大いなる不在のレビュー・感想・評価
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父と息子の和解の物語とミステリアスな展開には引き込まれるが、ラストには納得することができない
理屈っぽくて、どこか浮き世離れしていて、あまり「お近づき」にはなりたくないような元大学教授を、藤竜也が好演している。
恩師のお別れの会で、弔辞を述べているはずなのに、いつの間にか自分のことを話しているところなどは、確かに、こういう老人っているよなぁと思わせる。
25年ぶりに再会した息子に対しても、自分が彼(息子)とその母親(元妻)を捨てたことを謝罪するでもなく、母親(元妻)がどうしているのかを尋ねるでもなく、逆に、息子を教え諭すような態度を取るのだが、この辺りも、「教育者の悪い癖」がよく出ていて、説得力がある。
ただ、そんな父親も、俳優をしている息子の記事をスクラップしていたり、再婚相手の息子の結婚式には参列しなかったりしていて、実の息子のことを気に掛けているらしいことが分かる。
やがて、認知症になった父親が、記憶が錯綜する中でも、息子のことを「たっくん」と呼んで、しっかりと認識し続けていたり、幼かった息子に酷い仕打ちをしたことを謝ったりするところから、息子に対する愛情が鮮明になっていくのだが、ここは、人の本性が露わになるという認知症の特徴が上手く活かされていると思う。
息子の方も、父親が再婚相手に宛てた手紙を読むことによって、彼(父親)が、自分(息子)と母親(元妻)を捨てた経緯を知るのだが、それは、自分自身が結婚をした、今だからこそ理解できることなのだろう。
そんな、長年離ればなれだった父と息子の和解の物語が本筋ではあるのだが、本作を引っ張るのは、あれだけ仲睦まじく暮らしていた父親の再婚相手が、どうして姿を消してしまったのか、あるいは、今、どこで何をしているのかという「謎」である。
再婚相手の息子が出てきて、真偽が定かではないようなことを話したり、再婚相手の妹が父親の世話をしていたらしいことが分かったりと、再婚相手の「不在」に関するミステリアスな展開にはグイグイと引き込まれる。
おそらく、最後に、彼女(父親の再婚相手)が父親(自分の夫)を捨てた理由や、誰とも会いたがらない理由が明らかになるのだろうと期待していると、そうしたオチは一切用意されておらず、完全に拍子抜けしてしまった。
だとすれば、彼女(父親の再婚相手)は、父親(自分の夫)が認知症になり、自分のことを認識できなくなったという理由だけで彼を捨てたということになるが、それでは、あまりにも薄情だと言わざるを得ないし、第一、無責任過ぎるのではないだろうか?
現実社会で、認知症になった伴侶を最後まで献身的に介護する人々の姿を実際に目にするにつけ、このラストには到底納得できないし、いったい何が言いたいのかも理解することができなかった。
途中までは良いが
前半戦は面白く、興味深く観れたが、後半はグダグダで雰囲気映画の仕上がり。 直美の存在皮キーになるのだが、ただ出ていくだけで、そこに感情もなければ物語もない。出ていくのならそれなりに描かなくては何が映画か?なぜスタッフやキャストはスルーしていたのか不思議でしょうがない。 出ていくならちゃんと描かなくては、だから後半は雰囲気映画としてしか観れないし、ただ長いだけの映画。 これがストーリーを紡げる監督、脚本家であれば、感動作品になっただろう。
静かな演技が印象
