大いなる不在のレビュー・感想・評価
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鑑賞後の満足度◎ 「不在」とは互いに想い合いながら一緒になれなかった20年間のことか、互いの元家族から離れて暮らしていた30年間のことか、単に“在った筈の記憶”が失われてしまうことか…
①忘却と妄想と認知(改めて考えると認知機能が低下している症状を“認知症”と呼ぶのもおかしい気がしますが…)の狭間を往き来する姿の演技はもちろん、まだ認知が始まる前の姿の中に陽二という人間の個性をくっきりと表現する藤竜也の演技が凄い。
『時間ですよ』や『愛のコリーダ』の印象が強いが、いつの間にか名優になっちゃいましたね。
原日出子も久しぶりに大きな役を好演(互いの家族を捨ててまでして結ばれたのだから相手がボケても面倒を見るだろう、と普通は思うから、陽二を置き去りにするのは冷たいように見なされても仕方のないところを、原日出子の柔らかな個性が中和している)。
森山未來の表現者らしい個性が映画に凛とした緊張感をもたらしているし、一方真木よう子はいつものエキセントリックな演技ではない柔らかい演技でもって、その緊張感を緩和する役割を果たしていて、やはりこの女優の並みではない力を見た思いがする。
②最早国民病というより先進国病(世界最大の発展途上国ーいまやインドになったのかなーでも問題化してますが)とも言うべき認知症なので、今更認知症自体を説明する時代ではない。
これからは、映画も晩年の認知症を含めて人間(その人)を描かなければならない時代になったのだろう。
切なすぎるどんでん返し映画!!
まずオープニングが素晴らしい!印象的だか突拍子も無いカットが連なり、見事な掴みだった。 しかもそれらがラストに繋がるという構成は見事!! 主人公、卓の父親である陽二は認知症というよりは強迫性障害が強かったと思う。 その障害は陽二を偽物の物語で囲ってしまうのだ。 そうして愛する人との「本当の物語」から消えてしまったのだ。 そう、まさに物語に不在していたのは陽二自身だったのだ。 物語の中盤まであたかも、なおみが陽二のもとを離れたように描いていたが、ラストのシーンでそれは陽二自身の問題であることがわかる。 まさにある種のどんでん返しだ!! 藤竜也の演技は本当にすごかった! 絶対アカデミー賞取ります!! 本当にいいものを見ました。
認知症の現実
ドキュメンタリー風に認知症と家族の在り方に迫った秀作。キャスト陣の演技が秀逸で見所満載でした。 長期間接触のなかった親子の物語を中心に父親の人物像を丁寧に描いていて真実味が倍増する。これからの高齢化社会の問題を突きつける問題作とも言える。 84
残酷な自分勝手な昭和の男の最期。本人は幸せである。映画的な救いがある点では優しすぎる。
本当に自分勝手で偏屈で理屈っぽい、昭和の男の最期。
一見残酷に見えるかもしれないが、プライドが高く、自分の恋愛を貫き、子供もいて、仕事も成果を上げたのだから、本人としては、これで満足してくれなくては、そのために傷つけられた多くの人々に対して申し訳が立たない。
現実はこうはいかない。
もっとうまくいかないことがたくさんある。
まあ、映画の中で彼が言うように、「一般的な、平均的ななどというものは存在しない。それぞれが特別である。」のかもしれないが。
自分のやっていた仕事がすべてなくなってしまうと感じるかもしれないが、その成果は、教え子を通じて後世に残る。
大恋愛のロマンスと、いささかユーモラスな冒頭の大事件が救い。
息子が本人のことを理解しようとしてくれたことも。
こうなってからでは遅いのかもしれないが。
「ファーザー」は本人視点でのみ描かれていたが、本作は息子視点からも描かれる。
認知症の「恐怖」が描かれていると同時に、そうなった後、「理解されていく」物語でした。
精神の死生
25年ぶりに再会して程なくして認知症を発症した父親と、そこに至る父親を知ろうとする息子の話。
