大いなる不在のレビュー・感想・評価
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イヨネスコの「瀕死の王」を少しばかりかじった方が理解が進むのかも知れません
2024.7.16 アップリンク京都
2024年の日本映画(133分、G)
認知症の父と再会を果たす疎遠の息子を描いたヒューマンドラマ
監督は近浦啓
脚本は近浦啓&熊野柱太
物語の舞台は、福岡県北九州市
舞台俳優として、次回作『瀕死の王』のワークショップを行っている卓(森山未來)のもとに、ある一本の電話が入った
それは疎遠の父・陽二(藤竜也)が逮捕されたというもので、卓は妻・夕希(真木よう子)と共に、指定された場所へと向かった
父は認知症が進行し、それによって警察沙汰になっていて、今では役所の主導によって、施設に入る事になっていた
職員(林真之介)から色々と聞かれるものの、卓は長い間会っておらず、何を答え決めれば良いのかわからなかった
その後、二人は父の家へと向かうのだが、そこにいるはずの妻・直美(原日出子)の姿はなく、電話をしても、携帯は父の家に置きっぱなしになっていた
卓は父の元を訪ねて直美のことを聞くと、彼は「自殺をした」という
だが、直美の息子・正彦(三浦誠己)は入院していると言い、その入院費について困っているという
卓はそれを工面すると答えるものの、直美がいるはずの病院にはすでにおらず、本当に入院していたのかもわからない
映画は、かなりややこしい親父が認知症になっていて、しかも再婚相手の直美は行方不明になっていた
また、なぜか父の家に直美の日記帳が置き忘れられていて、そこには父が直美に宛てた手紙がぎっしりと貼られていた
二人の間に何があってこうなったのかがわからないまま、卓は手がかりを追うことになったのである
物語は、卓と父との距離感が描かれていて、卓はずっと他人のように敬語を使っている
それが親子だった頃から続いていたのか、疎遠で別人のように思えるからそうしているのかはわからない
ただ、卓はそれを自然としていて、その関係性は最後まで変わることはなかった
映画には、イヨネスコの戯曲『瀕死の王』という劇が挿入され、卓は死期が近づいた強欲な王を演じている
さすがに劇のどの部分を演じたかまではわからないが、詳しい人ならピンと来るのかなと思う
かなりの引用が入っているので、物語としては関連性が高いのかも知れない
瀕死の王は、その死の際にも権力に固執し、自分が死ぬことを否定するのだが、それをやめさせようと多くのキャラクターが語りかけていく
そして、彼らの言葉を受け入れることで、その人物が一人ずつ消えてゆき、最後には言葉を失った王と最初の妻マルグリットだけが取り残される、という内容になっている
マルグリットが誰を差し示すのかは何とも言えないものの、そのままの解釈をすれば卓の後ろに見える捨てた妻ということになるのだろうか
いずれにせよ、かなり認知症が進んでいる役柄で、電波のようなものを受信しているかなり変わった父親という設定になっている
大学教授で博識なのだが、言葉を発しているのに通じていないというもどかしさがあった
これは、認知症だからということよりは、父が普通の人にわかる言葉で話せないという感じになっていて、直美はそれをうまく受け流してきたのだと思う
だが、直美も病気になり、その代わりを直美の妹・朋子(神野美鈴)がやってきたけど、さすがに無理という感じになって消えてしまったのだろう
そう言った意味において、最後まで父と会話が成り立つのは直美だけだと思うのだが、それは叶わぬものとなるのだろう
それが彼自身の行動による業なのかはわからないが、息子としては擬似的な直美役を演じることでしか、父を送り出せないのかな、と感じた
想いは手帳に。
認知症患った父陽二と、行方不明の義母直美と父と義母に何があったのかと調べだす息子の卓の話。
約30年疎遠だった父が警察に捕まったと知らせ受け会いに行くとそこは施設、5年前に陽二の住む家で会った時とは変わり果てた姿(認知症)に、その5年前に会った義母の直美の姿はなく行方不明となっていた…。