教授、一流(?)の研究者でしかも熱烈に憧れた女性との結婚、完璧かつ充実した人生だったはずなのに、最初の妻との実子に対して父としての接し方にはどうだったのか?その時点ではまだ親とか父であることがよくわかっていなかったか。 認知症により記憶や思い出も消えていく、自分でつくった大恋愛のストーリーも自己作成されたものであって、病によりその実感も怪しくなっていく。 知識があって社会的地位が立派でも、人生の最終章近くでは、自分にとって本当に必要だったものがなんだったんだろうと本人が自覚しだしたかも。 (作り手がわの意図や思いとは違うかもしれないが)そんなことを思いながら、息子がそれまでの父が接した人たちに会って、父の人生をトレースしていく姿が立派で最後は感動。良い息子をもってよかったではないかー本当に大事なものが一番近いところにあることに早く気がつけばよかったのに 出演者の静かに抑制された演技がとてもよかった。
小さな欠損では
ノーラン監督のような時間軸をモザイクピースの様にランダムに入れ替え話が進む。 20年の思いを遂げるために父は義母となる直美に、純心で永遠の恋心を激白し、不倫の恋を成就する。 そしてその後30年ほど二人は再婚生活を営むが、二人だけの生活は二人が望むような幸福であったのだろうか? 直美に捨てられた子供が、母は家政婦のようにこき使われたと訴えていたが… 父の恋心は分かるが、義母の直美は何時も不安げで満たされていない顔に見える。 恋も結婚生活も二人の想いが見えないと真理に近づけない。 先妻の子供を虐めて手を上げるようなのだから後妻にも同じだろう。 そもそも不在ではなく、 何かが欠けていた不足感が残る。 (=´∀`) 大いなる不在 劇場公開日:2024年7月12日 133分 長編デビュー作「コンプリシティ 優しい共犯」がトロント、ベルリン、釜山などの国際映画祭に招待され高い評価を得た近浦啓監督の第2作。 森山未來が主演を務め、藤竜也と親子役で初共演を果たしたヒューマンサスペンス。 幼い頃に自分と母を捨てた父が事件を起こして警察に捕まった。 知らせを受けて久しぶりに父である陽二のもとを訪ねることになった卓(たかし)は、認知症で別人のように変わり果てた父と再会する。 さらに、卓にとっては義母になる、父の再婚相手である直美が行方をくらましていた。一体、彼らに何があったのか。 卓は、父と義母の生活を調べ始める。父の家に残されていた大量の手紙やメモ、そして父を知る人たちから聞く話を通して、卓は次第に父の人生をたどっていくことになるが……。 主人公・卓を森山未來が演じ、父・陽二役は「コンプリシティ 優しい共犯」でも近浦監督とタッグを組んだ藤竜也が務めた。 卓の理解者となる妻の夕希役は真木よう子、行方知れずの義母・直美役は原日出子。 第71回サン・セバスチャン国際映画祭のコンペティション部門で藤竜也がシルバー・シェル賞(最優秀俳優賞)を受賞。 第67回サンフランシスコ国際映画祭では最高賞のグローバル・ビジョンアワードを受賞。 大いなる不在 劇場公開日:2024年7月12日 133分
主のいない家
…父親の存在 幼い時父と別れ 久しぶりに施設で面会 そこにいた父は 認知症で別の世界のをもつ 教授だった父は何かと理屈っぽい ・・噛み合わない 父との会話に 息子の卓(森山未來)が話を合わせる 嫌いだった父だが… 母と別れてその後に結婚した 義理母の直美の日記に 父が直美に対し若い頃から 猛烈に好きだったことがわかった 父は手紙を書いていた それを直美は大事に 日記に張り付けてある 直美にとっては宝物だった 淡々と静かに物語は進んでいくが 痴呆の流れに沿って そうなる前の説明も明かされ 伏線もキレイに見事に回収され 深い脚本と演出に引き込まれていく 父の知らなかった過去に 触れていく時 父を嫌っていた自分が徐々に… 寄り添う気持ちにいつしか変わる 痴呆が進んでいく陽二 藤竜也さんの演技が見事でした 森山未來さんも自然に抑えた感じが 素晴らしかった 卓は 冒頭で延命治療はどうしますか と言われ答えられずにいたが… なるべく長く …生きられるようお願いします と言った言葉に父に対する想いは いままでの気持ちとは違う 想いが感じられた 余韻が… エンドロールの後まで 何故か 涙が…溢れた