施設に入所した父親と再開し、話しがわかる状態ではなくなっていたことを知った息子が、同時に行方がわからなくなった父親の再婚相手を捜しつつ、父親が持っていた彼女の日記や父親の手紙から2人の関係を読み解いていくストーリー。
息子の発言の揚げ足を取る様な主張を並べる父親が壊れていく過去からの出来事と、既に壊れている父親と向き合う息子パートをいったり来たりしながらみせていくけれど、終盤が近づくに連れ、過去のパートは先がかなりわかってしまってクドく感じるし、オープニングの警察の行も、一応説明はあったけれど、いきなりそんな部隊来るわけないだろというツッコミどころになってしまっいるし、舞台稽古の描写は気取った演出にしか感じられないし…結局息子の判断材料を見せていたってことですかね。
父親と卓の描き方は結構良かったんですけどね…直美の息子がクソなのはわかったけれど、まさかの直美の脱兎で何だそれ?という感じだった。
義母を探して三千里
両親の離婚で疎遠になっていた父親(藤竜也)が認知症に起因して事件を起こし、数十年ぶりに父親と関わることになった息子(森山未來)のお話でした。森山未來演じる息子・卓が、初っ端癖の強い空気感を醸し出しており、序盤は今一つ感情移入できませんでした。しかしながら話が進むうちに、認知症になってしまった父親と義母(原日出子)の馴れ初めから義母が失踪するに至るまでの軌跡に触れたことから心境に変化が生じ、卓に人間的な成長が感じられたのが心に刺さりました。 特に父親が、自分と母親を捨てて義母と一緒になった経緯から、義母に対して心にわだかまりがあってしかるべきところ、彼女の日記を読むことで父親と彼女の運命的な関係性を知るに至り、最終的には日記を返そうと失踪した義母を探して歩き回る卓の姿は、さながら”義母を探して三千里”というところでした。 総括してみると、学者バカともいうべき父親と、父親に献身的に尽くした義母はもちろん、義母の前夫との間の息子や、義母の妹など、卓に対して当然の帰結として敵対的な態度を取ることになる人に至るまで、登場人物のいずれもが悪人ではないところが本作の最大のポイントだったように思えました。それが父親の認知症をきっかけに微妙な均衡が崩れてしまったことが、病気ゆえに致し方ないとは言え、なんとも悲しいお話になっており、翻って我がことのように切なく感じられました。 出演陣は、何と言っても森山未來と藤竜也の2人が素晴らしかった。森山未來は、序盤はとっつきにくい雰囲気を醸し出していましたが、徐々に柔らかい感情を表わすことで、当方も感情移入していきました。そして藤竜也は、矍鑠とした大学教授の演技と、認知症発症後の呆けた感じの演技のコントラストが絶妙でした。まだ元気だった頃のシーンと、認知症が酷くなってしまった現在のシーンを交互に出すことで、この対照的な演技が際立っていたと思います。あと、義母役の原日出子の悲しげな表情も実に印象的でした。 そんな訳で、本作の評価は★4.5とします。
ゾッとした
ラブストーリーであり、サスペンスであり、ミステリーであり、ホラーだった。 怖い。 ゾッとした。 3年前に『ファーザー』を観た時は、アンソニー・ホプキンスの演じる父親のような人間に接しなければならない娘のアンや、周りの人の視点として怖かった。 歳を重ね、今や「自分が『ファーザー』のアンソニー・ホプキンスや、本作の藤竜也にならないかが心配」で怖くなった。 人間の芯や土台を作るのは、記憶と感情と、鍛えた理性のはずだが、それらが一切なくなってしまって、封じたはずの獣性だけが残ってしまったら? 介護老人ホームなどで、老人からの職員に対する暴言や暴力加害のニュースなどを思い出し、この状態になった老人が「果たしてまともな人間であろうか?」と疑問を抱き、一種の優性思想・選民思想的な考えを抱く自分そのものも怖くなった。 おまけに役者の息子は、舞台での役を演じる上で、その父の生きざまを理解するために来たのであって、じつは父のことはどうでもいいと思っている節すらあるという表現だった。 これは観てる側が相当に考えさせられる。 自分ごととして考えると、怖さが強く残るのだった。
