大いなる不在のレビュー・感想・評価
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藤竜也の陽二の魅力とラストの願望的考察…。そして謎について
とてもとても良かった。
演技の事など何も分からない私でも、スクリーンの中の藤竜也に圧倒された。
名優を精巧な機械に例えるなら、彼は老練な機械のように精緻で大胆で狂いなく、時折接合部から滲み出るオイルのような人間味が、唯一無二の個性を醸し出していた。
なんと表現したものか難しいのだけれども。
親に向き不向きがあるならば、恐らく陽二は後者で。
他者の目線に合わせられない陽二は、常に他者を自分の目線まで登らせるか、下から呆然と見上げさせるかの二択しか与えない。
幼い子にとっては背伸びしても届かぬ存在。必死の訴えも甘えたい想いも、彼の顎先を掠めるだけで、彼の視界に入ることはない。関心を得ることは無い。
父との埋められない距離感は今も卓に付き纏う。擦り寄るか、拒絶するか。どちらも健全な親子関係とは言い難いが、卓は拒絶を選んだ。そもそも陽二が妻子を捨てたのだけれど。
とは言え陽二は不義理な人間ではなく、むしろ義理堅く一貫して誠実に努めていて。
実子の結婚式に参列していない事を理由に、継子の式にも参列せず。直美との関係を再開させるにあたって、己と相手方の家族関係を精算して。卓と結婚した夕希に対し、事後報告だったが両家顔合わせをしなかった不義理を詫び。卓に対し、幼少の頃に奮ってしまった暴力と暴言を詫びる。
固すぎる程に、義理を通す人間として描かれていた。”気持ちさえこもっていれば形は拘らない。”という現代の風潮とはっきり隔絶した、気持ちいい程の男気ある人物だ。
愛に対しても一直線で。熱烈な恋文と、決して口だけで終わらせない行動力。
偏屈で高慢で配慮に欠け、論理的思考で他者を批判する嫌味な側面もありつつ、愛と義理を全身で体現する雄々しさが、とても魅力的だった。
こういう人物はとても狡いと思う。他者に媚びず、自分を生きて、それでも愛されるのだから。
私も途中から陽二という人間の魅力に呑み込まれて行った。親族にはいてほしくない。けれども恒星のように輝き、燃え上がる存在感には見蕩れる。教え子の鈴元が陽二を尊敬し、慕っていたのにも納得する。(チョイ役だったけれど、鈴元役の人の演技大好きだった)
直美は陽二に対し、一抹の苛立ちや呆れを抱きつつ、それでも根底にある強い愛と尊敬の念で支えていた。それが垣間見える夫婦のやり取りが素晴らしかった。
直美は深く陽二を愛していたからこそ、認知症による彼の変容に耐えられなかった。
あの熱烈な恋文と、陽二が自分に向ける確固たる愛があったからこそ形作っていた夫婦が崩壊し、愛の矛先と供給先を失った直美も崩壊する。
”無かったことにされた” ではなく、本当に無になってしまった。その悲しみと苦しみは想像がつかない。
愛し合った記憶を自分だけが有した状態で、最早別人の伴侶と共に生きる孤独は深くて暗い。
時折元に戻り、変わらぬ愛を向けられても、いつかまた病の海に沈むと考えたら…そしていずれ、二度と浮上することのない暗黒の日が訪れると考えたら…目を背けた方が楽かもしれない。
愛あるが故に、共に居ることは耐えられないのかもしれない。
『大いなる不在』 は、直美の不在を指しているのだと思っていたけれど、直美にとっての、かつての陽二の不在も指しているのだろう。
ラストのシーンには様々な憶測がある。故郷の海へ向かい歩を進める直美の姿。かつて陽二が表した通り、彼女は故郷の海そのものになってしまったのだろうか。燃えたぎる恋慕に心を爛れさせながら、陽二が眺めることしかできなかった故郷の海に。
街を徘徊し、妻の名を叫ぶ陽二の溢れる想いは、宛もなく直美の故郷の地を彷徨ったかつての陽二の姿と重なる。
二人はまた会えるのだろうか。これが悲劇の愛の物語ならば、在りし陽二との幸福な日々を護るため、直美は死を選び、何も知らない陽二は病が見せる世界の住人になってしまうのだろう。
希望のある考察をするならば、直美は生きていて、また陽二の元へ戻ってくる。病の世界へ徐々に囚われていく陽二を見守りながら、彼の魂に交信し続ける。次は直美が、熱烈な恋文を送り続ける。
私の願望は勿論後者。