悲しき虚構
相当ドラマチックに、しかもカッコ良く作られた作品ですが、その内情には悲しみしかありません。無自覚のうちに進んでいく認知症というものが、いかに悲しくて、その感覚が本人と周りの人ひとりひとりそれぞれにかなり乖離したものがあって、非常に難しいものだと改めて思い知らされました。仮に家族に─あるいは自分が─そうなった場合の備えとか対策なんていうものは、簡単には見つからないかもだし、軽はずみなことは言えないかも─。ただそうなったときの覚悟だけ・・・ 藤竜也が素晴らしかったです。見事に様々な虚構を演じきっていて、めちゃくちゃ悲哀に満ちていました。 認知症を題材にした作品にしちゃあちょっと筋道が違っているような印象をもたれかねないし、病としょうめんから向き合っていない気もしますが、その本質を見事についている気がしますし、まさにそれが本質だと言わんばかりの悲しき虚構でございました。
音楽と、様々な角度からのカメラーワークが秀逸
丁寧に作られた映画だと思いました。 皆さんの感想にもありましたが、俳優の皆さんの演技も素晴らしい(森山未来は、本当に長髪が似合う。)。 認知症だから、許せることもある。 認知症とはいえ、許せないこともある。 なんだかんだで、親子であろうと、そうでなかろうと、結局は相手を理解しようと思うこと、尊重すること、が大事なのかな、なんて、考えました。
皆その時の自分に正直に生きている
認知症になろうとならなかろうと
相手のことなんか実は最初から何も考えてない
ナオミだって家族を捨ててまで添い遂げようと思った人がボケて暴力的になったら即捨てて逃げるし
ボケた本人は家族のことなんかどうでもよかったし、ナオミのことも実は考えてない、その時の自分の思いだけ
息子も父親があんな状態なら本人は延命なんかしたくないだろうに延命治療しろという
その奥さんも、結婚の挨拶しない義父に、うちの親はそういうの気にしないんで、とかそんなわけないだろう
ナオミの日記をナオミの姉に届けるのも押し付けだし、姉もそれを黙って受け取り処分すればいいのに要らない、あなたが勝手に処分しろという
いや、あなたの妹がその男の父親を奪ったんだろう
その男の母親から夫を奪ったんだろう
その人にそんな態度が出来るのか
でも、それでいい
背負ってる重い重い荷物なんか捨ててしまえ
冒頭のアレの意味が分かった時に派手に笑ったお爺さんがいた
ああ、この人は周りに認知症になった人がいないまま老齢期を迎えたんだなと羨ましかった
私は苦しくなってしまったよ
まあ本人がもうボケてるのかもしれないけど
俳優陣の演技がすばらしい!