ヒューマンサスペンス風だが、かなり微妙
出演者は皆さん熱演だが、ストーリーはかなり情緒的で不明確。 見た後に残念な印象しかない。 藤竜也の演技は見るべき物はありました。 オススメ度はかなり低い。 個人的な感想です。
認知症をテーマとしたキャスト陣のリアルな演技に引き込まれた作品。 本年度ベスト級。
ぶっちゃけ感動や共感などは無かったけど役者の方々のリアルな演技に引き込まれた感じの作品。 認知症の陽二を演じた藤竜也さん。 再婚相手の原日出子さん。 夫婦役の森山未來&真木よう子さん。 これらの方々の演技が素晴らしい! 時間軸が入り乱れる中、陽二の認知症が徐々に悪化して行く姿がリアル。 藤竜也さんの演技が凄かった! 陽二が物忘れを認識し、家中にメモが貼られているシーンが生々しい。 陽二の再婚相手の直美を演じた原日出子さん。 優しい妻を演じているのが印象に残る。 陽二が直美に書いたラブレターがロマンチックなんだけど、それを貰った直美の行動も素敵だった。 本作で唯一ほのぼのする行動(笑) 陽二が認知症になる前の直美との仲の良いシーンがあった方が良かったのでは?と自分的には思えた。 森山未來さん演じる役者の卓。 出だしとラストのリハーサルのシーンのセリフ。 本作のストーリーに被せたセリフと思うものの、自分には全く刺さらず(笑) 観賞後、認知症について調べたけど協調性のある人はなりにくいとの事。 ネガティブな人は認知症になりやすいらしいのでポジティブに生きて行きます( ´∀`)
イヨネスコの「瀕死の王」を少しばかりかじった方が理解が進むのかも知れません
2024.7.16 アップリンク京都
2024年の日本映画(133分、G)
認知症の父と再会を果たす疎遠の息子を描いたヒューマンドラマ
監督は近浦啓
脚本は近浦啓&熊野柱太
物語の舞台は、福岡県北九州市
舞台俳優として、次回作『瀕死の王』のワークショップを行っている卓(森山未來)のもとに、ある一本の電話が入った
それは疎遠の父・陽二(藤竜也)が逮捕されたというもので、卓は妻・夕希(真木よう子)と共に、指定された場所へと向かった
父は認知症が進行し、それによって警察沙汰になっていて、今では役所の主導によって、施設に入る事になっていた
職員(林真之介)から色々と聞かれるものの、卓は長い間会っておらず、何を答え決めれば良いのかわからなかった
その後、二人は父の家へと向かうのだが、そこにいるはずの妻・直美(原日出子)の姿はなく、電話をしても、携帯は父の家に置きっぱなしになっていた
卓は父の元を訪ねて直美のことを聞くと、彼は「自殺をした」という
だが、直美の息子・正彦(三浦誠己)は入院していると言い、その入院費について困っているという
卓はそれを工面すると答えるものの、直美がいるはずの病院にはすでにおらず、本当に入院していたのかもわからない
映画は、かなりややこしい親父が認知症になっていて、しかも再婚相手の直美は行方不明になっていた
また、なぜか父の家に直美の日記帳が置き忘れられていて、そこには父が直美に宛てた手紙がぎっしりと貼られていた
二人の間に何があってこうなったのかがわからないまま、卓は手がかりを追うことになったのである
物語は、卓と父との距離感が描かれていて、卓はずっと他人のように敬語を使っている
それが親子だった頃から続いていたのか、疎遠で別人のように思えるからそうしているのかはわからない
ただ、卓はそれを自然としていて、その関係性は最後まで変わることはなかった
映画には、イヨネスコの戯曲『瀕死の王』という劇が挿入され、卓は死期が近づいた強欲な王を演じている
さすがに劇のどの部分を演じたかまではわからないが、詳しい人ならピンと来るのかなと思う
かなりの引用が入っているので、物語としては関連性が高いのかも知れない
瀕死の王は、その死の際にも権力に固執し、自分が死ぬことを否定するのだが、それをやめさせようと多くのキャラクターが語りかけていく
