事件現場に呼ぶことに、必然性があったとは思えないし、結局、彼の推理によって事件の真相を暴かれてしまったのは、間が抜けているとしか思えない。
百歩譲って、彼を招集する必要があったのだとしても、犯人が万全を期すのであれば、あらかじめ彼に計画を打ち明けて、共犯関係に引き込むべきではなかったのではないか?
あるいは、何も知らなかったと思われる他の2人(終盤は、完全に「蚊帳の外」状態!)にしても、最初から共犯者に仕立てておけば、すべてが上手くいったのではないか?
周到なように見えて、実は穴だらけの犯人の計画が、お粗末に思えて仕方がないのである。
いずれにしても、一番最後に、首謀者が車椅子から立ち上がって、「実は、この物語は4重構造で、今までのことは、すべて舞台の上で演じられたフィクションです」みたいな、身も蓋もないオチにしなかったことだけは、せめてもの救いであるが・・・
自分なりの考察(推理好きの方の意見も沢山みたい)
原作、パンフレット未読での考察。
あくまでも、ノンフィクションは麻倉雅美がオーディションをしている所を久我が客席から見ている所だけ。他は全部舞台。
オーディションの麻倉雅美のすごさに感化した久我は、麻倉雅美が主演となる脚本を作り上げた。それがある閉ざされた雪の山荘で。
だから、初っ端からの突っ込みたくなる場面は、舞台ならではなのかなと。リアルとしたい映画ならバスに他の客はいないの?目隠しで乗り込むのとかあり?とか突っ込みたくなるから。あくまでも舞台演出。
そして、私は実は田所と貴子も本田からタネ明かしをされていて、この2人には知らない程で演じろと言っていたのではないかと(死体はないのに井戸での2人の大袈裟な演技、スムーズな部屋決め、最後に雨宮をぬいて3人で過ごしたのもこれなら納得できる)
つまりは、雅美を騙すための演技を残り全員でやっていた。もちろん、作った久我も。
これだと結構すんなりするかなと。
所々での間取りの映像、山荘の外観などの場面は、舞台でのセット切り替えを意味してるんだと考えた。BGMもついてまさにそれっぽい。
靴がキレイにされ、いなくなると同時にくつもなくなるのは、あくまでもアガサ・クリスティのそして誰もいなくなったにもかぶせ、見てる観客に今の現状をみせる久我なりの演出だったのではと。(だって、内容的にあまり関係なかったし)
本田と久我のハートができてた場面、山荘の外での雪山遭難場面、最後の嘘という字は…ということろは、観客に笑いを入れたい。ここも久我の演出だったのかなと。
結局、雅美の足は?の所は実際は怪我をしてない、と結論づけた。カーテンコール1度目はよくその役のまま挨拶にでる事も多いから。何より、公開初日3日間に配られたネタバレカード。あれ、麻倉雅美が他のメンバーと同様に椅子に座ってるのよ。しかも、肘掛なしの普通の椅子に、手は前に組んで、姿勢も良くて。下半身不随ならあんな座り方できないなず。
本田が久我にありがとうと言ったのは、いまいちピンとしてない。久我作の舞台が完成した事に対してのありがとうなのかなと。ただ、これじゃ軽いかな?ここが、スッキリしない点。
本当に何度もみたくなり、その都度、考察が更新されるスルメ映画。さすが東野圭吾作品と満点。こういうの大好き。
役者が役者を演じる、とよくプロモーションで言ってたけど、重岡大毅が久我を演じるということでなく、久我という役者が、さらに舞台で久我という演技をしたということかな。
あ~、推理好きの人の考察読み倒したい。
前半は楽しいのに…
特に出演者ファンではないミステリー好きです。
ラスト30分を除くとエンタメミステリー映画としてワクワクしたし、序盤で見える展開予想をひっくり返してくれるかも?!という期待すらしてしまうくらい楽しく観ていました。
…が、謎解きパートで大失速。結果的に「面白くなかった」という感想になってしまいました。。
キャスティングされた俳優の序列から黒幕はほぼ二択に絞られて、案の定そのうちの一人が犯人。
その動機もまた、設定段階で透けて見える予想通り。
ものすごーーーく丁寧に、且つ、テンポの悪い謎解き説明にどんどん冷めていく。
無理のあるトリックに拍子抜け。
久我があの場にいる理由への説明ゼロの不自然さ。
終始オーバーアクト・一辺倒の演技に違和感ゴリゴリ。