最後に、序盤に繋がるシーンにて。陽二は誰も受信していない無線で、あたかも息子の卓と交信出来ているかのように語りかける。
今から行くと告げた後、彼は矍鑠と身支度をし、身なりを整え、直美の日記を携えて外に出る。その目には強い決意があった。その決意とは何だったのか。なぜ彼は、無線で息子を呼ぶ時、幼少期の愛称である『たっくん』と呼んだのか。
彼があの時交信していたのは、かつて彼のプライドにまみれた心を揺るがし、彼の執着する美徳とエゴを陳腐にさせ、アイデンティティに亀裂を生じさせた、幼く無垢な息子だったのだろうか。
直美への愛さえくすませる純な脅威に、かつては拒絶する事しかできなかった陽二であったが、何故この期に及び、会いに行こうとしたのか。
あの無線のシーンで語りかける相手は、当然直美だろうと思っていたから、とても驚いた。
男女間の燃え上がるような愛とは異なり、胸を奥底から温めていくような父子の愛。その感覚は今も陽二を翻弄させ、困惑させ、希望を与えているのかもしれない。
そうであるならば、卓が数十年間離れていた事も、陽二にとっては大いなる不在だったのだろう。
藤竜也すごい
目の前の不在と30年の実在
物質としての存在と事象としての存在、そしてその喪失を扱った作品と感じた。
正直、ストーリーと呼べるほどのものはない。
過去と現在をシームレスに行き来しながら、親子や夫婦など様々な関係性が描かれていく。
冒頭の警官隊の突入(何をどう言えばあんな部隊が来るのか)や直美の行方などは、映画的な“惹き”でしかない。
本質は“知ろうとすること”と“忘れてしまうこと”。
卓にとって元々断絶に近かった父は、痴呆によってより掴みどころのない存在になってしまう。
それでも母の死を伝えようとするぐらいにはまだ“親子”だったのだろう。
直美の日記や関係者との会話、そして父の残したメモから少しずつその実在を掴んでいく。
ベルトを譲る直前だけ「父さん」と呼べたのは、多少なり象を得られた証だろう。
対して直美の立ち位置は非常に苦しい。
宝物である手紙と、それに対する想いを読み聞かせてすら、「あなたは誰だ」と言われてしまう。
普通ならイチャイチャに感じる「スベスベ」のシーンにかかる不穏なBGMなどもあまりに的確。
妹のもとへ行くことは陽二も了承の上だったようだが、それにあたりどんな会話があったのか…
ひたすら重い流れの中で、終盤の位牌おじぎは癒し。
キャストに関しては基本文句なしなのだが、夕希だけは他の人がよかったかな。
真木よう子がダメだったわけではないが、立ち位置的にビジュアルが強すぎるんですよね。笑
手紙や台本の朗読など文学的すぎて掴みづらいのは難点。
ただ、老齢の両親を抱える身としては色々と感じるところのある作品でした。
鑑賞後の満足度◎ 「不在」とは互いに想い合いながら一緒になれなかった20年間のことか、互いの元家族から離れて暮らしていた30年間のことか、単に“在った筈の記憶”が失われてしまうことか…
①忘却と妄想と認知(改めて考えると認知機能が低下している症状を“認知症”と呼ぶのもおかしい気がしますが…)の狭間を往き来する姿の演技はもちろん、まだ認知が始まる前の姿の中に陽二という人間の個性をくっきりと表現する藤竜也の演技が凄い。
『時間ですよ』や『愛のコリーダ』の印象が強いが、いつの間にか名優になっちゃいましたね。
原日出子も久しぶりに大きな役を好演(互いの家族を捨ててまでして結ばれたのだから相手がボケても面倒を見るだろう、と普通は思うから、陽二を置き去りにするのは冷たいように見なされても仕方のないところを、原日出子の柔らかな個性が中和している)。
森山未來の表現者らしい個性が映画に凛とした緊張感をもたらしているし、一方真木よう子はいつものエキセントリックな演技ではない柔らかい演技でもって、その緊張感を緩和する役割を果たしていて、やはりこの女優の並みではない力を見た思いがする。
②最早国民病というより先進国病(世界最大の発展途上国ーいまやインドになったのかなーでも問題化してますが)とも言うべき認知症なので、今更認知症自体を説明する時代ではない。
これからは、映画も晩年の認知症を含めて人間(その人)を描かなければならない時代になったのだろう。
切なすぎるどんでん返し映画!!