そして、彼らの言葉を受け入れることで、その人物が一人ずつ消えてゆき、最後には言葉を失った王と最初の妻マルグリットだけが取り残される、という内容になっている
マルグリットが誰を差し示すのかは何とも言えないものの、そのままの解釈をすれば卓の後ろに見える捨てた妻ということになるのだろうか
いずれにせよ、かなり認知症が進んでいる役柄で、電波のようなものを受信しているかなり変わった父親という設定になっている
大学教授で博識なのだが、言葉を発しているのに通じていないというもどかしさがあった
これは、認知症だからということよりは、父が普通の人にわかる言葉で話せないという感じになっていて、直美はそれをうまく受け流してきたのだと思う
だが、直美も病気になり、その代わりを直美の妹・朋子(神野美鈴)がやってきたけど、さすがに無理という感じになって消えてしまったのだろう
そう言った意味において、最後まで父と会話が成り立つのは直美だけだと思うのだが、それは叶わぬものとなるのだろう
それが彼自身の行動による業なのかはわからないが、息子としては擬似的な直美役を演じることでしか、父を送り出せないのかな、と感じた
通り一遍には行かぬ親子と夫婦の関係を紐解く
2020年のNHKドラマ〔ゴールド!〕で 『藤竜也』は認知症の妻『冨美代(吉行和子)』の介護を独力で担う夫を演じた。 家の中には注意書きの紙が至る所に貼られ、 妻は次第に夫のことすら記憶から失くしていく。 それと並行し、五十年間ゴールド免許を維持していた 元教師の夫『政継』が信号無視で警官の取り締まりに遭い、 プライドの高い彼は最初反発し、との 高齢者の免許返納問題も描かれる。 こうしてみると本作は、先のテレビドラマと 相当に重なる部分があることがわかるだろう。 数十年前に自分と母を捨てた父が 警察沙汰を起こしたのち介護施設に収容されたとの連絡を受け、 一人息子の『卓(森山未來)』は妻の『夕希(真木よう子)』と 久方ぶりに故郷を訪れる。 認知症を患い、譫妄が激しく荒唐無稽を語る父『陽二(藤竜也)』だが 息子のことは理解できるよう。 一人暮らしの家には注意書きの紙が貼られ、 しかしそこには一緒に暮らしていた(そして、『卓』と母親を捨てる要因となった) 義母『直美(原日出子)』の姿は無い。 『陽二』に確認してもその所在は判然とせず、また証言もころころと変わるばかり。 『卓』は残されたメモや『直美』の日記を手掛かりに 二人の生活をたどり始める。 幾つかの過去と現在が組み合わされて描かれ、 次第に我々は父と息子の人となりと 一筋縄ではいかない関係性を理解するように。 また、おどろおどろしいBGMとあわせ、 物語りはここからサスペンスの要素が強く出る。 『直美』の実の息子が語った彼女の現況が虚偽と分かった時点で それは頂点に達する。 が、タネが明かされてしまえば驚くほどの拍子抜け。 もう一つのテーマである、中年になってから妻子を捨ててまで全うした純愛の 悲しい結末なのが明らかに。 パートナーの片方が認知症になり、 その愛情が消えてしまったのではないかと疑う、 決定的な出来事が起きた時に 疑念を持ったもう一人が 気持ちの整理をどのように付けて行くのか。 他方、捨ててしまった息子を気に掛けてはいながらも 愛情表現が上手くできない無骨な父親の悲しい性にも 自分と重ね諸々感じるところはあるのだが。 随分とふりかぶったタイトルの割には やや陳腐な二つの愛情物語に収斂してしまうのが どうにも肩透かし。 理屈っぽい『陽二』の造形は、 何故にこうした人物に(最低でも)二人の女性が伴侶になろうとするのかも 疑問を抱いてしまう。 実際に周囲に居れば共感の欠片も持てず、 近づきになることすら御免こうむりたい人物像。 もっとも息子の『卓』にしても、 介護施設の職員と会話する冒頭のシーンでの不遜な態度は、 同じ血が流れているのだなぁ、と 後に理解できる脚本の造りではある。 兎角、人間とは複雑な生き物ではある。
普通ってナンダ?
