劇場公開日 2024年7月12日

「藤竜也の圧倒的存在感」大いなる不在 ありのさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5藤竜也の圧倒的存在感

2024年9月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

 基本的に陽二と卓の父子関係を軸に敷いたドラマであるが、そこに認知症の怖さ、陽二と再婚相手の女性・直美の夫婦関係といったドラマも入り込んできて、何だか散漫な印象を持った。特に、終盤は父子の絆を描きたいのか、夫婦愛を描きたいのか。作品としての方向性に若干のブレが感じられた。

 物語は、卓の視点で描かれる現在と陽二の過去に迫る回想。この二つで構成されている。このほかに直美の姉や息子、大学教授時代の陽二の教え子といったサブキャラ。更には直美の日記や陽二が残した手紙が出てきて、卓が知らなかった陽二の過去が明らかにされていく。この辺りは巧みに構成されていて引き込まれた。

 また、認知症の怖さというのも本作は上手く表現されていたように思う。
 印象に残ったシーンは2つある。
 まず一つ目は、倒れた直美を陽二が置き去りにするシーンである。この時にすでに陽二には直美=妻ということすら認知できなくなっていたのだろう。すがるような眼差しで助けを請う直美が憐れに思えてならなかった。

 もう一つは、施設に面会に来た卓に、陽二が過去の虐待を詫びるシーンである。卓にはそんな記憶が一切ないのだが、考えてみれば厳格な陽二なら躾には人一倍厳しかったかもしれない。虐待とまでは行かないにしてもスパルタ的な教育に繋がった可能性はある。
 ただ、これはもしかしたら陽二の勘違いで、実際には直美に対する虐待だったのではないか…という想像もできるのだ。陽二は亭主関白気取りで直美は常にそんな彼に気を遣って寄り添っていた。直接的な暴力ではないが精神的に抑圧していたことは明白で、陽二はそれを混濁した記憶の中で申し訳ないと告白したのではないだろうか。そう考えると、このシーンにはゾッとするような怖さを覚える。

 このように認知症を患ってからの陽二の言葉は、ほとんどが勘違い、妄想ばかりである。そんな彼に翻弄されながら、卓は父と正面から向き合わざるを得なくなっていく。改めて介護の難しさというものが実感された。

 尚、映画はオープニングとエンディングで役者をしている卓の舞台稽古のシーンが挿入される。かなりアヴァンギャルドな演劇で最初は意味不明だったのだが、エンディングでその意味が判明する。要は卓と陽二のドラマのメタファーになっているのだが、これも中々面白い”仕掛け”だと思った。

 キャスト陣では、陽二を演じた藤竜也の演技が絶品で、完全に独壇場と言った感じである。泰然自若とした物言いは受け取り方次第では時に冷たく感じられ、これじゃ家族崩壊も当たり前と容易に想像がつく。そんな彼が認知症を患ってからは一転。喋る言葉もあやふやになり、勘違いや被害妄想に取りつかれた憐れな老人になり果ててしまう。人間が人間らしく生きることの喪失、不安、苛立ち。それらが見事に表現されていた。

ありの
トミーさんのコメント
2024年9月10日

森山さんの舞台には元が有るそうですが、リア王の時代から老いと喪失は描かれてたと考えると、今だに普遍的な題材なんですね。

トミー