 まずオープニングが素晴らしい!印象的だか突拍子も無いカットが連なり、見事な掴みだった。
 しかもそれらがラストに繋がるという構成は見事!!
 主人公、卓の父親である陽二は認知症というよりは強迫性障害が強かったと思う。
 その障害は陽二を偽物の物語で囲ってしまうのだ。
 そうして愛する人との「本当の物語」から消えてしまったのだ。
 そう、まさに物語に不在していたのは陽二自身だったのだ。
 物語の中盤まであたかも、なおみが陽二のもとを離れたように描いていたが、ラストのシーンでそれは陽二自身の問題であることがわかる。
 まさにある種のどんでん返しだ!!
 藤竜也の演技は本当にすごかった!
絶対アカデミー賞取ります!!
 本当にいいものを見ました。
不在の中心を思い馳せる失意の中にいる不在の中心
認知症の現実
残酷な自分勝手な昭和の男の最期。本人は幸せである。映画的な救いがある点では優しすぎる。
本当に自分勝手で偏屈で理屈っぽい、昭和の男の最期。
一見残酷に見えるかもしれないが、プライドが高く、自分の恋愛を貫き、子供もいて、仕事も成果を上げたのだから、本人としては、これで満足してくれなくては、そのために傷つけられた多くの人々に対して申し訳が立たない。
現実はこうはいかない。
もっとうまくいかないことがたくさんある。
まあ、映画の中で彼が言うように、「一般的な、平均的ななどというものは存在しない。それぞれが特別である。」のかもしれないが。
自分のやっていた仕事がすべてなくなってしまうと感じるかもしれないが、その成果は、教え子を通じて後世に残る。
大恋愛のロマンスと、いささかユーモラスな冒頭の大事件が救い。
息子が本人のことを理解しようとしてくれたことも。
こうなってからでは遅いのかもしれないが。
「ファーザー」は本人視点でのみ描かれていたが、本作は息子視点からも描かれる。
認知症の「恐怖」が描かれていると同時に、そうなった後、「理解されていく」物語でした。
精神の死生
25年ぶりに再会して程なくして認知症を発症した父親と、そこに至る父親を知ろうとする息子の話。
施設に入所した父親と再開し、話しがわかる状態ではなくなっていたことを知った息子が、同時に行方がわからなくなった父親の再婚相手を捜しつつ、父親が持っていた彼女の日記や父親の手紙から2人の関係を読み解いていくストーリー。
息子の発言の揚げ足を取る様な主張を並べる父親が壊れていく過去からの出来事と、既に壊れている父親と向き合う息子パートをいったり来たりしながらみせていくけれど、終盤が近づくに連れ、過去のパートは先がかなりわかってしまってクドく感じるし、オープニングの警察の行も、一応説明はあったけれど、いきなりそんな部隊来るわけないだろというツッコミどころになってしまっいるし、舞台稽古の描写は気取った演出にしか感じられないし…結局息子の判断材料を見せていたってことですかね。
父親と卓の描き方は結構良かったんですけどね…直美の息子がクソなのはわかったけれど、まさかの直美の脱兎で何だそれ?という感じだった。
義母を探して三千里
両親の離婚で疎遠になっていた父親(藤竜也)が認知症に起因して事件を起こし、数十年ぶりに父親と関わることになった息子(森山未來)のお話でした。森山未來演じる息子・卓が、初っ端癖の強い空気感を醸し出しており、序盤は今一つ感情移入できませんでした。しかしながら話が進むうちに、認知症になってしまった父親と義母(原日出子)の馴れ初めから義母が失踪するに至るまでの軌跡に触れたことから心境に変化が生じ、卓に人間的な成長が感じられたのが心に刺さりました。