予告から、重厚なヒューマンドラマを期待して鑑賞してきました。確かな演技力を誇る俳優陣の渾身の演技に支えられて、見応えのある作品に仕上がっていました。 ストーリーは、幼い頃に家庭を捨てて以来疎遠となっていた父・陽二が事件を起こしたことを機に、久しぶりに父と再会することになった卓は、認知症が進んで変わり果てた父の姿に驚きつつも、5年前に父宅を訪問した際には仲よく一緒に暮らしていた再婚相手の直美がいなくなっていることが気にかかり、父宅に残されたおびただしい数のメモや手紙を手がかりに、父の歩んだ人生をたどっていくというもの。 冒頭で示される陽二の起こした事件と直美の失踪の謎を紐解いていくサスペンス要素のおかげで、物語にじわじわと引き込まれていきます。その中で紡がれる、認知症の父を取り巻くさまざまな人たちの思いが錯綜するヒューマンドラマが、観る者の心を揺さぶります。 中でも、長く疎遠だった父に今さら何の感情も湧かないといった感じの卓が、陽二との交流を通して、少しずつ心を開いていく様子が穏やかに沁みてきます。陽二は、幼き卓にとっては嫌悪の対象、5年前の再会時でさえ心の距離の縮まらない、血のつながった他人と映ったことでしょう。しかし、直美を一途に思い、認知症と戦い、過去の過ちの許しを請う姿に、今まで自分が嫌悪し続けた陽二の姿を重ねることができなかったのかもしれません。陽二が自分にした仕打ちを忘れたわけでも、許したわけでもないと思いますが、陽二の思いに触れ、一人の人間としてその生き方を尊重してあげたいと思い始めたのかもしれません。終盤、施設職員に向かって、できる限りの延命治療をしてやってほしいと望む卓の姿が心地よく沁みてきます。 一方で、理屈っぽく、こだわりが強く、少々頑固な陽二を、長年にわたって献身的に支え続けた直美には頭が下がります。互いの家庭を捨てるほどの大恋愛の末に結ばれたとはいえ、ただでさえ扱いにくい陽二に認知症が加わり、その心労はいかばかりだったでしょう。大切な日記を投げ捨てられ、倒れても置き去りにされ、それが認知症ゆえの行動であったと頭では理解できても、心はずたずたに引き裂かれたことでしょう。陽二のそばを離れ、それでも彼の身を案じて手を尽くす姿に胸を打たれます。とはいえ、最終的にはフェードアウトしてしまったように見えたのは疑問が残ります。妹から何か吹き込まれたのでしょうか。 認知症をテーマとして扱った作品では「ファーザー」が思い浮かびます。認知症老人の一人称視点から描かれ、頭が混乱したことをよく覚えています。しかし、本作はあくまで卓を中心とした周囲の人物の視点から描いています。それなのに、現在シーンと回想シーンが目まぐるしく入れ替わり、時系列もわかりにくかったのは残念です。もう少し整理されていれば、もっとしっかり理解できた気がします。とはいえ、認知症を取り巻く人々のヒューマンドラマとしては、強く伝わってくるものはありました。 主演は森山未來さんで、言葉を選びながら穏やかに語る中にも、心情の変化が読み取れる繊細な演技が秀逸です。脇を固めるのは、藤竜也さん、真木よう子さん、原日出子さん、三浦誠己さん、神野美鈴さんら。ベテラン俳優陣の確かな演技力が本作を支えているのですが、中でも藤竜也さんが圧巻!自身を保ち続けようと認知症に抗い、それでもなす術なく飲み込まれていく陽二を好演しています。
冒頭SAT出動で、ん?いきなりどうした⁇と思ったらドア開けた瞬間ス...
冒頭SAT出動で、ん?いきなりどうした⁇と思ったらドア開けた瞬間スーツ姿の渋い藤竜也が立ってて更にん⁇となりそして物語が始まりました。 予習ゼロだったので内容に色々戸惑いながらも最後まで考えさせられる作品でした。 多分皆さん、自分が認知症になったら、又親が認知症になったらどうしようと思ったとおもいます。 私は女性なので原日出子目線で考えてしまいましたが、悲しいですよね、やり切れない。 あの日記は二人の愛が溢れる程詰まってるんでしょうね、胸が熱くなりました。 イケおじ藤竜也、いくつになってもホントカッコいい!ラスト洗面所で手を濡らして髪をオールバックにした瞬間鳥肌が!!シビレましたー!
驚かされる意外な冒頭の掴み!