殺人動機に共感できないので乗り切れない。(そりゃ一つのキッカケではあるけど逆恨みでは)
殺したいほど憎んでたのに、なぜか和解。
真面目に観てはいけないのかもですが、前半楽しかったので凄く残念でした。。
ワイスピ 記録達成⁉︎
目隠しをしたまま乗ったバスを降りたのは、海岸沿いのバス停。そこから徒歩で別荘に着く。閉ざされた雪どころか、山荘ですらない。映画のタイトルと全く違う。今から行われるオーディション合宿のあくまで設定。
普通なら交通も遮断され孤立した山荘で事件が起こるのだが、違反したらオーディション失格という、逃げることか可能なのに逃げない俳優たちの物語。
以降 ネタバレあります。
でも異様なオーディション。トップの演出家がいない。監視カメラからのリモート指示。
次々と人がいなくなり、殺人をも匂わす残された映像。そんな状況、殺人鬼がいるかもしれないのに、逃げることが可能なのに、何よりも優先されるオーディションって何なんだ。
そんな状況下でも選ばれたい主役の地位。異常な人間関係。なんか昨今起きている何かの事件を示唆してしまう。
残された人は捜査っぽいことはするが何も分からず4日間が終了。見ている人に今まで提示された内容から推理してもらう意図はない。
以降 より核心に触れる内容があります。
劇団に所属していたが今は車イスの女性。今の状況に挫折する。その原因に劇団員が関係する。でも悪質な電話にいくら動揺していたとしても、事故の直接的な原因は彼女本人ともいえる。
事実を知る共犯者は機転を利かせ、最初から仕込んでいた。計画は計画だけなら罪にはならない。そして今回の出来事が舞台化されて映画は幕となる。
さらに現実世界でも舞台化される。でもキャストは変わる。今回の映画と同じキャストでも見たい。
…………
後半のみ出演だけの森川葵さん。今まであまり俳優として印象なかったが(スミマセン)、熱演すごかった。彼女森川葵はやっぱり「ワイスピ森川」だわ。新たなる記録達成というより、記憶に残った作品となった。
結末の捉え方によって評価を変えたい
観た方は、2種類の結末を想像するかと思います。
予告でも猜疑心を煽ることをめちゃくちゃ流していたので、俳優目当てでない限り、色々考えながら観たと思います。
(こっちだとしたら、個人的にめちゃくちゃ微妙です。
ただ、こっちで捉えている人が多いのかなって感じます。)
1つ目は、あの山荘で経験したことを元に、舞台化したという結末です。つまり、仲直りしましたよってことです。
自分を馬鹿にして下半身不随にしたヤツらとやってけるか?
用意周到な上で自分たちを殺そうとした人とやってけるか?ってまず思いました。
それに温子(堀田真由)は、下半身不随にしてしまった過去があるのにも関わらず、山荘であんな態度とるか!?って
後半の3人の謝罪も小学生同士の喧嘩のように軽くてバカバカしいし、探偵役の久我はモーションがとても大袈裟で演技が下手くそだなって思いました。
(私は、こっちで捉えたいです。)
2つ目は、物語の始まりからラストのカーテンコールまで全て舞台上の物語であったという結末です。
目隠ししてバスで運ばれて、山荘へ向かい、久我と会う~~~~が舞台での演技ということです。
だから、麻倉は下半身不随になってないし、麻倉と久我はもともと水滸劇団の人物ということです。
正直、こっちの方が断然腑に落ちます。カーテンコールでは映画を観ている我々も舞台の観客のようなアングルに意図的にしていたし、温子、田所が"普通"に見えました。
だから温子は性格悪くないし、田所が元村(西野七瀬)に付きまとうことも現実では無いって事ですね。舞台上のただの設定って訳です。
見取り図にみんなの配置を示す描写が度々ありましたが、舞台上にそれが示されていたと考えたら、納得できます。
作中では3重と言っていましたが、観ている私たちからしたら、4重ですね
ワクワクしないミステリー
特に驚きのない展開の映画だった。小説を読めば多少見方が変わるのかもしれないが、トリックに特に見所はなく、全体的にふーんって感じ。
まあ展開が早く、2時間はあっという間に感じたから、そこそこ作品にのめり込めてはいたのかも。そこまでおすすめはしないが、一緒に観に行った人と感想を交流しやすいくらいシンプルな作品ではあると思う。
舞台風?