大脳皮質によるステレオタイプな発想による「普通」は実在しなく皆一人一人の異なるアイデンティティで世の中成立っているソコを藤竜也と森山未來と原日出子がそれぞれのシチュエーションで表現出来たカナァ〜
藤竜也は第二の黄金期を迎えている
えーっと言う冒頭からはじまって、時代がいったりきたりしながら、息子夫婦が、この、ほとんど接して来なかった父の時間を知ってゆく。 なんだか藤竜也は第二の黄金期に入ったようだ。 割と序盤から日本映画らしからぬリアリティのある芝居が続くが、クライマックスあたりの飛び方はハッとする。認知症芝居は、ひょっとして役者冥利に尽きるのかもしれないけれど、藤竜也さんの丁寧過ぎるくらいの話口調の学者さん役の裏に潜む人非人みたいな冷たさみたいなものがリアリティで見える。 三浦誠己が一方でそのイヤーな男性の一面をこれまたとてもリアルに演じている。一方、原日出子との関係が、なかなかの設定なのだけど、その割には印象が弱い。確かに藤竜也は主演男優賞ものだけど、この話、原日出子が主演女優賞取れるくらいな迫力も欲しかったかも。そのくらい藤竜也は、たぶん自分の人生からの蓄積を役に持ち込んでいたのだろうと思う。ひとりだけ次元が違っていた。
気持ちはよくわかるのだが…脚本、演出ともにこなれていない部分があり説得力が低い
子が独立したり結婚したりして家を出る。長寿化した現代日本では夫婦だけの時間がその後30年近くあったりする。この映画は再婚同士の夫婦の話なのでちょっと特殊ではあるけれど。 家を出た子からすれば長く接していないうちに親自身の肉体、精神も夫婦関係も親子関係も大きく変化していたりする。親の一方もしくは両方が認知症に冒されていればなおさらである。この「しばらく会っていないうちに」という感じが「大いなる不在」というタイトルで表現されているのだと思う。 映画の最初の部分、卓は父の介護施設入所という事態に巻き込まれていく。食物アレルギーの有無を尋ねられたり、延命措置の意思表示を求められたりして、卓はややむくれたような態度をとる。家に行ってみれば家の中はぐちゃぐちゃである。再婚相手の直美は何処に行ったのか分からない。 ただこのあたりまでの進行は何かカラッとして明るい感じがある。諦観というか、そうなっちゃったものしょうがないよね、という感じか。(自分自身の経験からしても分かるところはある) ただ映画が進み、陽二と直美の間に起こったことがだんだん明らかになっていくうちに話は深刻になり、一方で脚本や演出のほころびや矛盾が目につくようになる。 おそらくこの映画では「ファーザー」のようなトリッキーなところはない。シーンはみな事実として取り扱われている。ところが実際に映像化すべき部分と、セリフでしか説明しない部分の線引きが中途半端なのである。例えば、直美の妹が手伝いに陽二の家に来る部分、そこで起こったことはわざわざ映像化する必要があったのかどうか。シーンとして表れないからこそ説得力があることもある。 その他、例えば陽二の趣味のラジオ受信がかなりの時間を割いて出てくるにも関わらず決定的なキーファクターになっていないこと、そして、卓についても冒頭と最後に出てくる役者としてのワークショップのシーンが卓の性格や考え方を説明する(そうでなければこのシーンの意味はない)ことに全く繋がっていないこと、などが挙げられる。 要するに脚本、演出にこなれていない部分や無駄な部分があり、役者たちの演技力の高さは特筆すべきとしても、映画としての説得力には正直欠けるところがあったと感じた。
想いは手帳に。
認知症患った父陽二と、行方不明の義母直美と父と義母に何があったのかと調べだす息子の卓の話。
約30年疎遠だった父が警察に捕まったと知らせ受け会いに行くとそこは施設、5年前に陽二の住む家で会った時とは変わり果てた姿(認知症)に、その5年前に会った義母の直美の姿はなく行方不明となっていた…。
5年の間に何があったと調べ始めた卓だったけど父陽二に聞いても認知症を患ってるせいか話は噛み合わない、義母のホントの一人息子が現れては「母は入院してる」と言われ、入院先に行ってみたら入院してないと。
「直美さんに会わせて下さい」と卓が一人息子に言っても何か会わせたくなさそう、何かを隠したがる感じで謎めいて見せるけど。
とりあえず印象的だったのは父の話し方、ウンチク、屁理屈っぽい感じが聞いてて鬱陶しいって感じで一緒にいた直美も疲れちゃったんでしょうね、認知症も患っちゃうしで、…でも認知症患ってからの方が少し素直になった様に見えたかな。
妻直美を一途に愛してる想ってるは手帳に書かれてたので分かったけど、行方不明になった、自分の知らない場所へ行ってしまったが直美の答えですしね。
ラストの父への歩み寄りじゃないけれど「延命治療お願いします」は陽二との距離が少しだけ縮まったのかな。
個人の判断に委ねる
感受性豊かじゃないと今作品の良さは伝わらないかもしれない。正直、推察しかできないのでこういうことでは?ということを纏める。
インテリで頭が良いことを家庭でも誇張したがる主人公卓の学者だった父陽二は重度の認知症を患い施設に保護されていた。およそ5年ぶりに二人は会話をするのだが、陽二はいつもと変わらない頭の良さを見せつけるも言うことは支離滅裂だった。
卓が5年前に大河ドラマに出演することを報告に行った際には、相変わらず自分の知識ばかり押し付けることには変わりないが、そんな陽二を理解し接している再婚相手の直美はあたたかく卓を出迎えた。
劇中では陽二が認知症になる前と認知症になってからの姿がいったりきたり。
それで次第に答えとして見えたのはあれだけ陽二に従順だった直美がしびれを切らし家を出ていったシーンのとき。認知症の症状がかなり進行しており、直美ですら理解できないようになっていた。あれだけ車の運転を許さなかったのに、別れたい意思が伝わったのか陽二は直美の頰を優しく撫でてキーを渡した。
直美の息子の塩塚の狙いが何なのか。
卓に嘘をついてでも何を問い詰めたかったか?