5年の間に何があったと調べ始めた卓だったけど父陽二に聞いても認知症を患ってるせいか話は噛み合わない、義母のホントの一人息子が現れては「母は入院してる」と言われ、入院先に行ってみたら入院してないと。
「直美さんに会わせて下さい」と卓が一人息子に言っても何か会わせたくなさそう、何かを隠したがる感じで謎めいて見せるけど。
とりあえず印象的だったのは父の話し方、ウンチク、屁理屈っぽい感じが聞いてて鬱陶しいって感じで一緒にいた直美も疲れちゃったんでしょうね、認知症も患っちゃうしで、…でも認知症患ってからの方が少し素直になった様に見えたかな。
妻直美を一途に愛してる想ってるは手帳に書かれてたので分かったけど、行方不明になった、自分の知らない場所へ行ってしまったが直美の答えですしね。
ラストの父への歩み寄りじゃないけれど「延命治療お願いします」は陽二との距離が少しだけ縮まったのかな。
個人の判断に委ねる
感受性豊かじゃないと今作品の良さは伝わらないかもしれない。正直、推察しかできないのでこういうことでは?ということを纏める。
インテリで頭が良いことを家庭でも誇張したがる主人公卓の学者だった父陽二は重度の認知症を患い施設に保護されていた。およそ5年ぶりに二人は会話をするのだが、陽二はいつもと変わらない頭の良さを見せつけるも言うことは支離滅裂だった。
卓が5年前に大河ドラマに出演することを報告に行った際には、相変わらず自分の知識ばかり押し付けることには変わりないが、そんな陽二を理解し接している再婚相手の直美はあたたかく卓を出迎えた。
劇中では陽二が認知症になる前と認知症になってからの姿がいったりきたり。
それで次第に答えとして見えたのはあれだけ陽二に従順だった直美がしびれを切らし家を出ていったシーンのとき。認知症の症状がかなり進行しており、直美ですら理解できないようになっていた。あれだけ車の運転を許さなかったのに、別れたい意思が伝わったのか陽二は直美の頰を優しく撫でてキーを渡した。
直美の息子の塩塚の狙いが何なのか。
卓に嘘をついてでも何を問い詰めたかったか?
直美の妹の朋子がなぜ姉の代わりに宅配弁当を継続的に手配したりしていたのかも謎である。階段から突き落とされているにも関わらず。
それがもし、離れて暮らすことを決意した直美の陽二に対する思いだとしたら?
ラストの満潮の長部田海床路に向かうシーンは直美の最期だったのかもしれない。直美は陽二が認知症だとわかってはいたが、自分ひとりでは対処しきれず悩んでいたのだろう。
直美の死を通して親族が陽二に対する溜まりに溜まった不満があったのかもしれない。
塩塚の狙いは多分入院費じゃなく慰謝料だったかも。陽二も直美もお互い結婚して子供がいるにも関わらず一緒になることを選択した。
卓は母親を捨てたことを陽二を許さなかったが塩塚の場合は例外だったのだろう。離れても親子の絆は断ち切らなかった、だから見返したい気持ちがあって卓の前に現れたのでは?一方の卓は陽二との関係が遠くなるにつれ疎遠となり、父陽二について訊ねられても答えられなくなっていた。
卓が最後に施設の職員に対して話した延命治療の話も、父を知り、父の直美に対する恋を理解し、許せるようになっていたのではないだろうか。
答えがわからん分推理するしかない。
父と息子の和解の物語とミステリアスな展開には引き込まれるが、ラストには納得することができない
理屈っぽくて、どこか浮き世離れしていて、あまり「お近づき」にはなりたくないような元大学教授を、藤竜也が好演している。
恩師のお別れの会で、弔辞を述べているはずなのに、いつの間にか自分のことを話しているところなどは、確かに、こういう老人っているよなぁと思わせる。
25年ぶりに再会した息子に対しても、自分が彼(息子)とその母親(元妻)を捨てたことを謝罪するでもなく、母親(元妻)がどうしているのかを尋ねるでもなく、逆に、息子を教え諭すような態度を取るのだが、この辺りも、「教育者の悪い癖」がよく出ていて、説得力がある。