演出なのか、難しいことはよくわかんないけど、舞台っぽい間取り図的なところは、なんか冷めるので私的にイマイチだったかなー、もうちょっとシリアスだと良かったけど、なんか学祭感というか、舞台感みたいなのが、ラストに繋げるため必要なんだろうけど、感情移入できなかったし、重岡君の役はキーマンだけど、最初から呼ばなきゃ良かったじゃん?!的な?なぜ彼が居たかもよくわからなかったし。まぁ、物語の説明役というか、展開していくのに絶対的に必要だけど、だけど〜みたいな?
なんか、残念な感じでした。
美しすぎる
原作は未読、テレビCM以外の事前情報は無しで鑑賞しました。
舞台のオーディションを隠れ蓑にした復讐劇。
閉鎖空間が舞台なので、映画館での鑑賞に向いている。
普通の青年役の重岡大毅は上手い、劇団員達との距離感と、探偵役として個人的に1番大事だと思っている声も良かった。
対峙する間宮との対比の相性も良い。
男性陣のバランスは良かった。
気になる事があったので、原作の登場人物について調べてみたが、女性陣は全員がきれい過ぎてそぐわないところが多々。
西野七瀬と堀田真由は良しとしても、森川葵があの役ではオーディションに落とされる理由が明確にはわからない(原作では才能はあるが容姿が…という設定)、中条あやみもあの役には華があり過ぎる。
男性陣は配役のバランスも良かっただけにそこが残念だった。
全体的に綺麗にまとまりすぎていて、惜しかったな…という印象でした。
※原作小説読み始めました。
閉ざされてはいない
東野圭吾先生は天才です。
作品は結構読んでいますが、本作は未読。店頭で目にした時には映画化の告知があったため、敢えて未読のままで映画の公開を待っていました。
リーフレットの先生のコメント。
「トリッキーな世界観が監督の手腕によって完璧に成立させられており、そこを舞台とする役者さんたちの演技も見事でした。口コミはネタバレなしでお願いします。」との事。
いやいや、先生褒めすぎじゃない?
むーーーん。。
でも、頑張ってネタバレなしで書いてみますよ。
さて、どうしたもんか。
脚本が残念なの?演出が空振ったの?
何だろう。。役者も悪くはなかったが、あまり引き込まれなかった。
このメンツだと特に、天音ちゃん、真由ちゃん、葵ちゃんのファンなので楽しみにしていたのですが。。うむ。。
まず、
キャラ設定が薄味過ぎてつまらない。
それぞれがどんな人物なのかの描写が足りない為、感情移入できるキャラが見当たりにくい。
個々のキャラが定まらないまま進むので、動機も納得出来かねるし、そもそも逆恨みなんでは?とか思っちゃった
(°▽°)
その後ごめんなさいで片付くなら最初から殺そうなんて思うなよぉ〜(°▽°)
ん?これはネタバレ?!
(やっぱり一応ネタバレありをポチッときます。先生ごめん!)
舞台の様な、部屋の見取り図の演出も効果的だったとも思えない。
そして私の中で1番大きかった違和感が、1人だけ部外者の彼。。
彼を入れた意図も、なぜ、彼なのかもよくわからない。
どこにそんなポテンシャルを秘めていたのか?!w
テンポが悪い説明的な謎解きが始まった終盤は、もうトドメを刺されてしまい「つまらん」ハンコを押しました。。
天音ちゃんの、自分で切ったんですか?!の独特過ぎる髪型!