ポスター情報のみ、あらすじも読まないで鑑賞。 あらすじ知らないのに冒頭「え、思ってた感じと違うかも!どういう事???」って始まり方がなかなか衝撃的。 その衝撃の答えも最後まで見ればそういうことかーとなるので、見事な掴みだったと思う。 読み解きにくさはあるが、真実を知りたくなる展開、そして何より森山未來さん、藤竜也さんはじめ役者さんたちの演技が素晴らしかった。 「説教臭いあの感じ」 藤竜也さん演じる父陽二のあの悪い言い方をすれば老害的な話し方。 何かにつけ説教臭く、押し付けがましいあの感じ。 見てて嫌だなぁと思ってしまう自然なその嫌味っぷりが見事だった。見事過ぎでホント嫌だなぁって思えた。 「ケア施設」 ケア施設って入居の段階であんなこと聞かれるんだなぁ。 主人公卓の言い方は劇中でも「良くないよ」と言われる感じなのはわかるけど、 そんなん今聞かれてもわかんないよって気持ちはなんだかよく理解できる。 卓のやや高圧的な感じは父陽二の偉そうな感じに少し似ているような気もして、まぁ親子って事なのかな。 「認知症」 本人もしんどそうだし、周りもやっぱりしんどいよなぁ… 認知症というともっとボーッとしてるイメージがあったけど、あんなに話し方はしっかりしてるけど…って場合もあるんだなぁ。 あれだけ話せているのにうまくコミュニケーション取れないのもまたもどかしいだろうな… 「電話」 冒頭のシーンに繋がるきっかけとなるシーン。 電話の内容全ては映されないので何をどんなふうに伝えたのかわからないが、冒頭のシーンの感じからすると相当な事言ったんだろうなぁ… 何言ったらあんな事なんのよ… 「何を伝えたかったのか」 本作冒頭の掴みの良さもあり最後までそれこそ卓と同じように徐々に父を知っていく感じで最後まで観れてしまうのだけど、全体としてのメッセージがちょっと汲み取れなかった… 人の気持ちの複雑さを描いている作品で、そこにひとつのメッセージってのはないのかもしれないし、登場人物それぞれからのメッセージ性があったのかも知れない。 卓は劇中父に「許す(赦す?)も何もない」と言っていたけど自分があの家に不在出会った期間の父の人生を追う事で「人を赦す」事がメッセージだった気もするし、 直美には確かに愛があったと思うが、いつの間にか呪縛のようになってしまっていたようにも思えひとつの「解放」のようなメッセージもあったと思う。 本作の登場人物たちはある種全員自分勝手にも見えたし、思いやりがあるようにも見えた。 第三者から見てそんな行動酷いとか、そんな選択はないでしょとかは無意味なのかも知れない。 劇中セリフでもあるように「普通」ってのはなくて、みんなそれぞれ「特殊」という事なんだろう。 「大いなる不在」 会えない直美の存在、卓が父と一緒にいなかった、その期間の父という人柄そんな「不在」で出来上がったストーリーだったと思う。 たまに会いにいくけど自分も親元を離れての暮らしは長く、離れている期間の事なんて知る由もなくここでいう不在と言えるわけで、 こんなミステリーな展開でなくても、いつか親の人生の軌跡を辿る時が来るかも知れないと思いました。
日本版『ファーザー』
冒頭のシーンからサスペンスドラマを想像してしまったが、認知症に冒されていく父親とその息子、妻、それを取り巻く人々の心情の変化の物語。アンソニー・ホプキンスのファーザー、もしくは、ラッセル・クロウのビューティフル・マインドを思わせる展開。 福岡に8年住んでいた自分にとって、北九州と熊本の宇土市が舞台だったのも相まって、懐かしくも精神的にしんどい物語。 いちいち難解な言い回しを用いてプライドを誇示するめちゃくちゃめんどくさい父親なのにそれに苛立つのを抑える森山未來の演技、そして何よりそのめんどくさくも認知症にどんどん冒される姿を圧倒的なリアリティで演じた藤竜也の演技が凄まじい。 役者の演技で魅せる心理劇でした。 最後に、森山未來の舞台の演出と、熊本宇土市の御輿来海岸のメタファーは俺にはよくわかりませんでした笑