ただ、そんな父親も、俳優をしている息子の記事をスクラップしていたり、再婚相手の息子の結婚式には参列しなかったりしていて、実の息子のことを気に掛けているらしいことが分かる。
やがて、認知症になった父親が、記憶が錯綜する中でも、息子のことを「たっくん」と呼んで、しっかりと認識し続けていたり、幼かった息子に酷い仕打ちをしたことを謝ったりするところから、息子に対する愛情が鮮明になっていくのだが、ここは、人の本性が露わになるという認知症の特徴が上手く活かされていると思う。
息子の方も、父親が再婚相手に宛てた手紙を読むことによって、彼(父親)が、自分(息子)と母親(元妻)を捨てた経緯を知るのだが、それは、自分自身が結婚をした、今だからこそ理解できることなのだろう。
そんな、長年離ればなれだった父と息子の和解の物語が本筋ではあるのだが、本作を引っ張るのは、あれだけ仲睦まじく暮らしていた父親の再婚相手が、どうして姿を消してしまったのか、あるいは、今、どこで何をしているのかという「謎」である。
再婚相手の息子が出てきて、真偽が定かではないようなことを話したり、再婚相手の妹が父親の世話をしていたらしいことが分かったりと、再婚相手の「不在」に関するミステリアスな展開にはグイグイと引き込まれる。
おそらく、最後に、彼女(父親の再婚相手)が父親(自分の夫)を捨てた理由や、誰とも会いたがらない理由が明らかになるのだろうと期待していると、そうしたオチは一切用意されておらず、完全に拍子抜けしてしまった。
だとすれば、彼女(父親の再婚相手)は、父親(自分の夫)が認知症になり、自分のことを認識できなくなったという理由だけで彼を捨てたということになるが、それでは、あまりにも薄情だと言わざるを得ないし、第一、無責任過ぎるのではないだろうか?
現実社会で、認知症になった伴侶を最後まで献身的に介護する人々の姿を実際に目にするにつけ、このラストには到底納得できないし、いったい何が言いたいのかも理解することができなかった。
皆その時の自分に正直に生きている
認知症になろうとならなかろうと
相手のことなんか実は最初から何も考えてない
ナオミだって家族を捨ててまで添い遂げようと思った人がボケて暴力的になったら即捨てて逃げるし
ボケた本人は家族のことなんかどうでもよかったし、ナオミのことも実は考えてない、その時の自分の思いだけ
息子も父親があんな状態なら本人は延命なんかしたくないだろうに延命治療しろという
その奥さんも、結婚の挨拶しない義父に、うちの親はそういうの気にしないんで、とかそんなわけないだろう
ナオミの日記をナオミの姉に届けるのも押し付けだし、姉もそれを黙って受け取り処分すればいいのに要らない、あなたが勝手に処分しろという
いや、あなたの妹がその男の父親を奪ったんだろう
その男の母親から夫を奪ったんだろう
その人にそんな態度が出来るのか
でも、それでいい
背負ってる重い重い荷物なんか捨ててしまえ
冒頭のアレの意味が分かった時に派手に笑ったお爺さんがいた
ああ、この人は周りに認知症になった人がいないまま老齢期を迎えたんだなと羨ましかった
私は苦しくなってしまったよ
まあ本人がもうボケてるのかもしれないけど
【”人間は大脳皮質だけの存在ではない。”今作は元大学教授が認知症に罹患しつつ、愛した女を本能的に想う姿と、父に捨てられた息子が父の生き方を追う重厚な物語である。藤竜也さんの演技が物凄い作品でもある。】
ー 結論から書くと今作はやや難解ではあるが、大変面白く琴線に響いた作品である。
認知症をテーマにした映画は近年大変に多いが、今作はアンソニー・ホプキンスが認知症になった知的だった男を演じた「ファーザー」を想起させる作品であった。-
■俳優の卓(タカシ:森山未來)は、ある日長年音信不通だった父の陽二(藤竜也)が警察に捕まったという連絡を受ける。
そして、卓は幼い時に自分と母を捨てた父が一緒になって暮らしていた女、直美(原日出子)と父と25年振りに会った日のことを思い出すのであった。
陽二と直美は仲睦まじく、相変わらず卓は陽二から俳優という不安定な仕事について意見されるが、直美は陽二のいない時に、テレビに出ている卓の番組を陽二が録画して観ている事を楽し気に告げるである。