でも似合っていて流石٩( ᐛ )وだと思ったのと、着ていたジャージに目が釘付けでした。
大好きな「ごめんね、青春」の重岡君、葵ちゃんコンビが観られたのは感慨深かったですw
劇団水滸って名前はカッコイ♪
(こんな劇団員の舞台、逆に観たいかもw)
密室でのミステリーやサスペンスは描くのが難しいですね。
「十二人の怒れる男」は完璧だったなぁ。。
ちょっと原作読んで補完しますねぇ。
東野圭吾作品なのに、この消化不良感は勿体ないので。。
マイナス面ばかりに気になってしまって切ないです( ; ; )
エンドロールで余韻も消し飛ぶが、それ以前に構造の穴が大きすぎる
2024.1.12 イオンシネマ京都桂川
2024年の日本映画(109分、G)
原作は東野圭吾の小説『ある閉ざされた雪の山荘で(1992年、講談社)』
ある別荘に集められた7人の劇団員が事件に巻き込まれる様子を描いたシチュエーションスリラー
物語の舞台は、関東の海沿いの某所(ロケ地は千葉県館山市)
そこにあるロッジ「Shiki Villa」にでは、劇団「水滸」の次回作のオーディションが行われることになっていた
集められたのは、劇団のリーダー・雨宮恭介(戸塚純貴)、劇団のトップ俳優・本多雄一(間宮祥太朗)、劇団に出資している会社の令嬢・元村由梨江(西野七瀬)、由梨江への恋愛感情を拗らせている田所義雄(岡山天音)、前回の演劇で公演直前に役を下された中西貴子(中条あゆみ)、劇団の主宰である東郷陣平(大塚明夫)との関係を噂される笠原温子(堀田真由)、そして、劇団員ではない俳優・久我和幸(重岡大毅)の7人だった
久我は前作のパンフを手に彼らを認知し、そこに名前がありながらも来ていない浅倉雅美(森川葵)のことを思い出していた
彼らは別荘に入り、それぞれの部屋に荷物を置く
レストランで働いている久我が調理を担当し、その助手に由梨江がついていた
それをよく思わない田所が因縁をつけるものの、それは劇団員にも疎まれている態度だった
その後、東郷からのルールの説明が遠隔で入り、「ある閉ざされた雪の山荘で」という次回作の「探偵役」をこのオーディションで決めることが告げられる
そして、この事件は連続殺人事件で、犯人に指名された人間から退場するという流れになっていた
翌朝、最初に姿を消したのは、ワガママで貴子とトラブル続きだった温子で、どうやらピアノを弾いていた際にヘッドホンのコードで首を絞められて殺されていたことがわかる
貴子は真っ先に犯人と疑われるものの、死体の移動ができるわけがないと反論する
外部犯、複数犯の可能性も出てきて、現場は疑心暗鬼で満たされていく
そして、2日目には由梨江が姿を消し、彼女の血痕がついたと思われる血まみれの花瓶がリビングで発見されるのであった
映画は、完全ネタバレにふれないと書けない部分があるので、以降は「映画の構造自体をネタバレした状態」で感想を展開する
なので、完全ネタバレを避けたい人は、こので読むのをやめてほしい
映画の率直な感想は「三重構造」の設定は良いが、その構造だと「久我があの場所にいる理由が放置されて終わっている」というものだった
映画は、いわゆる「劇中劇」となっていて、ラストでこの顛末を舞台化したことが判明する内容になっている
物語の構造としては、前回の理不尽に思える落選で劇団を辞める雅美を励まそうとした面子が怒りを買っているというもので、彼らの訪問の後に「雅美が事故に遭った」ということが描かれていた
雅美は彼らを殺したいほど憎んでいて、それを本多が実現させるように見せかけて、実は雅美を騙すほどの演技をしていた、となっている
なので、このオーディションはでっち上げで、ターゲット三人に加えて、カモフラージュで残りの2人が選ばれていることになる
そうなると、嘘のオーディションに部外者が呼ばれるという理由がわからず、本多が探偵役として久我を招き入れたという理由でもない限り、彼がその場にいるのは不自然に思える
このあたりが映画では完全にスルーされているので、劇中劇の構造になっている段階で部外者をどう絡ませるのかまで頭が回っていない状況になっているのではないだろうか
実際のオーディションに乗じてという線もなくはないが、後半で「雅美が書いた脚本を3人に渡している」ので、そうなると東郷と本多が雅美の再生のために結託していることになるが、その線を維持するのは相当難しいように思える
原作では明かされているとか、映画による改変が起こっているとかは言い訳に過ぎず、最もしっくり来るのは「ラストで雅美にネタバレをしないといけないが、あの二人は頭が悪くて無理なので、前回のオーディションで光っていた久我を招き入れた」というものだろう
そして、屋外での秘密の会話を通じて、今後のシナリオの再調整をして、探偵役としてスムーズなネタバラシをさせた、というのが本筋であるように思えた
いずれにせよ、原作ありきの作品だが、この構造の不和に原作者が気づいていないはずがないので、何らかの表記があるが、それを裏付けるものがあるのだと思う
むしろ「部外者」にせずに、新入りにしとけばこの構造になっても問題になっていないのだが、そうなるとどの段階で誰にネタバラシをさせるのか問題が浮上する
新入りの探偵能力など予知できるものではなく、どう考えても結託していないと話にならない
なので、その辺りをキチンと組み込んだ上で久我を配していれば、余計なことを考えずに済んだのではないか、と感じた
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