特に父親が、自分と母親を捨てて義母と一緒になった経緯から、義母に対して心にわだかまりがあってしかるべきところ、彼女の日記を読むことで父親と彼女の運命的な関係性を知るに至り、最終的には日記を返そうと失踪した義母を探して歩き回る卓の姿は、さながら”義母を探して三千里”というところでした。
総括してみると、学者バカともいうべき父親と、父親に献身的に尽くした義母はもちろん、義母の前夫との間の息子や、義母の妹など、卓に対して当然の帰結として敵対的な態度を取ることになる人に至るまで、登場人物のいずれもが悪人ではないところが本作の最大のポイントだったように思えました。それが父親の認知症をきっかけに微妙な均衡が崩れてしまったことが、病気ゆえに致し方ないとは言え、なんとも悲しいお話になっており、翻って我がことのように切なく感じられました。
出演陣は、何と言っても森山未來と藤竜也の2人が素晴らしかった。森山未來は、序盤はとっつきにくい雰囲気を醸し出していましたが、徐々に柔らかい感情を表わすことで、当方も感情移入していきました。そして藤竜也は、矍鑠とした大学教授の演技と、認知症発症後の呆けた感じの演技のコントラストが絶妙でした。まだ元気だった頃のシーンと、認知症が酷くなってしまった現在のシーンを交互に出すことで、この対照的な演技が際立っていたと思います。あと、義母役の原日出子の悲しげな表情も実に印象的でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.5とします。
ゾッとした
ラブストーリーであり、サスペンスであり、ミステリーであり、ホラーだった。
怖い。
ゾッとした。
3年前に『ファーザー』を観た時は、アンソニー・ホプキンスの演じる父親のような人間に接しなければならない娘のアンや、周りの人の視点として怖かった。
歳を重ね、今や「自分が『ファーザー』のアンソニー・ホプキンスや、本作の藤竜也にならないかが心配」で怖くなった。
人間の芯や土台を作るのは、記憶と感情と、鍛えた理性のはずだが、それらが一切なくなってしまって、封じたはずの獣性だけが残ってしまったら?
介護老人ホームなどで、老人からの職員に対する暴言や暴力加害のニュースなどを思い出し、この状態になった老人が「果たしてまともな人間であろうか?」と疑問を抱き、一種の優性思想・選民思想的な考えを抱く自分そのものも怖くなった。
おまけに役者の息子は、舞台での役を演じる上で、その父の生きざまを理解するために来たのであって、じつは父のことはどうでもいいと思っている節すらあるという表現だった。
これは観てる側が相当に考えさせられる。
自分ごととして考えると、怖さが強く残るのだった。
認知症をテーマとしたキャスト陣のリアルな演技に引き込まれた作品。 本年度ベスト級。
ぶっちゃけ感動や共感などは無かったけど役者の方々のリアルな演技に引き込まれた感じの作品。
認知症の陽二を演じた藤竜也さん。
再婚相手の原日出子さん。
夫婦役の森山未來&真木よう子さん。
これらの方々の演技が素晴らしい!
時間軸が入り乱れる中、陽二の認知症が徐々に悪化して行く姿がリアル。
藤竜也さんの演技が凄かった!