直美の妹の朋子がなぜ姉の代わりに宅配弁当を継続的に手配したりしていたのかも謎である。階段から突き落とされているにも関わらず。
それがもし、離れて暮らすことを決意した直美の陽二に対する思いだとしたら?
ラストの満潮の長部田海床路に向かうシーンは直美の最期だったのかもしれない。直美は陽二が認知症だとわかってはいたが、自分ひとりでは対処しきれず悩んでいたのだろう。
直美の死を通して親族が陽二に対する溜まりに溜まった不満があったのかもしれない。
塩塚の狙いは多分入院費じゃなく慰謝料だったかも。陽二も直美もお互い結婚して子供がいるにも関わらず一緒になることを選択した。
卓は母親を捨てたことを陽二を許さなかったが塩塚の場合は例外だったのだろう。離れても親子の絆は断ち切らなかった、だから見返したい気持ちがあって卓の前に現れたのでは?一方の卓は陽二との関係が遠くなるにつれ疎遠となり、父陽二について訊ねられても答えられなくなっていた。
卓が最後に施設の職員に対して話した延命治療の話も、父を知り、父の直美に対する恋を理解し、許せるようになっていたのではないだろうか。
答えがわからん分推理するしかない。
どうしても解けないミステリー
テーマがあることは分かるが、具体的にハッキリとは明示されない。それでいて、鑑賞者それぞれの深いところに何かが静かに着実に届いてくる。 こういう映画は年に数本あるけれど、毎回のことながら、その〝何か〟がうまく言葉にできない。ということはその何かは、誰もが日常的に経験したり思考しながら普段から言葉にしていることでは簡単に言い表せないということなのだと思う。 自分の語彙の乏しさを嘆きながらも、自分の中のどの部分が揺さぶられたのか、ダラダラと考えてしまうことになる。 認知症による忘却は、発症した本人にとっては記憶が失われていく恐怖と直面することになるが、悪化するまでの時間という意味では有限。 その本人と関わりの深い人間にとっては、発症した彼・彼女の記憶が失われるという絶望感は永遠にも思えるに違いない(自分が生きているあいだは失われたままだ)。 でも不思議なことに、絶望したはずの人間が、動機やキッカケはさまざまでも、記憶を失っていく人の過去を辿り、今まで知らないでいた内面を追求していくことになる(という映画や小説も割と多い気がする)。 失うと同時に甦る過去と生きた証。 好きで好きでたまらない! そう言える女性がいることはなんと誇らしいことだろう。 終盤は劇中劇の練習風景とオーバーラップさせることで、詩の朗読会のような展開を違和感なく織り込んできたが、これがとても効果的。 陽二と卓の親子にとっては、それなりに決着できた陽二の人生。しかしながら、直美の絶望は癒されることもなく、なんらかの整理がついたというような描写はなかったように思う。 あの日記は、陽二に〝誇らしい〟とまで言わせた彼女の生きてきた証、記憶でもあるのに捨て置かれたまま、或いは陽二親子に保持させたままであり、この映画における最大のミステリーでもある。
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