【”人間は大脳皮質だけの存在ではない。”今作は元大学教授が認知症に罹患しつつ、愛した女を本能的に想う姿と、父に捨てられた息子が父の生き方を追う重厚な物語である。藤竜也さんの演技が物凄い作品でもある。】
ー 結論から書くと今作はやや難解ではあるが、大変面白く琴線に響いた作品である。
認知症をテーマにした映画は近年大変に多いが、今作はアンソニー・ホプキンスが認知症になった知的だった男を演じた「ファーザー」を想起させる作品であった。-
■俳優の卓(タカシ:森山未來)は、ある日長年音信不通だった父の陽二(藤竜也)が警察に捕まったという連絡を受ける。
そして、卓は幼い時に自分と母を捨てた父が一緒になって暮らしていた女、直美(原日出子)と父と25年振りに会った日のことを思い出すのであった。
陽二と直美は仲睦まじく、相変わらず卓は陽二から俳優という不安定な仕事について意見されるが、直美は陽二のいない時に、テレビに出ている卓の番組を陽二が録画して観ている事を楽し気に告げるである。
だが、その後、陽二が事件を起こし、卓が5年振りに訪れた家には直美の姿は無かったのだ。そして、卓は妻夕希(真木よう子)の支えもあり、5年の間に父陽二と義母直美との間に何があったのか、調べて行くのであった。
◆感想
・今作は、時系列を行き来しつつ展開する、切なくも魅入られる骨太なヒューマンストーリーである。
■心に沁みたシーンは数々あれど、特に印象的だったシーンを記す。
1.陽二が卓が産まれた後に直美に出していた手紙の文章。
そこには、陽二の自身の決断の誤りを後悔する文と共に、直美に対する想いが切々と綴られているのである。
そして、その手紙は直美の日記に挟まれており、その手紙が切っ掛けで陽二と直美がお互いの家庭を捨て、一緒になった事が分かるのである。
だが、その後、認知症が進行しつつあった陽二は、直美がその手紙を読んだ時に激昂し、日記を投げ捨ててしまうのである。
又、直美がスーパーで倒れても、彼女の帰りを待たずに歩き去る陽二の背中を見る直美の哀し気な表情も切ない。
ー 直美が、悲しみの余りに家を出るきっかけになったシーンである。-
2.施設に入居した陽二を卓と夕希夫婦が訪れるシーン。陽二は口調も足取りも矍鑠としているが、話す内容は施設を牢獄と思い込んでいる。卓と夕希は呆然とする。
だが、そんな面会の中、陽二が語った言葉。
”卓は心根の優しい子でした。ですが、私はそんな彼に酷い事を言っていたのです。赦してくれますか・・。”卓は”覚えていないし、赦すよ。”と返すのである。
ー このシーンでは、認知症になって漸く赦しを求める陽二の姿が切なくも沁みる。そこには、大学教授としての厳格な姿はなく、人間としての善なる姿があったからである。-
3.陽二が認知症が進みつつも、恩師の女性を偲ぶ会で行った見事なスピーチのシーンで言った言葉。
”人間は大脳皮質だけの存在ではない。”
この台詞は、前後の展開と併せても、実に印象的であった。
4.それまで、直美には車を運転させなかった陽二が、直美に車のキーを渡すシーン。
ー きっと、陽二は直美は自分を置いて出て行く事を知りつつ、これ以上迷惑を掛けられないと思ったのだろう・・。ー
・卓が漸く直美が妹(神野美鈴)の元で暮らしている事を知り、妹が営む陶磁器の工房を訪れるシーン。直美の日記を妹に渡し、深く深く頭を下げる卓。陽二は義母の代わりに面倒を見ていた妹にも、誤って怪我をさせていた事が分かるシーンも、観ていて辛い。
■冒頭とラストで描かれるで卓が”瀕死の王”を演じるワークショップのシーン。ラストでは、卓は持ち物が散乱する中を徘徊するのである。まるで、父のように・・。
<今作は、作品構成が時系列を行き来しつつ陽二の元を何故に義母直美が去ったのかを探る卓の姿と、その中で浮かび上がる陽二が大脳皮質が壊れていく中でも、潜在意識で直美を愛する姿が心に沁みる、重くて深いヒューマンサスペンスドラマなのである。>
ミステリー仕立てに乗せられた
認知症がテーマ。藤竜也の演技、存在感はさすが。 見終わって頭の中を整理すると、それほどすごいストーリーではないのだけれど、冒頭のやや過剰なドッキリシーンと、その後のミステリー仕立てに乗せられ、集中して鑑賞。 森山の舞台稽古のシーンとか、全体にやや長過ぎるのが難。