陽二が物忘れを認識し、家中にメモが貼られているシーンが生々しい。
陽二の再婚相手の直美を演じた原日出子さん。
優しい妻を演じているのが印象に残る。
陽二が直美に書いたラブレターがロマンチックなんだけど、それを貰った直美の行動も素敵だった。
本作で唯一ほのぼのする行動(笑)
陽二が認知症になる前の直美との仲の良いシーンがあった方が良かったのでは?と自分的には思えた。
森山未來さん演じる役者の卓。
出だしとラストのリハーサルのシーンのセリフ。
本作のストーリーに被せたセリフと思うものの、自分には全く刺さらず(笑)
観賞後、認知症について調べたけど協調性のある人はなりにくいとの事。
ネガティブな人は認知症になりやすいらしいのでポジティブに生きて行きます( ´∀`)
イヨネスコの「瀕死の王」を少しばかりかじった方が理解が進むのかも知れません
2024.7.16 アップリンク京都
2024年の日本映画(133分、G)
認知症の父と再会を果たす疎遠の息子を描いたヒューマンドラマ
監督は近浦啓
脚本は近浦啓&熊野柱太
物語の舞台は、福岡県北九州市
舞台俳優として、次回作『瀕死の王』のワークショップを行っている卓(森山未來)のもとに、ある一本の電話が入った
それは疎遠の父・陽二(藤竜也)が逮捕されたというもので、卓は妻・夕希(真木よう子)と共に、指定された場所へと向かった
父は認知症が進行し、それによって警察沙汰になっていて、今では役所の主導によって、施設に入る事になっていた
職員(林真之介)から色々と聞かれるものの、卓は長い間会っておらず、何を答え決めれば良いのかわからなかった
その後、二人は父の家へと向かうのだが、そこにいるはずの妻・直美(原日出子)の姿はなく、電話をしても、携帯は父の家に置きっぱなしになっていた
卓は父の元を訪ねて直美のことを聞くと、彼は「自殺をした」という
だが、直美の息子・正彦(三浦誠己)は入院していると言い、その入院費について困っているという
卓はそれを工面すると答えるものの、直美がいるはずの病院にはすでにおらず、本当に入院していたのかもわからない
映画は、かなりややこしい親父が認知症になっていて、しかも再婚相手の直美は行方不明になっていた
また、なぜか父の家に直美の日記帳が置き忘れられていて、そこには父が直美に宛てた手紙がぎっしりと貼られていた
二人の間に何があってこうなったのかがわからないまま、卓は手がかりを追うことになったのである
物語は、卓と父との距離感が描かれていて、卓はずっと他人のように敬語を使っている
それが親子だった頃から続いていたのか、疎遠で別人のように思えるからそうしているのかはわからない
ただ、卓はそれを自然としていて、その関係性は最後まで変わることはなかった
映画には、イヨネスコの戯曲『瀕死の王』という劇が挿入され、卓は死期が近づいた強欲な王を演じている
さすがに劇のどの部分を演じたかまではわからないが、詳しい人ならピンと来るのかなと思う
かなりの引用が入っているので、物語としては関連性が高いのかも知れない
瀕死の王は、その死の際にも権力に固執し、自分が死ぬことを否定するのだが、それをやめさせようと多くのキャラクターが語りかけていく
そして、彼らの言葉を受け入れることで、その人物が一人ずつ消えてゆき、最後には言葉を失った王と最初の妻マルグリットだけが取り残される、という内容になっている
マルグリットが誰を差し示すのかは何とも言えないものの、そのままの解釈をすれば卓の後ろに見える捨てた妻ということになるのだろうか
いずれにせよ、かなり認知症が進んでいる役柄で、電波のようなものを受信しているかなり変わった父親という設定になっている
大学教授で博識なのだが、言葉を発しているのに通じていないというもどかしさがあった
これは、認知症だからということよりは、父が普通の人にわかる言葉で話せないという感じになっていて、直美はそれをうまく受け流してきたのだと思う
だが、直美も病気になり、その代わりを直美の妹・朋子(神野美鈴)がやってきたけど、さすがに無理という感じになって消えてしまったのだろう