だが、その後、陽二が事件を起こし、卓が5年振りに訪れた家には直美の姿は無かったのだ。そして、卓は妻夕希(真木よう子)の支えもあり、5年の間に父陽二と義母直美との間に何があったのか、調べて行くのであった。
◆感想
・今作は、時系列を行き来しつつ展開する、切なくも魅入られる骨太なヒューマンストーリーである。
■心に沁みたシーンは数々あれど、特に印象的だったシーンを記す。
1.陽二が卓が産まれた後に直美に出していた手紙の文章。
そこには、陽二の自身の決断の誤りを後悔する文と共に、直美に対する想いが切々と綴られているのである。
そして、その手紙は直美の日記に挟まれており、その手紙が切っ掛けで陽二と直美がお互いの家庭を捨て、一緒になった事が分かるのである。
だが、その後、認知症が進行しつつあった陽二は、直美がその手紙を読んだ時に激昂し、日記を投げ捨ててしまうのである。
又、直美がスーパーで倒れても、彼女の帰りを待たずに歩き去る陽二の背中を見る直美の哀し気な表情も切ない。
ー 直美が、悲しみの余りに家を出るきっかけになったシーンである。-
2.施設に入居した陽二を卓と夕希夫婦が訪れるシーン。陽二は口調も足取りも矍鑠としているが、話す内容は施設を牢獄と思い込んでいる。卓と夕希は呆然とする。
だが、そんな面会の中、陽二が語った言葉。
”卓は心根の優しい子でした。ですが、私はそんな彼に酷い事を言っていたのです。赦してくれますか・・。”卓は”覚えていないし、赦すよ。”と返すのである。
ー このシーンでは、認知症になって漸く赦しを求める陽二の姿が切なくも沁みる。そこには、大学教授としての厳格な姿はなく、人間としての善なる姿があったからである。-
3.陽二が認知症が進みつつも、恩師の女性を偲ぶ会で行った見事なスピーチのシーンで言った言葉。
”人間は大脳皮質だけの存在ではない。”
この台詞は、前後の展開と併せても、実に印象的であった。
4.それまで、直美には車を運転させなかった陽二が、直美に車のキーを渡すシーン。
ー きっと、陽二は直美は自分を置いて出て行く事を知りつつ、これ以上迷惑を掛けられないと思ったのだろう・・。ー
・卓が漸く直美が妹(神野美鈴)の元で暮らしている事を知り、妹が営む陶磁器の工房を訪れるシーン。直美の日記を妹に渡し、深く深く頭を下げる卓。陽二は義母の代わりに面倒を見ていた妹にも、誤って怪我をさせていた事が分かるシーンも、観ていて辛い。
■冒頭とラストで描かれるで卓が”瀕死の王”を演じるワークショップのシーン。ラストでは、卓は持ち物が散乱する中を徘徊するのである。まるで、父のように・・。
<今作は、作品構成が時系列を行き来しつつ陽二の元を何故に義母直美が去ったのかを探る卓の姿と、その中で浮かび上がる陽二が大脳皮質が壊れていく中でも、潜在意識で直美を愛する姿が心に沁みる、重くて深いヒューマンサスペンスドラマなのである。>
冒頭から何回も何回も
父親を見舞いに来る息子との会話のシーンがしつこく何度も繰り返しているので、映写機が故障したのかなと思った。
この繰り返しのシーンが上映時間の大半を占めていて、ようやくストーリーが進んだがその繰り返しのシーンが何か演出に関与した訳ではなく認知症の父親の頭の中のシーンだったかもしれないが、それにしても繰り返しが時間稼ぎ以外に役に立ったとは思えない。
父親の日記を手にして、息子が突然父親の心情をポエトリーリーディングするけど、どこの小劇団の演出だよ。聞いていて恥ずかしくなったよ。
全ての映画は完結する事になっているが、オチが弱い為に消化不良。この映画に金を払った事が勿体無くてしょうがない。この映画の上映料金で美味い定食を食った方がマシ。落語の寝床みたいに皆に料理を振る舞ってタダで見せるなら許せるがこれは金取って見せる代物じゃない。見なくていい映画。
エンドロールでスタッフ名が英語表記されているけど、まさかこれを海外でかける気ですか?日本の恥だからやめとけ。やめとけ。
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