おそろし2
「メイ・ディセンバー」に続きこちら。 真相が明らかになるにつれ、描き出される人倫をはみ出すほどの純愛と、それすらをかき消す認知症の恐怖… 認知症、怖いわ… そして藤竜也と原日出子が良い… 特に藤竜也はクドさと愛情と恐怖がね… しかし森山未來の出演作ではダンスだのモダンっぽい演劇だのがよく使われるが、全然要らないよね。本作では最後をそれで締めちゃって、伝わりづらくなってしまったと思う…
静かで深い
誰にでも起こりうる忘却と記憶の話。ラブストーリーでもあり、父と息子の歴史でもあり、(平板でも棒読みでもなく)言葉が美しく紡がれた作品だった。 息子役の卓(森山未來)の職業が俳優であることが生きていた。プライド高く相手を追い詰めるようなことを言う父親(藤竜也)、認知症になって妄想の世界に居ながら息子が小さい時のことを覚えている父。直美の日記とそこに挟まれていた若き父のラブレター、あちこちに散乱し貼られていた父のメモは卓にとっては台本と思うしかなかった。若き父の恋、記憶が混乱し認知症に入り込んだ父。両方とも卓にとって全く知らない父。それを淡々と受け入れるのは尋常なことではない。残された資料に忠実に向かい合って考える。そのプロセスは台本と俳優の関係のようだ。 映像では、鏡(玄関、施設のエレベーター、洗面所)の使い方がうまいなあとか、人物を真ん中に置かないで右(または左)の端っこにしているシーンが多くてそれでその人物の気持ちとかどんな所に居るのか、でも大事なのは人間だけじゃなくて物もなんだよ、と言っているようだった。 卓は父を「陽二さん」と名前で呼ぶ。何十年も会ってなければそうとしか言えないだろう。施設で父は息子に謝り許してくれと頼む。ピュアで本当に可愛い幼い息子に父は暴力をふるった、自分が批判されているように思えたから。息子は大丈夫だよと答えるが父の思いを受けて許すよと言う。息子は初めて「おとうさん」と父を呼んだ。そして自分のズボンベルトを外してゆるゆるの父親のベルトと交換してあげた。その間、父親は両手を挙げてなされるがまま。可笑しく哀しく涙がたくさん出た。 物理学研究者で元大学教授、内気で皮肉屋、理屈で相手を負かすことに喜びを感じる嫌な奴、ラジオ無線を愛する男、陽二。冒頭シーンの陽二の姿のかっこよさの仕掛けは最後にわかった。水で髪を濡らしてオールバック。鏡に映ったその顔は、三船敏郎であり山崎努でありながら藤竜也以外の何者でもなかった。いい邦画を見ると心が潤う。
冒頭から何回も何回も
父親を見舞いに来る息子との会話のシーンがしつこく何度も繰り返しているので、映写機が故障したのかなと思った。
この繰り返しのシーンが上映時間の大半を占めていて、ようやくストーリーが進んだがその繰り返しのシーンが何か演出に関与した訳ではなく認知症の父親の頭の中のシーンだったかもしれないが、それにしても繰り返しが時間稼ぎ以外に役に立ったとは思えない。
父親の日記を手にして、息子が突然父親の心情をポエトリーリーディングするけど、どこの小劇団の演出だよ。聞いていて恥ずかしくなったよ。
全ての映画は完結する事になっているが、オチが弱い為に消化不良。この映画に金を払った事が勿体無くてしょうがない。この映画の上映料金で美味い定食を食った方がマシ。落語の寝床みたいに皆に料理を振る舞ってタダで見せるなら許せるがこれは金取って見せる代物じゃない。見なくていい映画。
エンドロールでスタッフ名が英語表記されているけど、まさかこれを海外でかける気ですか?日本の恥だからやめとけ。やめとけ。
藤竜也の素晴らしさ
今年、認知症で施設に入っていた母親が亡くなったのでとても心に深く沁み渡る作品でした。母も亡くなる数週間前から突然、この施設で殺されそうだ。神様からお告げがあった等々と言っていたので、本作の藤竜也さんの演技にはリアリティしか感じませんでした。音楽や映像も素晴らしかったです。
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