そう言った意味において、最後まで父と会話が成り立つのは直美だけだと思うのだが、それは叶わぬものとなるのだろう
それが彼自身の行動による業なのかはわからないが、息子としては擬似的な直美役を演じることでしか、父を送り出せないのかな、と感じた
通り一遍には行かぬ親子と夫婦の関係を紐解く
2020年のNHKドラマ〔ゴールド!〕で
『藤竜也』は認知症の妻『冨美代(吉行和子)』の介護を独力で担う夫を演じた。
家の中には注意書きの紙が至る所に貼られ、
妻は次第に夫のことすら記憶から失くしていく。
それと並行し、五十年間ゴールド免許を維持していた
元教師の夫『政継』が信号無視で警官の取り締まりに遭い、
プライドの高い彼は最初反発し、との
高齢者の免許返納問題も描かれる。
こうしてみると本作は、先のテレビドラマと
相当に重なる部分があることがわかるだろう。
数十年前に自分と母を捨てた父が
警察沙汰を起こしたのち介護施設に収容されたとの連絡を受け、
一人息子の『卓(森山未來)』は妻の『夕希(真木よう子)』と
久方ぶりに故郷を訪れる。
認知症を患い、譫妄が激しく荒唐無稽を語る父『陽二(藤竜也)』だが
息子のことは理解できるよう。
一人暮らしの家には注意書きの紙が貼られ、
しかしそこには一緒に暮らしていた(そして、『卓』と母親を捨てる要因となった)
義母『直美(原日出子)』の姿は無い。
『陽二』に確認してもその所在は判然とせず、また証言もころころと変わるばかり。
『卓』は残されたメモや『直美』の日記を手掛かりに
二人の生活をたどり始める。
幾つかの過去と現在が組み合わされて描かれ、
次第に我々は父と息子の人となりと
一筋縄ではいかない関係性を理解するように。
また、おどろおどろしいBGMとあわせ、
物語りはここからサスペンスの要素が強く出る。
『直美』の実の息子が語った彼女の現況が虚偽と分かった時点で
それは頂点に達する。
が、タネが明かされてしまえば驚くほどの拍子抜け。
もう一つのテーマである、中年になってから妻子を捨ててまで全うした純愛の
悲しい結末なのが明らかに。
パートナーの片方が認知症になり、
その愛情が消えてしまったのではないかと疑う、
決定的な出来事が起きた時に
疑念を持ったもう一人が
気持ちの整理をどのように付けて行くのか。
他方、捨ててしまった息子を気に掛けてはいながらも
愛情表現が上手くできない無骨な父親の悲しい性にも
自分と重ね諸々感じるところはあるのだが。
随分とふりかぶったタイトルの割には
やや陳腐な二つの愛情物語に収斂してしまうのが
どうにも肩透かし。
理屈っぽい『陽二』の造形は、
何故にこうした人物に(最低でも)二人の女性が伴侶になろうとするのかも
疑問を抱いてしまう。
実際に周囲に居れば共感の欠片も持てず、
近づきになることすら御免こうむりたい人物像。
もっとも息子の『卓』にしても、
介護施設の職員と会話する冒頭のシーンでの不遜な態度は、
同じ血が流れているのだなぁ、と
後に理解できる脚本の造りではある。
兎角、人間とは複雑な生き物ではある。
藤竜也は第二の黄金期を迎えている
えーっと言う冒頭からはじまって、時代がいったりきたりしながら、息子夫婦が、この、ほとんど接して来なかった父の時間を知ってゆく。
なんだか藤竜也は第二の黄金期に入ったようだ。
割と序盤から日本映画らしからぬリアリティのある芝居が続くが、クライマックスあたりの飛び方はハッとする。認知症芝居は、ひょっとして役者冥利に尽きるのかもしれないけれど、藤竜也さんの丁寧過ぎるくらいの話口調の学者さん役の裏に潜む人非人みたいな冷たさみたいなものがリアリティで見える。
三浦誠己が一方でそのイヤーな男性の一面をこれまたとてもリアルに演じている。一方、原日出子との関係が、なかなかの設定なのだけど、その割には印象が弱い。確かに藤竜也は主演男優賞ものだけど、この話、原日出子が主演女優賞取れるくらいな迫力も欲しかったかも。そのくらい藤竜也は、たぶん自分の人生からの蓄積を役に持ち込んでいたのだろうと思う。ひとりだけ次元が違っていた。
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